12月13日、見まもりたい。(妊娠37週2日)

「うわー、ごぶさた」
「元気にしてたー?」
「うん、元気元気ー」
「大きくなったねえ」
おなかをなでなでされながら、ごあいさつ。ひさしぶりに友人と会う。おない年だけど、高校生の息子さんがいるたよりになる先輩ママだ。産んだころのことなんて、もうすっかり忘れちゃったよー、と彼女は笑う。いまも息子さんと毎日が学びの連続だそうだ。そのへんをいろいろと、教えてもらおう。

「赤ちゃんって、自らの意志で生まれてくるんだって」
「自らの意志」
「そう。そうすけくんも、きっと、つよい意志をもっているんだよ」
「つよい意志、かあ」
赤ちゃんがおなかのなかから出ようとするとき、子宮がせまくなり、赤ちゃんの首は、ぎゅうっ、と絞めつけられる。そのうえ、へその緒からの酸素供給もなくなるため、まさに窒息している状況だ。子宮は1分間ほど収縮する、といわれている。そのあいだ、赤ちゃんは酸素をとることができない。それが、なんども、なんども、繰りかえされる。この苦しさを耐えしのいだ赤ちゃんだけがこの世に出てくるのだ。これを耐えられなければ、生きることはできない。

 陣痛をおこすホルモンは赤ちゃんから分泌される、といわれている。もっとも自分にふさわしい日を選んでホルモンを分泌するらしい。セルフプロデュースなのだ。いきなりつよい陣痛をおこすのはからだによくない、ということもちゃんと心得ていて、すこしずつホルモンを分泌していく。予定日をすぎるのにはいろいろな理由があるけれど、赤ちゃんがいまの母体や自分の状態では生まれるときになにか障害がありそうだ、と察知して、ホルモンの分泌をよわめるらしい。赤ちゃんはこんなにつよい意志をもって、この世に出てくるんだなあ。

 どんな人だって、生まれたくて生まれてくる。ときには苦しいこともあるだろう。どうして生まれてきたんだ、と思い悩むこともあるだろう。それでものりこえられるちからをもって、人は生まれてきたのだ。だからこそ、いまここにいるんだ。そうあらためて思う。生まれるちからを信じていきたい。