Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

5月27日、夜間保育。(生後154日)

 午後8時。遅くなってしまった。電車を降りると保育園へ、急ぐ、急ぐ。こんな時間になったのは、はじめてだ。これからは、夜間保育をおねがいすることもたびたびあるにちがいない。そうすけは、うまくやっていけるだろうか。保育園の前にはベビーカーが3台とまっていた。夕方に迎えにいくと、足の踏み場もないほどにならんでいるから、いかに夜間保育を利用している人がすくないのかがわかる。たたんでいたベビーカーを開いて門のわきにスタンバイしてから、部屋に急いだ。そうすけのいる「いちご組」は、廊下のいちばん奥にある。ドアを開けてあいさつをした。が、部屋は空っぽで子どもたちはいなかった。

「こんばんは。かんべそうすけの母です」
「おかえりなさい。となりの部屋であそんでいますよ」
「あ、そうだったんですか」
「びっくりさせちゃって、ごめんなさい」
いつもは1歳児のおにいさん、おねえさんがつかっている部屋でそうすけはあそんでいた。そうすけのほかにもうひとり男の子があそんでいた。保育士さんのそばで積み木のおもちゃであそんでいた。そうすけに声をかけると、待ちくたびれていたのか、いつものはじけるような笑顔ではなかった。
「そうすけくん、お母さんだよ」
「遅くなって、ごめんね」
「積み木であそんで、たのしかったね」
「そうか、そうか、よかったー」
そうすけをだっこすると、眠そうな顔をしていた。それでも、泣かずに待っていてくれたことが、ありがたかった。おうちへ帰ろう。もうひとりの男の子と目があったので、またあしたねバイバイ、と手を振って別れた。そのときの男の子の目がかなしそうで、さびしそうで、胸がしめつけられる思いだった。子どもを待たせるのはこういうことか、と思った。つぎつぎに帰っていくお友だちを見送っていたそうすけは、あの男の子とおなじ目をしていたにちがいない。

5月26日、ハーレム状態。(生後153日)

「おかえりなさい」
いつも保育園へ迎えにいくと、こんなふうにあいさつされる。さすがに、ただいまとはいわずに、こんにちはとこたえるが、気もちがいい。第2のおうちだと思ってくださいね、という保育園の心づかいを感じる。きょうは予定よりも早く迎えにいくことができたので、大崎駅で保育園に電話をかけた。

「こんにちはー。かんべそうすけの母です」
「そうすけくんのお母さん、こんにちは。きょう、延長保育ですよね」
「それが、早く迎えにいけることになって。15分くらいで着けます」
「あっ、そうですかー。気をつけていらっしゃってくださいね」
「ありがとうございます」
電話ではこんな会話をしていても、保育園に着くと、おかえりなさいで迎えてくれる。アットホームだなあ。そうすけは、お友だちのまゆりちゃんの横でくつろいでいた。まゆりちゃんは、そうすけよりも1か月おねえさんで、ふたりはとってもなかよしだ。そうすけがよく、指を2本口にくわえていることがあって、なぜ2本だろうと思って観察していると、まゆりちゃんのまねをしていたことがわかった。生後5、6か月でどこまで意思の疎通ができているのかはわからないが、見ているとたしかな友情が育まれているようだ。保育士さんがそうすけをだっこしてつれてくると、まゆりちゃんが、じーっと、こっちを見ている。その目は別れを惜しんでいるように見えた。まゆりちゃん、そうすけをうばってしまって、ごめんなさい。あやまらずにはいられなかった。それを見ていた保育士さんがくすっと笑いながら、モテモテですよーと教えてくれた。

「なぎさちゃんとも、なかよしなんですよ」
「えっ、そうなんですか」
「よく3人でならんで、なかよく寝ているんですよ」
「まゆりちゃんと、なぎさちゃんと」
「ね、そうすけくん」
ハーレム状態じゃないか。勝手に想像しながら見ると、まゆりちゃんは保育士さんとあそび、なぎさちゃんはベビーベッドで眠っていた。ベッドは数がすくないため交代でつかっているそうだ。帰り際にそうすけは、なぎさちゃんをちらっと見てから、まゆりちゃんとあつい視線を交わしていた。

5月25日、張りきるおっぱい。(生後152日)

 午後2時28分。大きなゆれを感じた。携帯電話の緊急地震速報のアラーム音が一斉に鳴りはじめた。仕事場にいたメンバーがあわててテレビをつけて、ニュースを確認した。茨城県南部で震度5弱、と出ている。東京も震度4だった。けっこうゆれたね、などといいながら、10分もしたらみんななにごともなかったかのように仕事をつづけていた。そのとき、わたしはある異変を感じていた。おっぱいだ。おっぱいが張って、痛くてたまらない。危険を察知すると、大切ないのちをまもろうとおっぱいもがんばるのだろうか。いまそうすけは保育園にいるのであげられないのだが。搾乳をしようかどうか迷いながらも、けっきょく仕事場を出るまでの時間をだましだましでのりきった。帰りがきつかった。おっぱいの痛みのあまり、電車の吊り革を握りながら歯を食いしばり猫背になっていた。きょうはだんなのほうが仕事の帰りが早いので、だんなが保育園へ迎えにいってくれたのでたすかった。家に着いたらすぐ、おっぱいをあげよう。

「ただいま。そうすけ起きているかな」
「うん、いまちょうどミルクをのみ終わったところ」
「そっかー。じゃあ、おっぱいいらないよね」
「あげてみれば」
「かけつけおっぱい、か」
「とりあえずおっぱい、だ」
そうすけをだっこすると、ちょうだいという顔をしている。その上目づかいがうれしくて、かわいくて、ぎゅーっとした。おっぱいをあげたら、やっぱりおなかがいっぱいだったのだろう、のんだまま眠りはじめてしまった。首がぐらんぐらんするほど深く眠りはじめてしまったので、ベビーベッドに運んで寝かせた。それでもまだ、おっぱいが張っている。搾乳して出しきることにした。さっきそうすけがのんだあとなのに160ccも出たのでびっくりした。以前ならがんばっても60ccくらいしかとれなかった。おっぱいも成長しているんだなあ。

 おっぱいが張って痛いとついつい、自分でぜんぶ搾りだしてしまいたくなるけれど、搾りすぎには気をつけたほうがいいらしい。しぼり出したぶんも赤ちゃんが必要としているんだと、おっぱいがカンちがいをしてしまう。そうするとよけいに母乳がつくりだされて、張りかえしがきてしまうことも多いそうだ。おっぱいが張りすぎて赤ちゃんが吸いづらいときにすこし搾乳してやわらかくする場合や痛みがとまらないとき以外は、がまん、がまんだ。

5月24日、5か月の誕生日。(生後151日)

 そうすけは12月24日生まれ。きょうが5か月の誕生日だ。きのうは10倍かゆのうらごしをたべた。というか、のんだのだが、きょうはお祝いだから、もうすこし手の込んだメニューにしてみよう。昆布だしの野菜スープをつくることにしよう。そうすけは、はじめてのスープを気に入ってくれるだろうか。

 つくり方はシンプルだ。じゃがいも、たまねぎ、にんじん、キャベツなどの野菜を大きめに切る。昆布に切れめを入れ、水といっしょに鍋に入れて15分ほどつけておく。15分経ったら、昆布をつけた鍋を中火にかける。沸騰する直前に昆布をとり出して、切った野菜をすべて入れる。野菜がやわらかくなったら、できあがり。そうすけがたべるのは、野菜ではなくスープだけ。具材を味わうのは、離乳食に慣れてからのおたのしみだ。おとなのお父さんとお母さんが、かわりにおいしくたべてあげるからね。人肌に冷ましたスープをひとさじ、そうすけにあげた。あーん。たべるまねをして誘導しながら、あげてみる。ごっくん。するにはしてくれたけれど、今回もあっという間に終わってしまった。たったひと口なので味わうまでにはいたらず、そうすけはきょとんとしている。

 おとなのだんなとわたしは、鍋に残っている野菜スープに固形コンソメとウインナーを加えてポトフにしてたべた。はじめて、そうすけとおなじごはんをたべた気分になる。そうすけの目の前でゆっくり噛んでたべてみせるが、いまはまだ他人ごとだと思っているみたいだ。おいしいねーとか、いっしょに話しながらたべられるように早くなりたい。お父さんも、お母さんも、たべることがだいすきだから、早くそうすけといっしょにいろんなものをたべてみたいなあ。

 バスタイムのそうすけは、いつも以上にごきげんだった。カメラを向けるとさらにごきげんで、手足をバシャバシャさせている。両足のバタつかせ方がまるでフィンキックのようだ。このままスノーケリングやスクーバダイビングも、できそうだなあ。お父さんも、お母さんも、たべることがだいすきなうえに、ダイビングもだいすきなんだよ。早くいっしょに海へもぐりにいきたい。

5月23日、生後150日。(生後150日)

 きょうで、生まれてからちょうど150日が経つ。ジャンプのおもちゃにのってびょんびょん跳びはねているそうすけを見ながら、たくましくなったもんだ、とつくづく思う。いまこの日記を書いているあいだもびょんびょん、休みなく跳んでいる。ときどき、こっちを見る。目があうと、いひゃあい、と声をあげて大よろこびしている。まだ言葉は話せないけれど、意思の疎通ができていると思われているように思えてくる。まあ、親の思いこみにすぎないのだが。

 そうすけにとってきょうは、人生ではじめてごはんをたべる日だ。6月1日から保育園で開始する離乳食へ向けて準備食をはじめる。1日1回1さじからスタートする。たった1さじから食生活がはじまるんだなあ。慣れてきたら、徐々に量をふやしていく。まずはアレルギーの心配がすくない、おかゆから。米を炊いてうらごしをして、なめらかにすりつぶした状態にする。はじめてたべるんだから、いい米にしよう、と南魚沼産コシヒカリを入手した。いつもは玄米をたべているので、この米はそうすけ専用だ。はじめてたべるんだから、おいしくつくろう、と離乳食用の調理器をだんなが購入した。そうすけのことになると、だんなは金に糸目をつけない。このままだと、やがてたいへんなことになるだろう。と確信しながらも、便乗しちゃえばいいか、と思っている。

 そうすけのはじめてのごはん、南魚沼産コシヒカリのとろとろ10倍かゆができた。ではさっそく、たべてみよう。たべさせ方にも、コツがある。ひざに抱いた赤ちゃんの姿勢を、すこし後ろに傾けるようにする。スプーンのかたちは、浅く幅が広すぎないものがいい。スプーンをちょんちょんと下くちびるにあててサインを送り、舌の先にのせ口が閉じるのを待ってスプーンを抜く。上くちびるに押しつけたり、口の奥まで入れないように気をつけること。赤ちゃんの食事、と書かれたパンフレットを見ながらやってみる。スプーンを差しだしたとたん、そうすけの顔がこわばった。薬をのむときにスプーンをつかっていたので、カンちがいをしているようだ。あわわわ、ネガティブになる前にたべてもらわないと。ぱくん。一瞬にして、人生最初のひと口が終わった。

5月22日、さわってごらん。(生後149日)

 左目が痛い。そうすけが指を突っこんできて、かわしきれなかった。ふれた直後は平気だったがしばらく経つうちに、ズキンズキンと熱をもった痛みが出てきた。まぶたも、すこし腫れているようだ。ものもらいになったのかな。ひどくなる前に眼科で診てもらおう。そうすけはいま人の顔に興味があるようで、目だろうが、口だろうが、おかまいなしにつかみにくる。それもいきなりガッとくるので、気をつけなければならない。だんなも寝ているときに、口のなかに指を入れられたらしい。びっくりするとなおさら、反応をおもしろがってエスカレートしてくるからやっかいだ。

 そうすけにとっては、目、耳、鼻、口、髪の毛、ひとつひとつが、めずらしくてしかたないのだろう。ぎゅっとしてみたり、にぎにぎしてみたり、ペタペタしてみたり。その感触を、なんども、なんども、たしかめてくる。夢中になるあまり、ちからをがっと入れたり、爪を立てたりすることもしばしばだ。それにしても、握力がつよくなったもんだ。つかまれた肌が真っ赤になるほど、ちからを入れてくる。あらためて鏡を見ると、首のまわりや、腕や、乳房にも、あちらこちらに小さなあざができているではないか。お母さんの齢でできちゃうと、一生跡がのこりそうだ。

 そうすけはいまあそびながら、どんどん学んでいる。目の前にあるものの感触をたしかめたり、手指の運動をしたり、ちからの加減をためしたり、相手の反応を見たり。痛くて叫びたくなることもあるが、怒ったり叱ったりしないで、そこをゆるゆるかわしながら見まもっていくほうがいい。と、保育士さんもいう。そうそう、とは思っていても、これがなかなかむずかしい。かわりにおもちゃをもたせるといいとアドバイスをもらって手渡してみるが、ばんばん叩いたり、べろべろなめまわしたり、その破壊力にはたじたじになってしまう。

 さて、眼科で左目を診てもらったところ、原因はそうすけの指ではなく逆まつげだった。目の炎症を抑える副腎皮質ホルモンの目薬と細菌による感染症を治療する目薬をつかって、しばらく様子をみることになった。すっかり、そうすけのせいにするところだった。というか、していた。ごめんよ、そうすけ。

5月21日、離乳食を知ろう。(生後148日)

 午前10時15分、保育園の保護者会に出席した。食を知ろう保護者会、と題して離乳食の説明会が行われた。保育園にかよう0歳児と1歳児のお父さんとお母さんがあつまった。平日の朝だからお母さんだけだろうと思っていたら、スーツ姿のお父さんもいて服装の違和感におどろいた。説明会に出てから仕事場へ行くのだろう。参加者の多くが、すでに離乳食をはじめている。そうすけはまだたべられないが、先輩の赤ちゃんたちは説明会とおなじ献立の離乳食をお昼にたべる予定だ。そこでお父さんとお母さんも、たべさせる練習をするらしい。

 赤ちゃんの食事、と書かれたパンフレットが配られた。品川区保育課栄養指導係が発行したものだ。そこに、保育園の食事で大切にしていること、大切にしたいことが書かれている。離乳食は、赤ちゃんのたべる様子を見ながら、胃腸や消化吸収の発達にあわせて、段階を追ってすすめていく。初期食からはじまって完了食まで、5段階にわかれている。5か月から6か月ごろ、7か月から8か月ごろ、9か月から11か月ごろ、そして12月から18か月ごろが、すすめる目安になる。たべものに慣れてきたらアレルギーのすくないものから順番に1種類ずつふやしていって、献立や調理の形態もすこしずつかえていく。離乳食がすすんで1日2回以上にふえたら、主食、主菜、副菜がそろう献立にしていく。なるほど、こうやっていろんなものをたべるようになっていくんだなあ。

 説明のあと実際に、初期、中期、後期前半、後期後半とよばれる4つの離乳食を試食した。きょうのメニューは、じゃがいものそぼろ煮、煮びたし、かぶとほうれんそうのみそ汁、おかゆ。それぞれの段階での、味つけや、食材の大きさ、かたさなどのちがいを見ながら試食した。おいしい。うす味だが、素材の味が活きている。上品だ。目をつぶってたべれば、料亭の味といってもいいくらいだ。食材にもこだわりたくなる。やっぱり新鮮な素材がいいなあ。などとつらつら考えながら、これならきっとうまくやっていけそうだと思った。調理のきほんは、きざむ、ゆでる、すりつぶす。シンプルだ。でも、料理人の腕の見せどころだ。近ごろは、だれでも失敗しないでカンタンにつくれるすぐれた調理器具が出ているらしい。そうすけといっしょにたべたら、ダイエットもできそう。

 先輩の赤ちゃんたちが離乳食をたべているところを見学しながら、そうすけに話しかけてみる。これが、お昼ごはんだよ。ほら、おいしそうだねえ。そうすけは、ふーん、と興味なさげな顔をしている。それよりも、隣りのお友だちの存在のほうが気になっているようだ。隣りのお友だちは、かわいい女の子。そうすけより1か月年上で、お母さんにきいてみると、離乳食をあげてもぷいっとされてばかりで毎日こまっているそうだ。おいしいごはんでも、きらわれることがあるのか。保育士さんがいうには、たべることに慣れるか慣れないかで、ぱっくり態度が別れるそうだ。そうすけは、どっちになるだろうか。

5月20日、うんち騒動。(生後147日)

 おはよう。親のベッドで添い寝をしていたそうすけは、となりで眠っているお母さんを起こそうと動きはじめた。ほっぺをチュウチュウしたり、おでこをペタペタさわったり。しかし、お母さんは気もちよさそうにしているばかりで、なかなか起きそうにない。こんどは、身をよじって全身でうったえる。それでも起きない。あーう、あーう、と声をあげてみる。それでも起きない。だったら泣いてやるー。と、ぐずりだす。お母さんびっくり。こんなふうにして朝がくる。ごめん、ごめん、お風呂入ろっか。ひとっ風呂あびてリフレッシュ。

 そうして、事件は起きた。そうすけをそのままベッドに寝かせておいて、風呂の準備をしていた。からだをふくタオルをひろげたり、服とおむつをならべてすぐに着られるようにしたり、風呂あがりにのむミルクをつくったり、風呂で鼻水をとる綿棒を2本用意したり。けっこう段取りが多いけれど、これをきちんとしておくと、そうすけが湯冷めすることもなく、あわてることもない。いつものように準備も終わって、そうすけの服をベッドの上で脱がせて、おむつを外した。その服を洗濯機に入れ、おむつをごみ箱に捨てたときのことだ。

 寝室にもどって、そうすけを風呂に入れようと抱きかかえると、指先に違和感が。そうすけのおしりが、ぬるりとしている。このタイミングでうんちをしてしまったのだ。ベッドの上にそうすけの寝汗を吸いとるためのタオルを敷いていたので、被害は最小限にくいとめられてはいたが。うかつだったなあ。

 そうすけが順調に成長していることにあまえて目をはなしていたことを、いまあらためて反省している。先輩ママたちにきいた話だが、寝返りができるようになるとベッドから転落したり、ハイハイができるようになると柱や角にあたまをぶつけたり、つかまり立ちができるようになるとテーブルの上に置いてあるたべられないものをたべてしまったり、そういった事例は枚挙を問わない。うんち騒動だけですんで、よかった、よかった。これからは気をつけよう。

5月19日、快食快便。(生後146日)

 おとといまでの悩みはそうすけの便秘だったが、それも杞憂に過ぎなかったようだ。きのうの明け方に大量のうんちが出てからというもの、せきを切ったように出まくっている。1日に6回もうんちをしている。本人はいたってごきげんなので、だいじょうぶだとは思うけれど、おしりのほうは平気なんだろうか。おしりふきを何枚もつかってやさしくふいても、どんどん赤くなっていくのが心配になる。そうすけは痛くないのか、きゃっきゃっ、と笑っている。
 母乳をたくさんのんでいると、うんちがやわらかくなってくるそうだ。そうすけはおっぱいをのんだ直後だけでなく、のんでいる最中にも、ぶっ、と元気な音を立てている。のんで、出して。のんで、出して。まるで、ところてん突きみたいだ。見ているこっちも、おむつがえにてんてこまいになる。それでもまあ、すがすがしい気分だ。うんちを出しきってすっきりしたそうすけは、なにをしていてもごきげんで、だっこをしていても、たかいたかいをしていても、ジャンプのおもちゃであそんでいても、これ以上はないというくらいの笑顔をふりまいている。そればかりか、眠っているときでさえ笑顔をうかべている。
 快食快便は、元気のバロメーターになる。おとなだって、おんなじだ。わたしもたっぷりたべてたまっていたものがしっかり出ると、その日が快適にすごせるだけでなく仕事もスムーズに気もちよくできるし、いいことずくめだ。しつこく書いてしまうが、たかがうんち、されどうんち。うんちを笑うものは、うんちに泣くのだ。そうすけと過ごしていくなかで、あらためて教わった。
 うんちの回数が多いのはたいへんだけど、あとすこしの辛抱だ。6月になったらいよいよ離乳食がはじまる。離乳食がはじまれば、あっという間におとなのようにかたちのあるうんちになり、回数も減ってくる。それはそれで、うれしいような、さびしいような。1日1日の変化を見まもりながら、ていねいに過ごしていきたい。これからもひとつひとつ経験を積んでいこうね、そうすけ。

5月18日、おんなの底力。(生後145日)

 さびしいのは、そうすけだけではなかった。母からメールがとどいた。
「無事、家に着きました。そうすけの顔を見ていると、帰りづらくなるね。毎日ずっと、見ていたいな。ほんとうに、たのしかったよ。いろいろ、ありがとう。そうすけは、ちゃんと育っているよ。がんばりすぎずに、すなおに、すなおに、育てていけばいいよ。また会いに行くからね。からだに気をつけて」

 母は、5月15日に誕生日を迎えて80歳になった。家事をしているときにふと気づいたら腕にあざがふえていたり、気をつけていても口内炎ができていたり、健康まわりの細かなトラブルはひっきりなしだという。年をとるとはそういうことよね、と自らも体力の低下を認めている。そんな母が、そうすけが誕生してからというもの、ぐんと若々しくなった。どんどん、きれいになっていく。まるで恋をしているようだ。そうすけのことを話しているときの母は、少女の目をしている。そしてとうとう、京都から新幹線にのって、はるばる会いにきたのだ。どうやって行くのかもわかったし、これからは日帰りでもだいじょうぶだよ、と母は胸を張る。こんどは日帰りするつもりですか。このパワーはどこからくるのだろう。これが、女性の底力というものなんだろうか。

 先日、子犬を育てている友人と話しているときに、おたがいに感じたことがある。人は、とくに女性は、愛情をあたえる相手をいつも探している。その相手は赤ちゃんだったり、犬だったり、ネコだったり、セキセイインコだったり。愛情をあたえる相手がたまたまちがうだけで、母性そのものにはかわりがない。よわくて小さくて、いっしょにいると気が抜けないし、遠くへ外出もできないし、突然ごきげんななめになってこまらせることもあるし、そうかと思えば、にこにこ天使の笑顔で見ているこちらまでハッピーになっちゃうことだってある。そんな体験のひとつひとつを思いだしたり、だれかに話していたりするだけで、しあわせに満たされるのだ。それも、ただのしあわせではない。あたまからつま先までどっぷり、しあわせという名前のお風呂につかっている感覚だ。