6月3日、親は子の鏡。(生後161日)

 仕事場の仲間と子どもの話で盛りあがるなんて、去年のいまごろは考えたこともなかった。未知なる一面に出会った感覚が、ものすごく新鮮だ。きょうも得意先からの帰り道、営業のKさんから息子さんとの体験を教えてもらった。息子さんはいま3歳。3歳にもなると運動神経が発達して、手足もずいぶん器用になるそうだ。ひとりで階段をかけのぼることもできる。お箸をもってごはんをたべることもできる。いいなあ。たのしそうだなあ。と、手放しでよろこんでもいられないらしい。なんでも握って投げるので、テレビには液晶保護パネルをつけなければならない。へぇーそういう商品があるんですか、ときくと、奥さんや奥さんのママ友のあいだで知らない人はいないという。つけていなければ、液晶が割れたり、修理が必要になったり、たちまちたいへんなことになってしまうのだ。

「液晶保護パネル、おぼえておかなくちゃ」
「そうそう、棒をもったらふりまわすから、気をつけたほうがいいよ」
「棒状のもの、ですか」
「棒状のものはなんでも、武器になっちゃうから」
「お父さんも、ぶたれたりするんですかね」
「する、する」
「家でくつろげないですよね」
「ホント、体力勝負よ」
子どもは、親のことをよく見ている。箸のつかい方を教えなくても、自分からつかえるようになっていてびっくりしたという。息子さんはたべることがだいすきで、たべものに関わることは親の協力がなくてもひとりでどんどん覚えてやってみようとする。そういえば先日も、こんなことがあったそうだ。りんごがどうしてもたべたかったのだろう、片手にりんご、片手にナイフをもってきて、これたべたい、と差しだした。いつナイフのありかをおぼえたんだろう。と、と、とにかく、こっちにわたして。あ、そのまま、そのまま。パパが受けとるまで動かなくていいからね。りんごをむいてあげながら、ナイフをしまって扉をロックまでしているのにどうやって開けたんだろう、とナゾは深まるばかりだった。親が開けているところを見て、覚えたにちがいない。まさに、親は子の鏡なのだ。