Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

2月16日、おふろでバブる。(生後54日)

 そうすけは、お風呂がだいすきだ。きょうも湯船につかりながら、うっとり目をつぶっている。だんなも、わたしも、この顔見たさに率先してお風呂に入れてあげようとする。どっちかが洗う係を担当して、どっちかが着がえ係を担当するため、みんなでいっしょに湯船につかってたのしむことはできない。残念ながら着がえ担当になったとしても、カメラを浴室にもちこんで撮影しているから、なんだかんだたのしんでいるのだが。今夜は、だんながカメラと着がえ担当で、わたしが入浴担当だ。先に浴室に入ってスタンバイする。

 お湯は、39度。サンキューだ。以前、助産院で産後ケアをうけているときに40度でためしたらそうすけが泣いたので、39度にしている。わたしはもっとあつめの湯がすきだけど、この温度にもだいぶなれてきた。そうすけといっしょに、リラックス、リラックス。ほおお。と、この上なくしあわせそうなため息をつくなあ。以前はぎゅっとにぎっていた手も、わたしの腕をさわったり、ぶらぶらしたり、できるようになってきた。首とおしりをささえて、ぷかぷか浮かしてあげると、気もちよさそうだ。だんなカメラマンが登場。

「いいねえ、そうすけくん。こっち向いて」
「うん、いいよ。すごくいい」
だんなカメラマンは、プロのカメラマンになりきっている。ヌードグラビアを撮影しているテンションになっていく。そうすけはあいかわらず、うっとり目をつぶっている。瞑想しているみたいだ。洗面台のシンクに入れていたころにくらべて、落ちついている。ずいぶんおとなになったなあ。こっち見てごらん、と、だんながパシャパシャ額にお湯をかける。見事に顔面に命中しているが、微動だにしない。きょうはこのへんにしておこうか。グラビア撮影、終了。

 さあ、洗いますよ。ベビー用ボディソープであたまから順番に汚れを落としていく。あたま、首、腕、胸、おなか、背中、おしり。と、そうすけの表情が一瞬くもった。ぶりりりっ。あ、バブった。黄色いうんちが、洗い場の床にするすると流れていく。おしり、もういちど洗おうか。おしり、足、おちんちん。お湯をかけて、すっきり。ぶりりりっ。あ、また、バブった。なにごともなかったように、そうすけは目をつぶっている。なにか見ましたっけ、とでもいいたげだ。なかったことにしてあげよう。どうかくせになりませんように。

2月15日、不意打ちにご用心。(生後53日)

「うわあっ、やられたー」
リビングから、だんなのさけび声がきこえた。どうやら、おむつをかえているあいだに、そうすけから攻撃されてしまったようだ。攻撃とは、おしっこの不意打ちのことである。きょうは、これで2戦め。すでに1戦めを終えて被害にあったふとんを回収、ちょうど洗濯機がフル回転しているところだ。おむつを交換しているときに男の子がおしっこしてしまうことはよくあるらしく、男の子キャップとか、おしっこキャップなどとよばれるグッズも売っているくらいだ。とんがり帽子のようなかたちをしていて、おちんちんにキャップをするようにかぶせてつかう。男の子の先輩ママにきいてみると、おむつがえにすぐなれちゃうから必要ないよー、と笑っていたので、いままでつかったことがない。たしかに、おむつをすばやくかえて攻撃のスキをあたえなければだいじょうぶだ。ちなみに、2戦めのおしっこはそうすけの顔に命中、ふとんは奇跡的に被害をまぬがれた。そうすけも、やられたー、にちがいない。

 いまつかっているおむつは、入院しているあいだにつかっていたものとおなじメーカーの紙おむつだ。股の前から後ろにかけてまんなかに黄色いラインが入っていて、おしっこをしてぬれると水色にかわって教えてくれる。不意打ちを受けるのはいつも、黄色いラインのときだ。うんちは出ても、おしっこが出ていないときだ。うんちはおしっこといっしょに出るものだ、とか、うんちはおしっこが出てから出るものだ、などと、おとなはつい先入観を抱いてしまいがちだが、そう思いこんでいると痛いめにあうわけだ。気をつけなければ。

 そうすけはこのごろ、おとな顔負けのおならをする。バブッと、大きな音をたてる。すずしい顔をしていても、すぐに犯人がだれかわかる。あまりにも特徴的なので、わが家ではバブるという動詞をつかうようになったくらいだ。おならをするとほとんどいつも、うんちがセットになっている。そうすけがバブったというときにはかならず、まずおむつをチェックする。すると、たいていうんちがある。こういうとき、不意打ちに注意しなければならない。おむつをかえることに集中しすぎて攻撃をあびると、たいへんなことになる。

2月14日、しあわせホルモン。(生後52日)

 そうすけをだっこして、あやしていると、わたしまでほっとリラックスした気もちになる。ほっぺとほっぺをくっつけたり、あたまのてっぺんをくんくんしたり。肌のやわらかさを、ぬくもりを、においを、感じるだけでしあわせになってしまうのだ。なにか特別なちからがはたらいているのだろうか。

 スキンシップをとっていると、脳からオキシトシンとよばれるホルモンが分泌される。オキシトシンは別名、愛情ホルモンとか、しあわせホルモンともよばれていて、出産や授乳のときに大量に出るといわれている。最近の研究では、人と人とがふれあうことで盛んに分泌されることもわかっている。

 お母さんが子どもにふれるとオキシトシンが分泌されて、リラックスした状態になっていく。だから、そうすけをあやしているとほっとする。ほっとするだけでなく、もっと、あやしていたくなる。なんとすばらしい好循環だろう。スキンシップが、無意識のうちにストレスを解消してしまうとは。人のからだとは、ほんとうによくできている。オキシトシンは、もちろん子どもにも分泌される。親子でしあわせをたしかめあうことができて、きずなも深まるわけだ。これからもどんどん、ふれあっていこう。オキシトシンは、もちろん、お父さんにも分泌されるらしい。女性は、子どもをさわったり抱きしめたりすることでオキシトシンが分泌されるが、男性は、こちょこちょや高い高いなど、あそびをとおしたスキンシップで分泌されるという。お母さんとのスキンシップは情緒を安定させるもの、お父さんとのスキンシップは社会性や協調性を育むもの、と子どもにとっても効果がちがう。だから、お父さんも積極的にふれあったほうがいいのだ。親子3人で、いっぱいあそぼう。

 こうして調べていくと、保育園に行くようになったらどうするのと不安になりそうだが、研究ではそれも解決済みだ。オキシトシンは、5分から10分ほどのスキンシップでも分泌され、ふれあってから50分ほどのあいだは高い濃度をキープすることがわかっている。スキンシップは、量より質なのだ。

2月13日、ぶーん、ぶーん。(生後51日)

 からだが大きく、重くなってきたかなあ、と思っていたが。そうすけの動きにもじょじょに変化があらわれた。いや、変化というよりも、進化だろう。いままでは、泣く、のむ、寝る、のサイクルをつづけていた。そこに、おっぱいとおねんねのあいだの起きている時間ができたのだ。このまったく新しい時間を、どうすごしたらいいんだろう。それは、そうすけだけの課題でない。わたしにとっても、はじめての課題だ。おなかのなかから解放されて自由になった手足をぱたぱた動かしているそうすけは、とまどっているようにも見える。

 いままでは、おっぱいやおむつタイムと眠るまでのあいだはぐずっていたりもしたけれど、そうすけ自身の時間をすごすということはなかった。さてどうするか。なにしようか。もちろん、そうすけの返事はない。なにができるか、おしえてくれないかな。とでもいいたげに、目をきらきらさせている。いつもなら、横目でたまっているメールをなんとかしたいところだが、ここはしばらく様子をみてみよう。そうすけを、じっと観察する。ぶーん、ぶーん。まるで自動車のハンドルをまわすように、ぎゅっとにぎったこぶしをぐるぐるまわしはじめた。おおお、うまい、うまい。F1ドライバーみたいだねえ。ぐるんぐるんドライブをたのしんだあとは、両手でパンチだ。ぶん、ぶん。こんどは、ボクシングだね。パンチがあたりそうなところに、顔をつっこんでみる。ほら、あたった。うっ。KOだ。ベビー級チャンピオン、かんべそうすけ選手。

 からだを動かすことになれてきたのだろうか。添い寝のときに、わざわざ態勢をととのえたりしなくても、すーっと眠れるようになった。夫婦がつかっていたベッドでも、だんなと相似形ですやすや眠っている。まるでそこが前からそうすけの居場所だったように。いまいちばんお気に入りの寝場所は、だんなの書斎のソファーベッドだ。ふわふわではなくちょっぴりかためなところが、ベビーベッドに似ているのだろう。おっぱいをのむタイミングをすぎても、ぐっすり眠っている。すぐに起こすとぎゃん泣きするので、要注意だ。

2月12日、はじめての手紙。(生後50日)

 きょう、そうすけ宛てにはじめての手紙がとどいた。正確には、ポストにとどいたその封筒に気づいたのが、きょうなのだが。そうすけの名前が入った健康保険証を見たときも感慨深かったが、そうすけ宛ての郵便物を受けとるのもじんとくるもんだ。社会のなかのそうすけが、日ごとに大きくなってきているのを実感する。大きくなるといえば、そうすけのからだもぐんぐん成長してきている。退院してすぐのころはベビー服がぶかぶかで、袖や裾を折りかえしてなんとか着せていた。いまはその必要もなくなった。おむつはまだ新生児用のサイズだが、おなかまわりが大きくなって、ウエストでとめるテープの位置がずいぶんゆるめになってきた。ぎゃん泣きをするときの声もパワーアップして、ハイトーンボイスまで出るようになった。週齢2週、6週、月齢3か月の赤ちゃんは、成長加速現象とよばれる成長期をむかえるそうだが、6週をちょうどすぎたいまのそうすけはまさに育ち盛り、のび盛り、なのかもしれない。きょうで生後50日。その変化にはおどろかされるばかりだ。

 さてその封筒は、品川区の保健予防課からとどいたもので、宛て名の近くに予防接種のお知らせですとプリントされていた。生後2か月から受けられるHibワクチンと小児用肺炎球菌ワクチンの予防接種予診票、生後3か月から受けられる四種混合ワクチン1期の予防接種予診票、予防接種のお知らせと冊子、B型肝炎ワクチン接種費用一部助成制度のご案内、予防接種の契約医療機関一覧表が一式そろって入っていた。おお、これがうわさにきいていた、子どものワクチンね。そうすけのワクチン計画が、いよいよはじまるんだ。たくさんあるので、誕生日とおなじ日に受けるといいよ、と助産師さんからアドバイスをもらった。これなら、スケジュールを見なくても、おぼえられそうだ。家から2分ほど歩いたところに小児科がある。小児科以外に内科や皮膚科も担当していて、わたしも妊娠中に風邪気味で診てもらったことがある。なんとうれしい偶然だろう。おなかのなかにいたときから、診てもらっていたわけだ。この医院をそうすけのかかりつけ医にしよう。こんどの予防接種がデビューになる。

 予防接種を受ける2月の後半には気温も上がって、すごしやすくなっているだろう。どうかいい天気になりますように。春の陽ざしをあびながら、目黒川のほとりをいっしょにおさんぽできますように。そうすけは、はじめて見る外の景色にどんな顔をするのかな。いまから、たのしみにしているよ。

2月11日、天性のアイドル。(生後49日)

 そうすけを見ていて思ったんだけど、と、だんながいう。なに、なに。気になるなあ。毎日いっしょにいても、まだ知らないことがあるなんて。以前にもこの日記で書いたが、まるで宇宙と交信しているように見える、あの独特のしぐさの意味がわかったかもしれないというのだ。どんな意味があるのだろう。それはいつ、なにがきっかけでわかったのだろう。だんなは、きのう、そうすけとふたりですごしているときにたしかめてみて気づいたんだ、という。

 それは、泣いているそうすけをあやすため、寝室のベッドで添い寝をしようとしているときだった。ベッドの近くに小さなテレビがありいつものようにオンにして、添い寝の態勢に入った。そうすけを右の二の腕に抱えて、静かに眠るのを待った。寝室のなかは、小さなテレビの小さな音がきこえているだけだ。すぐに眠りに落ちることはなく、ゆっくり背中をさすったり、おなかをぽんぽんしてみたり、時間をじっくりかけながら眠りにつくのを待った。

 そうすけが、うとうとしはじめた。よし、よし。ひと安心してテレビを見ていると、右腕に抱えられながら、また泣きはじめた。あれれ、どうしたのかな。またはじめからやりなおしてみよう。ゆっくり背中をさすったり、おなかをぽんぽんしてみたり。またうとうとしはじめる。ほっとする。テレビを見ていると、また泣きだす。なんどかくりかえしているうちに、そうすけの様子を見ていて、ようやく気づいた。うとうとしている、と思っていたのは思いこみだったと。薄目を開けて、じっとこっちを見ている。そうだ、そうすけも、親の様子を観察していたのだ。自分からテレビに関心が移ったのを知って、泣いていたのだ。こっち向いてよ、というメッセージだったのかもしれない。

 宇宙と交信しているように見えるあのしぐさも、親の注目をあつめるためのパフォーマンスかもしれないよ。だんなにそういわれてピンときた。見るたびに過剰に反応していた自分のことを。しぐさにあわせてテーマソングまでつけていた自分のことを。天性のアイドルなんだなあ、赤ちゃんって。

2月10日、はじめての復帰。(生後48日)

 社会復帰した、といってもいいだろう。出産してからはじめて電車にのって移動した。18時30分に、銀座へ。こんな時間に外出するのもひさしぶりだ。コピーライターズクラブの集いに参加する。たくさんの仲間たちと会って話をするチャンスだ。あたまは、ゆるゆる。おなかは、びよよーん。けっして本調子とはいえないけれど、すこしずつならしていこう。ふんどしを締めなおす気分で、まゆをいつもよりしっかりめに描く。フルメイクするのは何日ぶりだったっけ。出かける時間が近づくにつれて、ドキドキしてくる。

「ただいま」
だんなが仕事からもどったら、さっそく、そうすけの相手をバトンタッチして家を出た。どうかおっぱいが張って痛くなりませんように。正直、家を出るまでは外に出るのがおっくうになっていた。それでもいったん出てしまえば、思った以上にあっさりとモードがきりかわるものだ。帰路につく人混みの波にもまれながら、山手線にのった。ほんの2か月ほど前、まだそうすけがおなかのなかにいたころにも、毎日こうしていたんだなあ。もう2か月になるのか、まだ2か月になるのか。あれからすっかり生活のリズムがかわってしまった。電車のなかはあいかわらずの人混みで、以前とまったくおなじ景色に見える。いろいろなことがあるけれど、世の中の営みはかわらない。

 会場に着くと、そこに見なれたみんなの笑顔があった。
「わあ、おかえりなさい」
「元気そうで、よかった」
「かわらないねえ」
「でも、母なんだよねえ」
ほっとした。失っていた時間をとりもどした気もちになる。みんなのやさしさに感謝した。はじめての復帰がここでよかった。2時間あまりのあいだに、飲食するのも忘れて、仕事や、プライベートや、さまざまな情報を交換しあった。わたしは、子育てネタ担当だ。いつ仕事にもどるのときかれて、早くても4月だと思うとこたえた。なのに、自分がはたらいているイメージがまったくわいてこない。あんなに仕事にギラギラしていたわたしは、どこへいってしまったんだろう。このまま見失っていていいのだろうか。ギモンを抱くいっぽうで、これはリセットのチャンスだといまの自分を冷静に見つめる自分がいることにも気づいた。時間はある。いまのうちにじっくり見つめなおそう。

2月9日、母の電話。(生後47日)

 午後、そうすけをあやしていると、母から電話がきた。そうすけがどうしているのか、ききたくなったようだ。このごろ、ちょくちょく連絡がくる。
「いま、なにしているの」
「そうすけを、あやしているよ」
「うふふふ、こんにちは」
「ほら、おばあちゃんだよ。そうすけ、こんにちはって」
会話ができるわけではないが、そうすけの耳に電話をあててみる。ああー、だとか、ううー、だとか、返事をしたらひと言もききのがすまい、と、母も、わたしも、集中している。が、いまにも寝てしまいそうだ。ちょうどおっぱいをのんだあとで、おなかがいっぱいだからかな。またつぎにしようね。母はとても残念そうにしている。
「このごろは、しっかり眠れているの」
「うん、ぶつ切りだけど」
「そろそろ、すごしやすくなるよ。おっぱいにもリズムが出てくるから」
「出てくるかなあ」
「出てくるよ」
「しょっちゅう、泣いているよ」
「よかったね。おいしいおっぱいだから、はなれられないんだよ」
「あははは、そうかなあ」
「よく泣くのは、元気な証拠。あんまり気にしすぎないようにね」
母は、わたしの神経質なところを、よく知っている。
「うん」
「泣きやまなかったら、だっこする。だっこしても泣いていたら、歩きまわるといいんだって。このまえ、テレビでいっていたよ」
「歩きまわる、か」
「むかし母さんもよくやっていたけれど、やっぱり根拠があったんだね」
「やってみる」
まんまるだっこスクワットもなれてきたのか、効きめがなくなってきたようなので、ちょうどよかった。歩きまわり作戦と組みあわせてみよう。
「あたたかくなったら、会いにいくからね」
あらら、また電話の向こうにいるそうすけに話しかけている。
「いつでもきてね」
そうすけのつもりで、高い声でこたえる。
「3月なら、おばあちゃんの顔を見ておぼえてもらえるころでしょう」
母はわたしより、そうすけの成長をよく知っている。さすが経験者だ。

2月8日、からだのなかから。(生後46日)

 かわった。そうすけのうんちのにおいが、かわった。おなかのなかで、なにが起こったんだろう。いままでは、ヨーグルトのようなあまずっぱいにおいがしていたのだが。そのにおいをかぐのが、すきだったのだが。いまはおとなのうんちとよく似た、くさいにおいがする。悪玉菌がふえたのだろうか。原因が気になって調べてみると、お母さんがたべたものによって、赤ちゃんのうんちのにおいもカンタンにかわってしまうことがわかった。これも、おっぱいのなせるワザなのだ。おそるべし。ここ数日の食生活を、ふりかえってみよう。

 おとといまで産後ケアで滞在していた助産院では、おっぱいにいいたべものづくしだった。ふわふわの手ざわりで、おっぱいの出もずいぶんよくなった。冬野菜や根菜、海藻をたっぷりとって、脂っこいものや乳製品をひかえていた。おやつもりんごのくず煮など、乳口炎を気づかっていた。退院してからのメニューはどうだろう。心あたりが、ある、ある、ある。退院してからきょうまでの3日間、たべたかったスイーツをたべていた。助産院では出されたものしかたべなかったので、その解放感もあって、ついたべすぎてしまった。

 反省の意もこめて、おっぱいにいいごはんをたべよう。静岡のおばから送ってもらった桜えびとしらすに、たっぷり大根おろしを添えて。汁物は、根菜のごぼうやにんじん、きのこ類のまいたけなど、具だくさんの豚汁にしよう。スーパーの食材売り場で、おいしそうなかぼちゃに出会ったので、かぼちゃの煮物もプラス。肌にもよさそうなメニューだなあ。なんだか、おもしろくなってきた。そうすけのからだにおいしいごはんは、わたしのからだにもおいしいごはん。ストレスにならない程度に、つづけていくのがよさそうだ。

 万年ダイエッターのわたしには、妊娠する前も、出産した後も、食生活を気づかう手間はかわらない。ハンバーガーにフライドポテトも、チーズたっぷりのグラタンも、こてこてのラーメンも、永遠の別れはできないけれど、遠距離恋愛ならできるはず。タイミングと頻度を考えて、たのしみたいと思う。

2月7日、メリーさんとあそぼ。(生後45日)

 きのう買ったメリーを、だんなが朝からせっせと組みたてている。メリーとはオルゴールがついたおもちゃのこと。ベビーベッドにとりつけてつかえるようになっている。かわいいマスコットや鏡など赤ちゃんの注意を引くものがついていて、音楽にあわせてくるくるまわるようにできている。ガラガラが進化してこうなったといってもいいだろう。赤ちゃんのあそび道具としてだけでなく、寝かしつけのあやしアイテムとしても、いろいろ役に立つといわれて買った。そうすけのぎゃん泣きにも、効果を発揮してくれるといいのだが。

 30分ほどで組みあがり、ベッドサイドにとりつけられた。そうすけの視線の先にくるようにセッティングして、ためしに音楽も流してみた。いろいろな童謡のメロディーといっしょに、川のせせらぎや動物の鳴き声なども入っている。胎内音もあった。ちょうどそうすけが泣きだした。これがいちばん効果的なんだよねと、だんなが胎内音を選んだ。かわいいマスコットや鏡がそうすけの目の前でくるくるまわる。あ、見た、見た。が、泣きやまない。生後1か月の赤ちゃんにはやっぱり早すぎるのかもしれない。だんなが残念そうに笑った。

 よーし、リベンジだ。と、だんなは鼻息荒く、夫婦でつかっているベッドを添い寝仕様に改造することにした。そうすけがおしっこやうんちをもらしても汚れないように、大きなタオルをシーツの上に敷いて、きのう買った添い寝用のクッションをそこに置いた。クッションは、ちょうどよく傾斜がついて、寝ごこちがよさそうだ。新生児用のドーナツ型まくらもスタンバイした。おとな用のふとんではあつすぎるにちがいない、と、肌ざわりのいいタオルケットも準備した。これで泣きやまなかったら、もっとがっかりしそうだなあ。

 またまた、そうすけがぎゃん泣きをはじめた。これはチャンス。だんなはさっそく寝室に連れていって、添い寝にチャレンジした。すると、こんどは見事なほどに、ストン、と泣き声がおさまった。すごい、すごい。寝室をのぞきにいってみると、そうすけも、だんなも、気もちよさそうに眠っている。おなじ横向きのポーズでならんで眠っている。大きな矢印と小さな矢印がならんでいるようにも見える。やっぱり、父と息子。添い寝作戦、きょうは大成功だったね。