Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

6月20日、側線がほしい。(妊娠12週1日)

 ワールドカップの日本対ギリシャ戦が終わってから、打合せがある仕事場へ向かう。0対0の引き分けだった。前半38分、主将のカツラニス選手が2枚めのイエローカードで退場、ギリシャが10人になった。日本は11人。これは勝てる、と、思いこんでしまった。思いこみは、きけんだ。勝つのは、たいへんだ。現実を目の当たりにして、もんもんとしていた。通りを行きかう人たちも敗戦の余韻を引きずっているのだろうか、どこか、ぼーっと、しているように見える。JRの改札を出て地下鉄の改札へ向かっていると、前から歩いてきた人と、あやうくぶつかりそうになった。あぶないぞ、気をつけないと。

 人混みを見ると、ダイビングのときに出会った魚群を思いだす。玉やトルネードとよばれる、ものすごい数の魚の群れだ。あんなにたくさんいても、群れて泳ぐ魚はぶつからない。ぱっと同時に方向を変えることができる。なぜなのか。魚には側線という器官がついていて、水流や水圧のわずかな変化も察知できる。この側線のおかげで、光が届かない深海でも、にごった水のなかでも、まわりの様子を把握して獲物を確実にとらえることができちゃうのだ。反応速度は、およそ0.15秒。ヒトの反射神経は最速でも0.2秒といわれるが、それより速いスピードだ。だから、みんながほぼ瞬間的に方向転換できちゃうわけだ。うらやましい。ヒトにも側線があればいいのに。側線がついてないのは、きっと、もっと、すぐれた能力をそなえているからにちがいない。

 18時から、仕事場のキックオフパーティーがあったが、1次会できりあげて、帰ることにした。重ね着をしていたのに、エアコンでからだが冷えきってしまった。たくさん人がいたので、冷房をつよくしているのだろう。これから夏本番に入ったら、冷え対策を心がけようと思う。いつもなら素足にサンダルをはいていたけれど、靴下を活用しよう。きゅんと冷えたものがほしくなるけれど、氷をぬいてもらったり、あったかいものを選ぶようにしよう。

6月19日、12週0日。(妊娠12週0日)

 きょうから、妊娠4か月めに突入だ。実感は、まだない。12週めになると臓器や手足ができて、その機能を発達させる段階に入るそうだ。しゃっくりをして、呼吸の練習もするらしい。ここまで生きぬいてきた赤ちゃんは、染色体異常などの、赤ちゃん側の理由によって流産になる可能性が、かなり低くなるといわれている。そうすけ、いままでがんばってくれて、ありがとう。これからは、お母さんが気をつけるからね。バトンをうけとった気もちになる。

 妊娠12週に入ると、より心音がききとりやすくなる。と、ブログに書いてあるのを読んで、さっそく、例の通販でゲットした超音波ドップラーをとりだした。おなかを冷やしてしまわないように、10分だけ、ためしてみよう。電池をセットして、付属のヘッドフォンを側面にある穴に差しこんで、スイッチをまわしてオンにする。おなかにジェルをたっぷりぬって、本体ウラ面にある突起部をあてながらゆっくりすべらせる。前回やったことがあるから、なれている。すこしずつ探っていくと、恥骨のやや左上あたりで音を感じた。シュン、シュン、シュン、シュン。これは、わたしの心音だ。静かに呼吸しながら、左から右へと探っていく。恥骨の右上に近づく。自分の心音がよりくっきりときこえてきた。シュン、シュン、シュン、シュン。それにまじって、確実に速い鼓動がきこえてきた。トクトクトクトク。この音、そうすけの心音だ。5ミリほど右に動かすと、さらにクリアにきこえた。トクトクトクトク。わたしの心音と重なってきこえてくる。工事現場にいるみたい。パーカッションアンサンブルにもきこえる。そうすけの鼓動と、わたしの鼓動の、打楽器2重奏だ。

「ただいま」
超音波ドップラーをかたづけたところで、だんなが帰ってきた。
「きこえたよ、そうすけの心音」
「えっ、ホント」
「ききたいでしょ」
「いいよ、土曜の検診のときで」
またまた、やんわりことわられてしまった。でも、すごくうれしそうだ。

6月18日、冷房注意。(妊娠11週6日)

 新オフィスは、なかなか快適だ。オフィスビルの3階にカフェがある。その奥にある個人ブースが、いまいちばんのお気に入り。デスクライトも、コンセントも準備されているので、ノートパソコンをもっていけば、いつでも自由に作業できる。図書館のような空間に、おしゃれなBGMが流れる。気もちよく集中できる場所だ。ほんの数日のあいだに人気が出てしまったようで、満席になっていることも多いけれど。スキあらば、ブースで企画をしている。
 が、そんなお気に入りの場所でも、1時間もいると出たくなる。エアコンでからだが冷えてしまうからだ。ウチにいるとき、エアコンは28℃、ドライに設定するようにしている。エアコンをつかわないで済むときは、扇風機だけですごす日もある。外にいると、そんなわがままはできない。いろいろな状況にあわせて自分をかえていくしかない。からだが冷えきってしまう前に、テラスのテーブルに移動する。外気を吸ってリフレッシュすれば、からだがぽかぽかしてくる。数分でできる冷え対策。仕事が休めないときにも有効だ。気もちがラクなほうを選ぶこと。ムリをしない。女医さんの助言を思いだした。

 妊娠する前はシャワーだけで済ませることも多かったが、なるべくお風呂につかるようにしている。からだのあったまり方が、ちがうんだそうだ。湯の温度は40℃、ぬるめに設定している。いままでなら42℃で、がんがん汗をかいていた。いまは、ゆっくりあったまりたい気分。からだにたまった冷えと疲れとストレスを、じっくりいやしたい気分。ミネラルウォーターを準備して、湯船につかりながらチビチビのむ。ゴクラク、ゴクラク。防水CDプレーヤーで音楽をきいたり、雑誌を読んだりもする。すごし方は妊娠前とかわらないが、入浴時間は、以前にくらべてずいぶん短くなったと思う。スーパー銭湯が恋しくなることもあるけれど、気ままなウチ風呂をこのままたのしんでいよう。

6月17日、泣く子に愛情。(妊娠11週5日)

 妊娠する前といまをくらべると、あきらかに子どもに対する気もちがかわってきたと思う。たとえば、新幹線やレストランのなかで、赤ちゃんが泣いているとき。以前なら、ムッとしながら見ていたにちがいない。赤ちゃんは泣くのが仕事だし、どんなに気をつけていても、いちど泣きはじめたらとまらないことだってある。それは、わかっているけれど。なんとかならないの、と、視線で不満を訴えていたと思う。もちろん、子どもはかわいいし、友だちの子どもをあやすのもハッピーだけど。自分をあわせているカンジ、というか、あとからどっと疲れるカンジ、というか。わたしが子どもだったのかもしれない。
 それが、いまはちがうのだ。ごめんね、ゆるしてね、という、せつない気もちでいっぱいになる。おなかがすいたのかな。あついのかな、さむいのかな。うんちやおしっこが、したくなったのかな。気もちわるいのかな。どっかが痛かったり、かゆかったり、するのかな。なにかをこわがっているのかな。まだ言葉を知らない赤ちゃんのメッセージをきいてあげたいと思う。ついついそんな目で親子をじっと見てしまう。そんなわたしを見て、だんなは笑っている。

 母はつよし、と、つくづく思ったことがある。以前、だんながいつもお世話になっている後輩女子たちと、みんなで海へあそびに行った。そのうちのひとりが赤ちゃんをつれて夫婦でやってきた。あずけると泣いてたいへんなことになるそうだ。ご主人が、ぼくはドライバーとベビーシッターに徹しますから、という。たまにはふたりでデートしておいでよ、と、みんなで赤ちゃんをあずかることにした。ふたりが視界から消えたとたん、赤ちゃんが、ぎゃあ、と泣きはじめた。泣きはじめると、とまらない。声がかれているのに、泣きつづけている。このままだと、過呼吸になりそうだ。そうか、たいへんってこういうことだったのか。ごめんなさい。どうしようとまらないよどうしたらいいの、と、あわてているところで、ふたりがようやくもどってきた。後輩は、満足気だった。
「いっぱい泣いちゃったねー」
よし、よし、よし。ぽんっと、彼女が背中をたたくと、ぴたっと、赤ちゃんが泣きやんだ。あららら、さっきのパニックがうそみたいだ。
「心配かけてごめんね」
後輩があやまっている、赤ちゃんではなく、みんなに。なんにもできなかったのに。こっちこそごめんなさい、なのに。彼女がいうには、泣いても30分くらいは泣かせておいていいそうだ。そうだったのか。うーん、母はつよし、だ。

6月16日、新オフィス。(妊娠11週4日)

 きょうから、新オフィスに通勤する。いつもより10分早めに家を出た。だんなもいっしょに家を出た。駅まで歩きながら、会話のつづきをする。
「いいねえ、新オフィス」
「きっと、ダンボールまみれだよ」
「あせってムリしないように」
「のんびりやるよ」
新橋で地下鉄にのりかえて虎ノ門に向かう。いままでは銀座だったので、ひと駅逆の方向だ。けっこう混んでいる。月曜日だからかな。毎日この状況だったら、時間帯をちょっとずらしたほうがいいかも。早めに行こうかな。ぼんやり考えながら歩いていたら、あっという間にオフィスビルが見えてきた。

 上司からきいたとおりに入館カードをつかって、フロアに到着。あたりまえのことでも、初日はドキドキ。仕事場も心なしか興奮気味だ。キャビネットの近くにダンボール箱が積まれている。キャビネットは6人が分けあってつかうのだが、わたしは運よくいちばん下の棚をつかわせてもらうことに。さっそく箱を開けて書類をかたづける。午前中には終わらせたい。おっと、あせってはいかんぞ。収納に手間どっていると、近くにいた先輩がマスクをくれた。
「空気よくないから、気をつけたほうがいいよ」
先輩は5歳ほど年上の大柄な男性だが、細やかな気くばりを忘れない。アレルギーをもっているので、ふだんから健康に気をつけているそうだ。
「ありがとうございます」
もらったマスクをつけて、再び、かたづけはじめた。かたづけながら、健康について気をつけていることを考えてみた。食事、外食が多い。睡眠、不足している。生活、不規則になりがちだ。ストレス、ためないように心がけているが実際はどうだろう。リスクを意識するか、意識しないか。それだけでずいぶんかわってくるはずだ。先輩のマスクが、その大切さを教えてくれた。

6月15日、サッカー応援。(妊娠11週3日)

 ワールドカップがはじまってから、寝不足気味だ。日本とブラジルの時差は12時間。真夜中か、早朝に、はじまる試合が多い。1時、4時、5時、7時スタートがほとんどだ。そんななかで、なぜか、日本対コートジボワール戦だけが、現地では遅く、日本ではちょうどいい時間にスタートする。ブラジルは22時だ。寝る時間じゃないか。選手は集中できるだろうか。という、気もちさえもふっとんでしまうほどの、緊張感にちがいない。がんばれ、みんな。

 だんなはビール、わたしは麦茶でスタンバイ。いよいよキックオフだ。いい流れになってきたぞ、日本。いける、いける。強気で攻めていこう。前半16分、長友選手からパスを受けとった本田選手が、先制ゴールを決めた。本田さん、かっこいい。一気に盛りあがってきた。このままいったら、勝ち点3。このまま、このまま。いつのまにか、がっちがちの守備に入ってしまった。
 後半17分、1点を追うコートジボワールが選手交代でドログバ選手を送りこんだ。わきあがる歓声。空気が、かわった。これがカリスマか。と、思ったのもつかの間、19分、ボニー選手のゴールで同点にされると、わずか3分後の21分にはジェルビーニョ選手に決められてしまった。脱力。まもってばかりじゃだめなんだ。もっと、自然体に。まるで、自分を見ているようだ。

 母からメールがとどいていた。
「ゆうべ、名医が出演するテレビ番組で、産婦人科の女医さんがアドバイスをしていたよ。妊娠中は、むやみにシップをつかわないこと。まずはお医者さんに確認をするように。血管を収縮させる、赤ちゃんによくない成分が、入っているかもしれないんだって。日光を、よく浴びること。ビタミンDがつくられて、赤ちゃんがじょうぶに育つらしいよ。たべすぎないこと。皮下脂肪がつきすぎると、産道にもよくないからね。ふえても10キロを超えないように。忘れないようにメモしました。もう知っているかもね。参考にしてみてね」

6月14日、精をつける。(妊娠11週2日)

土曜日だ。いつもなら、ホットヨガで汗を流して、帰りにおいしいランチをたべているはずだ。かわったんだなあ。と、あらためて感じる。
「おいしいランチ、たべに行こうよ」
だんなが誘ってきた。
「ヨガ、どうするの」
「たまには、お休みしたいな」
ごはんに行ったら、ついついビールをのんで酔っぱらってしまうからだ。ヨガのあとでランチをたべる、が、いつもルールになっていた。
「あしたは、行くのかな」
「行く、行く」
ひさしぶりに、ランチデートだ。おいしいごはん、たべに行こう。

「うなぎ、たべに行こうか」
以前から行きたかった店がある。だんなの知らないところだ。
「いいね、いいね」
「ウチから歩いて15分くらいのところにあるんだけど」
「ウォーキングにちょうどいいね」
お店につくと、おやじさんがまだ下ごしらえをしているところだった。
「バイトがくるまで待って」
「はい」
近くをぶらぶらしながら待った。これもウォーキングだ。

「カンパイ」
だんなはビール、わたしはノンアルコールビールで乾杯した。妊娠してからというもの、ノンアルコールビールには、ずいぶんお世話になっている。何人の女性がこの飲料にすくわれたことだろう。こんなすばらしい商品を開発してくれて、ありがとう。この時代に妊娠してよかった。ビールが、うまい。
「うな重の上と梅」
「骨からあげ」
「きも焼と、うな串も」
ふたりなのに、たのみすぎてしまった。それでも、たいらげた。
「うなぎ、最高」
元気よくウォーキングしながら、家路についた。

 帰ってからパソコンに向かっていると、衝撃的事実に出くわした。
「妊娠中は、うなぎやレバーをたべすぎないで」
内閣府食品安全委員会がまとめた報告書によると、妊娠3か月以内または妊娠を希望する女性が、ビタミンAを1日5000IU以上、過剰に継続的に摂取することは禁忌としている。うなぎやレバーには、ビタミンAがたっぷり含まれている。毎日たべるとよくないらしい。たべすぎに、気をつけよう。

6月13日、上司に報告。(妊娠11週1日)

「やっぱり、信頼できる人に話そうかな」
「それがいいね」
職場への報告は、安定期までひかえるつもりだった。そう思っていたら、たまたま、きのうの夜、だんながマタニティ雑誌の元編集長だった友人とのんできた。そのときに、早めの報告をすすめられたらしい。日本の企業は、まだまだ妊婦に対する理解が足りないところも多い。自分から率先してリスクを避けるくふうをしたほうが得策ですよ、というわけだ。たしかに、そうかもしれない。高齢出産だからぎりぎりまで言いたくない、という気もちとせめぎあう。どうしよう。でも考えてみれば、高齢初産に安定期はないだろう。ただでさえハイリスクの妊娠であることは、まちがいない。これからなにかと迷惑をかけることがあるにちがいない。おない年の経験者は残念ながら近くにはいない。いざというときにすぐわかる人がいてくれると心づよい。相談しよう、そうしよう。

「あの、ちょっと、いいですか」
さっきまでオフィス引越しの注意事項をアナウンスしていた上司に、声をかける。いわなくちゃ、と思うと、ついつい顔がこわばってしまう。
「入館カード、なくすなよ」
「気をつけないと、ですね」
「で、なぁに」
「じつは、わたし、妊娠しまして。いまちょうど11週めです。予定日は来年の元旦になるそうです」
一気に話してしまった。緊張がほどけた。おたがい、笑った。
「おめでとう」
上司が手をさしだしてきた。がっつり、握手した。
「よかったな、で、いいんだよね」
どこまでも気をつかってくれる。やさしい上司だ。
「よかった、です」
「いくつだっけ」
「44です。母からもラストチャンスっていわれちゃいました」
「あははは」
「仕事はつづけたいと思っています」
「ムリするなよ」
「ありがとうございます」
このあと、報告しなければならない人が、いっぱいいる。なかには報告しにくい人もいる。高齢妊娠をネタにしそうな、おしゃべりな人もいる。
「つぎの検診、いつなの」
「来週の土曜日です」
「1週間後か」
「12週めに入りますね」
「まだ時間がある、な。その検診が終わってから、上にいおうか」
「はい、そうします」

6月12日、11週0日。(妊娠11週0日)

 きょうでちょうど、11週めをむかえる。きのうから、きこえなかった心音のことばかり気にしている。もうひとつ、気になっていることがある。おなかの張りだ。朝からつよい張りを感じたことは、いままでなかった。超音波ドップラーをつかっていたときに、冷やしてしまったからではないだろうか。いまさら後悔したって、あとのまつりだ。くよくよするな。そう自分にいいきかせながら、仕事場にむかった。でも、やっぱり、気になってしまう。そうすけは元気でいるだろうか。いつもより早めに出勤したら、だれもいなかった。そうだ、今週末に会社まるごと引越しをするんだっけ。資料やら、書類やら、ダンボール箱が積まれている仕事場をとびだして、外で打合せや企画をしている人もたくさんいる。これはチャンスだ。病院で企画を考えよう。さっそく近くの病院に電話で予約を入れた。夕方の打合せまでにもどれば、なんとかなる。

「妊娠11週めなんですが、朝から、おなかが張っているみたいで。紹介状はありませんが、診ていただくことはできますでしょうか」
「初診ですか」
「はい」
「11時までに受付で手つづきいただければ、だいじょうぶです」
「いまから、30分以内に行きます」
「ありがとうございます。ただ、早くきていただいても、すでに予約を入れていらっしゃる方を優先しますので、2時間ほどお待ちいただくことになるかもしれません。それでもよろしいでしょうか」
「かまいません」
「では、お待ちしております」
さっそく病院に向かった。
 受付で手つづきをすませて、婦人科のコーナーに行くと、カウンターにいた若い女性がテキパキと応対してくれた。
「すみません、ただいま予約が混みあってまして、1時間ほどお待ちいただくことになります」
2時間ほどかかるときいていたので、ラッキーだ。
「食堂に行ってきます」
「もどったら、ここでもういちど声をかけてくださいね」
「わかりました」
待っているあいだに、納豆定食をたべて満腹になってしまった。企画を考えるつもりだったのが、眠気を覚ます方法ばかり考えていた。

「もどりました」
10分ほど前にもどって、40分ほど待った。トータルで1時間30分待ったことになる。それでも、そうすけに会えるならたやすいもんだ。
「こんにちは」
診察室に入ると、肌のきれいな女医さんが、にっこりむかえてくれた。30代前半くらいだろうか。きのうからの経緯を話したあとで、さっそく超音波検査がはじまった。いつもより、ドキドキしてしまった。
「ちからを抜いてくださいね」
「すみません」
「ああ、動いていますね。元気ですよ」
活発に動いているそうすけに会えた。うれしいな。
「40ミリですね」
「よかった」
「順調ですから、この調子で」
今回は質問することをノートに書いてきた。それを見ながら話すのが恥ずかしくて、ひとつひとつ、思いだしながらきいてみた。
「11週めですが、仕事場にはいつごろ報告するといいですか」
「つわりがひどければ、早めに話して、まわりに協力してもらうのもいいですよね。でも、体調がよければ、安定期に入ってからでいいと思いますよ」
「すこし様子をみようかな」
「気もちがラクなほうを、選んでください」
「以前ホットヨガにかよっていましたが、安定期に入ったら、マタニティヨガをはじめようと思っています。高齢ですけど、だいじょうぶですか」
「もちろん。でも、ムリはしないでくださいね」
「はい」
「しんどいなと思ったら、すぐに休みましょう」
「7月の後半に宮古島に行く予定だったんですが、やっぱり飛行機での移動はやめたほうがいいですか」
「旅行ですか」
「はい、友だちに会いに行こうかと」
「体調がよければ、だいじょうぶですよ。そのときのコンディションにもよりますよね。飛行機については、体験者の声など、ご自身でも調べてたしかめてみてください。けっきょく決めるのは本人ですから」
「わかりました」
「ムリはしないでくださいね」
「いろいろ気になることがあって、いま週1のペースで超音波検診をうけていますが、これって、じつは、よくないんでしょうか」
「だいじょうぶですよ」
「ほかに、気をつけたほうがいいことはありますか」
「とくにありません」
「そうですか」
「あ、ひとつだけ。心配しすぎないこと。いまを、たのしんでくださいね」

6月11日、エンジェルサウンド。(妊娠10週6日)

 とうとう、通販でゲットしてしまった。家庭用の超音波ドップラー。なんと赤ちゃんの心音がきけるらしい。ジェルと電池がセットになって、送料込み5,000円ちょっとだった。ま、いつでも心音をきけるなら、お安いもんでしょう。つぎの検診までまだ1週間もあるんだと思うと、心配で、心配で。そうすけが元気にしているか、こっちから、インタビューしてしまおうじゃないか。
最初、ジェルだけがとどいて、がっかり。翌日、本体がやってきた。商品はアメリカ製だけど、取扱説明書の日本語訳がついています、とのこと。箱を開けてみると、A4サイズの紙が1枚入っていた。日本語が書いてある。これが取説の和訳なのか。シンプルすぎる文章で意味がわかりにくい。けっきょく実際につかった妊婦さんのブログを参考にしながら、ためしてみることにした。
つかいかたは、カンタン。電池をセットして、付属のヘッドフォンを本体の側面にある2つの穴のどちらかに差しこんで、スイッチをまわしてオンにする。これで準備完了。穴が2つあるのは、2つのヘッドフォンをつかってふたりで心音をきくこともできるように設計したから、だそうだ。なんてステキ。だんなを誘ってみたら、あとでね、と、やんわりことわられてしまった。

おなかにジェルをたっぷりぬって、本体のウラ面にある突起部をあてながらゆっくりすべらせる。なんにもきこえない。恥骨のすぐ上のあたりを左から右に探っていく。すこしずつ、すこしずつ。あ、きこえた。恥骨の右上あたりで音を感じる。シュン、シュン、シュン、シュン。心音かな。いや、でも、待てよ。赤ちゃんにしては、テンポが遅すぎる。10週から11週は赤ちゃんの心拍がもっとも速く、1秒あたり2~3回のリズムで呼吸しているらしい。となると、この音はわたしの心音だ。なあんだ。でも、ちょっと感動。わたし、いま、生きているんだ。そうすけと、いっしょに。しばらく、自分自身の心音をじっときいていた。おっと、いかん。おなかが冷えてしまう。早く、そうすけの心音を探しださなければ。さらに1センチほど右に動かしてみる。ん、きこえた。さっきよりも速いテンポの音だ。シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。これは、臍帯音(さいたいおん)といって、へその緒を流れる血液の音、なんだそうだ。心臓が鼓動する音、いわゆる心音は、トコトコトコトコ、と、きこえるらしい。突起部を1センチほど下に動かしてみる。トコトコトコトコ。きこえた、かな。きこえた、気がする。やっぱり気のせいだろうか。もっとクリアにきこえたらいいのに。きこえない。きこえるまで、待ってみるか。おなかを冷やしてはならない。きょうは、このへんにしておこう。また、あした。