Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

6月10日、つわりがない。(妊娠10週5日)

「かわりないですか」
母からメールがとどいた。わたしがはたらいていることもあり、よっぽどのことがないかぎり、母とは電話ではなくメールで連絡をとるようにしている。
「だんだんからだが重くなるけれど、あまりたべすぎて、あなたの体重がふえすぎないように気をつけなさいよ。便秘が気になっているなら、油をつかう料理には、オリーブオイルをつかってみるといいよ。カルシウムも、しっかりとらなくちゃね。静岡の末子おばちゃんに、桜えびとしらすを送ってもらうから。気をつけて、1日1日をすごしなさいよ」

 わたしには、つわりらしいつわりがない。母のときはつわりがたいへんだったらしい。どうやら、つわりは遺伝しないようだ。10週めといえば、つわりがピークをむかえるころ、と、きいている。なにをたべても、いつもどおりだ。いままでとくらべて、すききらいがかわってきた、と、いうこともない。ただ、以前よりも、においがよくわかるようになってきた気がしている。
 においで、雨の気配に気づくようになった。電車にのっていると、そばにいる人の体臭をかぎわけることができる。アルコールやタバコだけでなく、この人はさっき打合せでコーヒーをのんでいたんだな、とか、クリアに想像できるようになった。この特技をなにかに活かせればいいのになあ。雨の日で電車が混んでいるときには、においが混ざりあって、くらくらするくらいだ。
 調べてみると、においにビンカンになるのも、妊娠初期に見られるつわりの症状のひとつらしい。そういえば、まだ妊娠に気づいていなかった6、7週のころ、いつもかよっているホットヨガのスタジオを、汗くさい、と感じていたのを思いだした。インストラクターに、いわなくてよかったな。スタジオの環境がわるいわけじゃなかったんだから。からだの変化だったとは。それにしても、妊娠初期のデリケートな時期に、よく気づかずにホットヨガをつづけていたもんだ。気もちよく汗をかいていたけれど、そうすけにとっては、試練をうけているようなもんだ。ごめんよ、そうすけ。克服してくれて、ありがとう。

 においのほかにも、以前とくらべると、いくつか、かわったと感じることがある。ときどき、つよい眠気を感じるようになったこと。おなかを引っぱられるような、キューッとつっぱる感覚があること。おっぱいが張って、バストサイズが大きくなったこと。おっぱいの張りは、妊娠に気づく前から気になっていた。わたしの場合は、この張りがきっかけで超音波検査をした。おっぱいが妊娠を知らせてくれたといっても、いいすぎではないだろう。
 おっぱいの張りといえば、そうすけにあやまっておかなければならないことがもうひとつある。ホットヨガでうつぶせのポーズをとるたびに、胸が押しつけられて、くるしくて、呼吸が乱れそうになった。そこで、胸が浮きあがるように恥骨をグーッとつきだしながらからだを支えていた。そうすけには、よけいな負担をかけていたにちがいない、と、いまさらながら申しわけない気もちになる。それをものりこえてくれたことを思うと、感謝してもしきれない。

6月9日、そうすけ。(妊娠10週4日)

「おーい、きこえるかー」
おなかに向かって、だんなが声をかけている。まだ早すぎると思うけど。耳や目や、舌など、おなかの赤ちゃんの感覚器官は、妊娠10週までにはかたちができているらしい。でも、それらの器官が機能をもつようになるのは、だいたい20週から25週にかけて。各器官の神経ができて、脳としっかりつながるタイミングだ。それまでこれらの器官は、いったん閉じた状態となる。まわりのよけいな刺激を避けているのだろう。だから、赤ちゃんはまだ音がきこえないはずなのだ。それにもめげず、だんなは声をかけつづけている。

「そうすけ、元気かー」
いま、そうすけって、いったよね。もう、名前つけちゃったんだ。
「そうすけっていうんだ」
「聡に介って書いて、そうすけ。いいでしょう」
「女の子だったら、どうする」
「そうすけこ」
そうすけこ、って、ちょっと強引なんじゃないかな。
「いいよ、そうすけで」
性別を確認できるのは、早くても妊娠16週ごろから。確認がしやすくなるのは妊娠24週前後といわれている。男の子も、女の子も、どちらもウェルカムだ。まだまだ、時間はたっぷりある。名前はゆっくり考えることにしよう。

「やったね、そうすけ」
そうすけ。きょうから、きみは、そうすけだ。
「おやすみ、そうすけ」
いつのまにか、わたしも、赤ちゃんのことをそうよんでいた。そうすけ、この名前をよろこんでくれるのかな。このまま、決まっちゃったりするのかな。

6月8日、検索マニア。(妊娠10週3日)

 すこしでも時間ができると、パソコンに向かって検索ばかりしている。仕事で調べものをすることが多いので、くせになっているのかもしれない。
 高齢出産 初産
40歳で初産、不妊治療をやめて子どもをあきらめたときに自然妊娠した女性に遭遇。わたしも、38歳から42歳まで不妊治療にかよっていた。仕事をしながら通院するのは、思ったよりもたいへんだった。 それでもチャンスがあればと時間に追われながら婦人科にかよい、投薬治療をつづけていた。それがかえってストレスになってしまったのだろうか。 妊娠のきざしは、いつまで経ってもみられなかった。薬が合わないこともあって、42歳の誕生日をむかえたときに、だんなに話そうかどうか迷っていたことを正直に話した。
「もう、やめてもいいかな」
そのときだんながどう答えたのかは、おぼえていない。きっと、思いつめた顔をしていたのだろう。意外なほど、あっさり賛成してくれた。
「ふたりでダイビングに行こう」
「一生かけていろんな海に行きたいね」
夫婦だけで暮らすメリットを語りはじめた。さびしいだとか、残念だとか、そういう感覚はまったくなかった。ただ、縁がなかっただけのこと。わたしらしくたのしんで生きれば、しあわせだ。だいじょうぶ。そう思っていたところに、妊娠の事実をつきつけられてしまった。うれしい。でも、こわい。40歳で初産の彼女も、それは、とまどったことだろう。産むまでは不安や迷いの連続だった、と書いている。42歳で初産の人もいた。43歳で初産の人も。40代で出産している人は確実にふえている。それでも、わたしより年下の女性が圧倒的に多いようだ。45歳の出産は、実際のところ、どうなんだろう。
 45歳 初産
高年齢の初産で不安です、と電子掲示板に投稿している、おない年の女性が見つかった。1年前に投稿している。 60本以上のレスポンスがきている。やりとりをじっくり読んでみよう。40歳で結婚したばかりの人、43歳初産でこれから出産をする人、45歳初産ですでに出産した人、48歳初産でふたごを出産した人、49歳で初産だった人、みんなが45歳の初産で不安な彼女にエールを送っている。読んでいて、わたしも心づよくなってきた。 みんな不安をのりこえてきたんだ。きっとうまくいくはず。そんな気もちも、投稿者の彼女が最後に書いたコメントでたちまち、ふっとんでしまった。
「残念ながら、赤ちゃんは流産と判断されました」
 妊娠10週 流産
妊娠10週め以降の流産の確率は、どのくらいあるんだろう。流産はすべての妊婦の15%にみられ、そのほとんどが12週までに起こるそうだ。妊娠12週までの早期流産が13~14%、妊娠12週から11週までの後期流産が1~2%。流産率は、母体の加齢にともなってふえてくる。加齢はしかたがないとして、まずは12週をのりきることが、ひとつの目安になりそうだ。
 妊娠10週 注意
気をつけることは、シンプルだ。アルコール、タバコをやめる。カフェインはなるべくひかえめに。水分はしっかりと。食事はバランスよくとる。重いものをもたない。 旅行やはげしい運動をひかえる。薬を服用するときには医師に相談する。気にしすぎない。とにかく、ムリをしないことだ。気もちいいと感じることだけを、つづければいい。ホットヨガはしばらくお休みして、安定期になったらマタニティヨガをはじめよう。運動不足が気になっても、しばらくはウォーキングで解消しよう。なんくるないさ、のノリでいこう。
 妊娠10週 エコー
といっても、わたしの赤ちゃんは、だいじょうぶだろうか。実感がないだけにどうにも気になる。エコー写真を見てみよう。10週0日、27ミリ。10週0日、37ミリ。大きな子は、大きいなあ。10週1日、32ミリ。10週1日、28ミリ。10週1日、35ミリ。10週2日、33ミリ。また10週2日で、30ミリ。大きさには、個人差がある。考えてみれば、たった数ミリのちがいにすぎない。こんなことで一喜一憂するなんて、意味ないかも。
 分娩 都内 おすすめ
分娩する病院を、どこにするか。高齢出産になると、若い出産にくらべてかかる費用もかわってくる。出産費用は病院や助産院にもよるが、だいたい40万円から60万円ほど。帝王切開や切迫早産による出産になった場合には、普通分娩とはちがって、健康保険がきくそうだ。ありがたや。ただし、入院日数が長くなったぶん、まるごと入院費用がふえてしまう。10万円から20万円は多めに見積もっておいたほうがいい。となると、セレブな産院で出産だとか考えただけでも、ぞっとする。いざというときのことも考えて、麻酔科やNICUがしっかりしている総合病院がいいだろう。もうすこし、調べてみよう。

6月7日、セカンドオピニオン。(妊娠10週2日)

 きょうは、土曜日。いつもなら、ホットヨガに行って、帰りにお気に入りの店で遅めのランチをたべているところだ。ヨガのあとにのむビールは、格別のごほうびだ。ぐいぐいからだに吸いこまれていく。この快感は、だれがなんといっても、やめられない。やめられなかった。でも、きょうからしばらくのあいだはおあずけだ。なにをして、すごそうかな。
 婦人科に行こう。
きのう質問したくてもできなかったことが、たくさんある。きのう行った婦人科は2週間後に予約を入れている。連日で行くのもヘンかな。だったら、近くにある別の婦人科にしてみよう。自宅から歩いていける婦人科をネットで検索した。口コミはどうだろう。どうせ行くなら、評判のいいほうがいい。さっそく電話をかけてみた。
「あの、いまから診察にうかがえますか」
「予約がいっぱいでして」
「あしたも、むずかしいですか」
「すみません、2か月先まで予約がいっぱいでして」
「ああ、そうですか」
口コミで評価が高いところは、どこも予約でいっぱいだった。けっきょく口コミが1件もない婦人科に行くことにした。電話に出てきたのは明らかにわたしより年上の女性で、アジアなまりの話し方が印象的だった。
「1時半までオーケーですよ、いますぐ来て」
「はい、行きます」
自宅から歩いて10分ほどの婦人科だった。入口の自動ドアが故障していてメモが貼ってあった。
「自動ドアは動きません。左に引くと開きます」
ものすごくアットホームな婦人科だな。
「こんにちは、先ほどお電話した…」
「神戸さんですね」
白衣を着た50代半ばくらいの髪の長い女性があらわれた。ほかには、だれもいない。先ほどの電話に出たのは、この女医さんだった。
「さっそく、診てみましょう」
診察室に案内されると、すぐに超音波検査がはじまった。
「元気、元気。起きているよ」
モニターに赤ちゃんの白い影が映しだされた。へその緒につながれて、白くて小さな影がふわりふわり浮いている。宇宙遊泳みたいだ。
「心臓とか、ちゃんと動いていますか」
「あたりまえですよ。ほら、そんなこというから、おこってるよ」
白い影が、パンチをしている。シャドーボクシングだ。
「うわ、動いてる」
「20分おきに寝たり起きたりするんですよ。起きててラッキー」
「かわいいですね」
「テディベアみたいでしょ」
しばらくモニターを観察していた。どのくらい見ていただろう。そのあいだ確実に、赤ちゃんに対する愛情がわいている。31ミリ。予定日はやっぱり、来年の元旦になりそうだ。けっきょく質問することを忘れてしまったが、それはそれで満足のいくセカンドオピニオンになった。

 帰りに母へメールを送った。
「セカンドオピニオンに行ったよ。こんどは起きていて、パンチみたいなポーズで動いていたよ。予定日はやっぱり、来年の元旦らしいよ。運動って、どこまでやっても、いいのかな。おとなしくしていたほうが、いいのかな」
しばらくすると、返事がきた。
「もういちどほかの病院で、診てもらったわけね。よかったね。ふつうにすごしたら、いいんだよ。はげしい運動をしたり、飛び降りたり、つまずいて転んだりしないように、気をつけるんだよ。あなたたちの趣味のダイビングは、お休みしたほうがいいよ。海に飛びこむし、からだが冷えるからね。妊娠したからといって、神経質にならなくていいからね。産むまでは、みんな、おんなじ道をとおるんだよ。かぜをひかないように、からだには気をつけなさいよ。とにかく、健康がいちばんだからね」
 だんなにもおなじメールを送ったら、返事がきた。
「よかった。ふたりの家族も最高だけど、もっともっと最高の家族になろう」

6月6日、妊娠発覚。(妊娠10週1日)

「じゃあ、念のため、診ておきますか」
そういって超音波のモニターをのぞいたところで、かかりつけ医の先生がぼそっとつぶやいた。
「あれっ、いるわ。赤ちゃん」
えっ、先生、いまなんていったの?
「おめでとうございます。妊娠10週めですよ」
「あ、ありがとうございます」
一瞬、全身の体温がぐっと上がった気がした。落ちつかなければ。
「どんなカンジですか」
落ちつかなければ。
「30ミリありますよ、順調ですね。このまま様子をみましょう」
「は、はい」
質問したいことがいっぱいあるけれど、ノドにひっかかってしまって、なんにも出てこない。先生は冷静に話をつづける。
「予定日は、来年の1月1日ですね」
「元旦ですか」
めでたいですねえ、と、そばにいた看護師さんがいっしょによろこんでくれた。
「どこで分娩するか、早めに決めておいたほうがいいですよ」
元旦といえば、家族があつまってお祝いする日。今年の元旦は、母と兄夫婦とだんなとわたしで、琵琶湖のほとりにあるホテルに泊まって、のんびりすごしたなあ。父が眠っているお寺におまいりに行って、湖岸をおさんぽして。来年の正月は、どうしよう。いま6月だから、今月の終わりごろにはそんな話をするタイミングだ。カウントダウンを病院のベッドでむかえることになるのかなあ。まったくイメージがわかない。
「はい、わかりました」
わかってないだろ、と、こころのなかでツッコミを入れながらこたえた。このあと、再び採血をして、尿検査の尿を提出して、会計を済ませた。

再び採血をして、と書いているのは、もともと採血をしたのが別の理由だったからだ。3月25日を最後に、ずっと生理が来ていない。
閉経かも。
そう思っていた。ネットを見ると、40代前半でも更年期障害や閉経をむかえる人がふえてきている、と書かれていた。44歳、こんどの誕生日で45歳になる。母は早すぎるというけれど、婦人科の先生も、閉経の可能性を否定はしなかった。先生は聖路加出身のベテランで、50代後半くらいの男性だ。
「40代ですから、病気ではありません」
はげまされているような、ふしぎな気分だった。採血してホルモンバランスを調べましょう、と、いわれた。そのための採血だったのだ、もともとは。それが数分後には、妊娠の感染症を調べることになろうとは。

 会計を終えるやいなや、母に電話した。
「母さん、わたし妊娠したよ。閉経じゃなかったみたい」
「妊娠、あなた何歳だっけ」
「44歳」
「そっか、すごいね。神さまがくれた、さいごのチャンスだよ」
「うん」
「おめでとう」
「うん」
「からだ気をつけなさいよ」
「うん」
ありがとう、という言葉が出てこない。小さいころよく母から、ありがとうをしなさいって、しかられていた。うれしいことがあると、感謝することを忘れてよろこんでしまうのだ。こんなわたしが、ちゃんと母になれるのかな。
「聡さんには、もう伝えたの」
「これから電話する」
「びっくりするだろうね、きっと」
「うん」
「よろこんでくれるよ」
「うん」
母はポジティブだ。母になったら、こんなふうにポジティブになるのかな。
「びっくりしないできいてね、っていうんだよ」
「かえって、びっくりしそう」
「あっはっは」

 だんなの携帯電話に連絡する。聡さんだ。
「あのね、これからいうことを、びっくりしないできいてね」
母にいわれたとおりに、いってみる。
「あぁ、はい」
「わたし、妊娠したんだ。10週め。順調だって」
「えっ、えっ、ホント。おめでとう」
「びっくりしちゃったよ」
自分のほうが、びっくりしているじゃないか。
「教えてくれて、ありがとう。きょうは帰りがちょっと遅くなるけど」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
その夜、だんなは、いつもよりも早く帰ってきた。