12月23日、その日はやってきた。(妊娠38週5日)

 きょうはひさしぶりに、だんなのわたしが代筆します。それは、今年さいごの国民の祝日である天皇の誕生日を記念して、ではありません。その日がいきなりやってきて、いまかみさんは日記を書くどころではないからなのであります。その日とは。そう、出産です。きのうの夜は、わたしがはたらく会社の社長に入院する病院の保証人になってもらい印鑑を押した紙をわたし、かみさんの手料理をたべて、酔いのまわったわたしは先にベッドに入りました。

「あーーーーーー。出血してるーーーーーー」
と、とおくから声がきこえてめざめました。時計の針は、6時20分を指していました。あわててトイレへかけよると、たしかに出血でした。これが、おしるしってやつなのか。マタニティブックを開いて見ると、まさにおしるしであることがわかりました。念のため病院へ電話をしたところ、すこし様子をみてくださいとのこと。そこでマタニティブックに書かれていたとおり、風呂へ入るように提案してみました。おしるしのあと陣痛がくるまでには時間的にすこしゆとりがあるので、風呂に入ってからだをきれいにしながら、しっかりあたためてリラックスしよう、というわけです。けっきょく、これが夫婦ふたりでのさいごの晩餐につづく夫婦ふたりでのさいごの風呂になりました。

先に風呂を出たわたしが、身支度をととのえていたとき、
「ぎゃーーーーーー」
と、絶叫マシンにのっているような叫び声が脱衣所にひびきました。あわててかけよると、かみさんがかなりの量の出血をしていました。時刻は8時。ふたたび病院に連絡をしたら、検査にきてください、とのこと。すぐに電話をかけてマタニティタクシーをよびました。入院の準備が入ったスーツケースをとりだしてスタンバイ、8時20分にタクシーが到着すると、防水シートを敷いた席にのって病院へ向かいました。祝日の朝だからか道路も空いていて、約20分で病院に到着、救急の窓口で受付を済ませて産科病棟へと向かいました。すぐに尿検査をして3分くらい待つと、看護師の女性から、破水してますね、といわれました。マタニティブックの知識が満載のわたしは、おしるしから破水までが早すぎるんじゃないのかな、と感じました。とにかく分娩準備室へ入ることになりました。時刻は10時30分。入院患者への面会時間は14時から20時までのルールだとのこと。わたしはいったん家にもどることにしました。

 きょうが祝日で、ほんとうによかった。14時に病院へ行く前に、病院からちょうど徒歩10分のところにある会社へ寄り、あした以降の段取りのメールを仲間に送ってから病院へ向かいました。あまいものがだいすきなかみさんには、出産の途中で口にできそうな人気店のたい焼きを買っていきました。

病院に着くと、すでに、かみさんは苦しがっていました。
「たい焼き、たべる?」
ときいても、あーーー、とうなっていました。そばにいた看護師さんから、もう陣痛に入っていますよ、と説明をうけて、いよいよ出産というイベントの幕が切られました。義理の兄もすぐにきましたが、看護師さんから、出産まであと15時間くらいが平均です、といわれて、家の引越しも重なっている義理の兄には、また電話をします、と話してもどっていただくことにしました。

 それからはずっと、苦しそうにうなっているかみさんの腰を会社の後輩から教えてもらった、テニスボールもみ、でやわらげる、わたしにはそれしかすることがなく2時間がすぎていきました。途中でおなかの張りと胎児の心拍数を計測するパットを仕込む数分間以外は、無心でもみつづけました。時計の針が16時30分をすぎたところで、いよいよ決断の瞬間がやってきました。
「では、分娩室に行きましょう」
えっ。出産イベントがはじまって2時間30分。もう分娩室に行くなんて超スピード出産じゃないの。これなら、もみ作業からすぐに解放されそう。

 分娩室に入ると、テレビでよく見るような分娩台ではなく、ふつうのベットにちょっとアタッチメントをくわえたベットと、そばに水中出産できる浴槽が設置されていました。この病院は都内でも有数のスパルタ出産だといわれているけれど、出産方法はフリースタイルという概念をもっていて、妊婦さんがここちよい姿勢で自然分娩ができるようにあらゆる工夫をしているようでした。

 分娩というと、椅子に座って足をひろげる器械に足をのせてするイメージだと思っていましたが、かみさんは横向きになって陣痛にのぞみました。いままでにないうなり声をあげながら苦しんでいるかみさんの腰をもみつづけて、1時間30分。18時、いよいよ子宮口が全開しました。助産婦さんから、高齢で初産なのにすごく早いペースですねえ、とほめられてニンマリ。かみさんは苦しみのまっただなかでほとんど反応できなかったけれど、ヨガできたえたかいがあったね、と話しかけると、ほんのすこしほほえんでくれました。やったあ。これでほんとうに、もみ地獄から解放される。もうすぐ終わるんだ。

その状況が6時間以上もつづくとは、だれにも予想できませんでした。
「ぎゃーーーーーー」
かみさんの叫びで、第二幕がはじまりました。子宮口が全開、胎児の状態を調べるため産科医の先生が内診をしたときの叫び声でした。内診とは、産科医が子宮口をひろげて内部に触診をするものですが、かみさんをはじめ妊婦さんのほとんどがこれをいやがっているらしい。検診時に内診がきっかけで痛みや出血を起こすこともまれではないらしくとてもつらいものなんだそうです。
「ごめんなさい」
「すみません」
「やめてください」
悲痛なかみさんの叫び声が、なんども分娩室にひびきました。それからというもの、周期的にやってくる陣痛に対して、いきんでも、いきんでも、助産師の手が子宮口に近づく気配を感じると、かみさんは身をよじってそれを拒否するようになりました。またその萎えてしまった気力は、陣痛そのもののつよさも急速にうばっていきました。これまでの、スピーディー出産、というイベントが進行していた要因はかみさんの強靭な陣痛力にあったのに、その推進力をなくしてしまったのです。ジェット機の片側のエンジンがとまったように。

 横向きの姿勢、四つんばいの姿勢、あお向けの姿勢、と、さまざまな姿勢をためすもラストのわずか数センチがどうにもとおいものとなりました。21時をすぎると、助産師さんがひんぱんに分娩室を出入りするようになってきました。どうやら産科医の先生と相談をしているようです。スパルタ出産で知られるこの病院は、できるかぎり自然分娩をしてもらうことが母子ともによい経過となる、という強い理念があります。そんななかで苦渋の決断がされました。産科医の先生から、陣痛も弱くなり間隔も開いてきたので陣痛促進剤をつかいましょう、という提案でした。その表情から、ほんとうに苦渋の選択をしたのだという気もちが伝わってきました。選択肢を受け入れることにしました。

 22時から陣痛促進剤を入れはじめ、数値が60から、最終的には120という数値まであがりました。23時30分。陣痛促進剤をつかって、つよさでは効果が出ましたが間隔的にはそれほど効きめがなく、姿勢を和式トイレに座るようなスタイルにかえました。助産師さんから、じょうずですよ、と明るい声がかけられましたが、それでもゴールはほんとうにまだまだ先でした。

 助産師さんが、決意の表情で分娩室を出て行きました。ちょうど時計の針は12月23日に終わりを告げているところでした。クリスマスイブです。