6月17日、泣く子に愛情。(妊娠11週5日)

 妊娠する前といまをくらべると、あきらかに子どもに対する気もちがかわってきたと思う。たとえば、新幹線やレストランのなかで、赤ちゃんが泣いているとき。以前なら、ムッとしながら見ていたにちがいない。赤ちゃんは泣くのが仕事だし、どんなに気をつけていても、いちど泣きはじめたらとまらないことだってある。それは、わかっているけれど。なんとかならないの、と、視線で不満を訴えていたと思う。もちろん、子どもはかわいいし、友だちの子どもをあやすのもハッピーだけど。自分をあわせているカンジ、というか、あとからどっと疲れるカンジ、というか。わたしが子どもだったのかもしれない。
 それが、いまはちがうのだ。ごめんね、ゆるしてね、という、せつない気もちでいっぱいになる。おなかがすいたのかな。あついのかな、さむいのかな。うんちやおしっこが、したくなったのかな。気もちわるいのかな。どっかが痛かったり、かゆかったり、するのかな。なにかをこわがっているのかな。まだ言葉を知らない赤ちゃんのメッセージをきいてあげたいと思う。ついついそんな目で親子をじっと見てしまう。そんなわたしを見て、だんなは笑っている。

 母はつよし、と、つくづく思ったことがある。以前、だんながいつもお世話になっている後輩女子たちと、みんなで海へあそびに行った。そのうちのひとりが赤ちゃんをつれて夫婦でやってきた。あずけると泣いてたいへんなことになるそうだ。ご主人が、ぼくはドライバーとベビーシッターに徹しますから、という。たまにはふたりでデートしておいでよ、と、みんなで赤ちゃんをあずかることにした。ふたりが視界から消えたとたん、赤ちゃんが、ぎゃあ、と泣きはじめた。泣きはじめると、とまらない。声がかれているのに、泣きつづけている。このままだと、過呼吸になりそうだ。そうか、たいへんってこういうことだったのか。ごめんなさい。どうしようとまらないよどうしたらいいの、と、あわてているところで、ふたりがようやくもどってきた。後輩は、満足気だった。
「いっぱい泣いちゃったねー」
よし、よし、よし。ぽんっと、彼女が背中をたたくと、ぴたっと、赤ちゃんが泣きやんだ。あららら、さっきのパニックがうそみたいだ。
「心配かけてごめんね」
後輩があやまっている、赤ちゃんではなく、みんなに。なんにもできなかったのに。こっちこそごめんなさい、なのに。彼女がいうには、泣いても30分くらいは泣かせておいていいそうだ。そうだったのか。うーん、母はつよし、だ。