Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

5月17日、産みのくるしみ。(生後144日)

 昼前にふたたび、母と兄と義姉がやってきた。もともと、きょうは来る予定ではなかったが、きのうのそうすけにすっかりこころをうばわれて、もっと会いたい、だっこしたい、と思ってやってきたそうだ。その気もち、よくわかる。そうすけといっしょにいると、夢中になるあまり時間の感覚がすっかりマヒしてしまうのだ。あいかわらずそうすけはおしみなく笑顔をふりまいて、ひとりひとりにハッピーオーラを提供していた。母は午後早めの新幹線で京都へもどりたいのにといいながら、兄も義姉もあしたから仕事があるのできょうはなるべくゆっくりしたいのにといいながら、ぎりぎりまでいっしょにあそんでいた。

 午後、家族が帰ってしまうと、部屋が静かになった。さびしくなったのだろうか、そうすけは泣き虫になってしまった。だっこしていないと、泣いてばかりいる。すきな音楽を流しながらおっぱいをあげても、おむつをかえても、たちまちわっと泣きだしてしまう。しばらくしたら疲れて泣きやむだろうとベビーベッドに寝かせたら、枕を引き裂かんばかりに両手でぐいぐい引っぱりながらわんわん泣き叫んでいる。こうなったらもう、だまって見まもるしかない。

 夜、終日研修に出ていただんなが帰ってきたので、そうすけの様子を話していると、それってさびしいだけじゃないかも、便秘でおなかがくるしいのかもしれないよねという。そうだ、この2日間いちども出ていない。たしかに、枕を両手でぐいぐい引っぱりながら、顔を真っ赤にして、うんちをふんばっているようにも見える。そうすけも、おとなたちの相手をしながら、彼なりにプレッシャーを感じていたのだろうか。だとしたら、見すごしてしまってごめんね。おなかをのの字でさすりながら、うんちを待った。そうすけのごきげんななめは、翌朝までつづいた。5時ごろにおっぱいをあげて、横になって休むことにした。

 リビングから、だんなの声がきこえる。うれしそうだ。見にいくと、おむつを交換しながら、うんちが出た、いっぱい出た、と興奮気味に教えてくれた。おっぱいをあげて、わたしが寝室に入ったすぐあとに、ばぶっ、と軽快な音をたてておとずれたらしい。それもそうすけ史上最大のボリュームだったという。よかったなあ。そうすけは、おしりをふいてもらいながらおだやかに笑っている。産みのくるしみを克服して、さらに自信をつけたようにも見える。

5月16日、家族大集合。(生後143日)

 滋賀から母が、埼玉から兄が、長野から義姉が、みんながそうすけに会いにきた。家族大集合だ。お正月にあつまって以来だから4か月ぶりになる。それまではメールでやりとりをしていたのだが、写真で見るそうすけは写真を送るたびに毎回、顔がちがって見えるという。日に日に成長しているんだなあ。いっしょに暮らしているだんなやわたしには、そのことが気づきにくかったりする。4か月ぶりにそうすけと会って、みんなはどんな感想をきかせてくれるのかな。

 昼前に、母がやってきた。ひさしぶりにそうすけに会えるのでワクワクするあまり朝4時に目が覚めたのだという。駅まで迎えに行こうとしたら、こちらはだいじょうぶだからそうすけの世話をしてなさいね、という。みんなでつまめるおそうざいやノンアルコールののみものをテーブルに準備しながら部屋で待つことにした。が、やっぱり、しばらくして、駅から家まで来る途中で迷ってしまったと電話がきた。さっそくベビーカーにそうすけをのせて迎えに行った。母はわたしたちの姿が見えるとぐんぐん早足で歩いてきた。きのう80歳を迎えたとは思えないほどのつよい脚力だ。そうすけへのアツい想いがパワーをあたえているのだろうか。まっすぐそうすけを見ながら話しはじめた。
「そうすけ、会いたかったよう」
「おばあちゃんだよ」
「こんなに大きくなって」
そうすけは、わたしをちらっと見て、おばあちゃんだとたしかめるとにっこり笑顔を見せた。この笑顔には、どんなおとなもかなわない。保育園の先生をも、めろめろですーといわせてしまった笑顔だ。母も早起きの疲れがふっとんでしまったようだ。家に着いてもくつろがず、そうすけと話しつづけている。

 午後2時過ぎに、兄夫妻がやってきた。母のバースデーケーキを買ってきてくれた。そうすけを見て、その成長におどろいているようだ。大きくなったねえ、おにいちゃんになったねえ。と、なんども繰りかえしている。そうすけもそれにこたえるように、だっこされるといつもより多めににこにこして、プレゼントのおもちゃを長めににぎにぎして、ジャンプのおもちゃに座るとなんどもなんども歓声をあげた。こうなると母も、兄も、義姉も、めろめろだ。そうすけをだっこしたり、なでなでしたり、手や足をにぎにぎしたりしながら、うっとりした表情になっていった。気づいたら、午後10時を超えてしまった。

 そうすけが寝ているあいだにおとな同士の会話をたのしんでいると、ぼくも仲間に入れてー、といわんばかりに泣きだす。ずっと、みんなといっしょにあそんでいたいのだろうか。よくばりだな、そうすけ。早くおしゃべりできるようになるといいね、と母がいう。おしゃべりできるようになったらどんなことを話すのかな、そうすけは。お父さんも、お母さんも、たのしみにしているよ。

5月15日、朝風呂だいすき。(生後142日)

 このところ3日つづけて朝風呂に入っている。だいたい5時ごろにいちど目を覚まして、おっぱいをのんで、30分ほど休憩してから、6時ごろに風呂に入る、といったサイクルだ。これがどうやらお気に入りのようで、今朝も湯船でぷかぷかそうすけはごきげんだ。ごきげんのあまり、ぶーっ、と、おならをした。うんちが出るとまずい、と、だんながあわてて湯船から救出をはじめた。

 だんなはいつも早くても8時くらいの帰宅だが、いままでのそうすけはちゃんと目を覚ましておかえりなさいをしていた。でもこのごろは眠っていることが多くて、いったん起こしておっぱいをあげても、おむつをかえても、1分と経たないうちにまた眠ってしまう。これだと夜に風呂に入れたら湯船のなかで眠ってしまいそうだ。そこで超朝型のリズムにかえてみることにしたのだ。

 いまの季節だと5時ごろになると空が明るくなっているので、早起きしてもつらくないのがうれしい。これが冬になると、朝早く起きるのが暗いし寒いしで、モチベーションを維持するのがたいへんそうだ。まあ冬までには半年近くあるからそのときになったらどうするか考えよう。育児は1日1日が勝負なのだ。と、つくづく思う。つぎからつぎへと新しい課題がやってくる。

 きょうのそうすけは、風呂のなかでうんちをしないで、さいごまでがまんをした。えらいぞ、そうすけ。でも、おならをしたあとお父さんを見て笑っていたよね。もしやお父さんをからかっていたのかな。えらくないぞ、そうすけ。

このごろ、そうすけの1日のうんちの回数が減ってきたのが気になる。いままでは、おっぱいをのんだらすぐに放出する、といった状態だった。1日に5、6回はかるく出していたと思う。出すぎるくらいだ。それが、1日1回になった。胃腸が成長してきたからだといいのだが。ずっと便秘とつきあってきたわたしにとっては1日1回でも十分、いや、ホントうらやましいくらいだ。

5月14日、セカンドオピニオン。(生後141日)

 保育園の帰りに、そうすけと小児科へ行った。いつもかよっている家の近くの小児科は木曜日の午後がお休みなので、ちょっと歩くけれど五反田駅の近くの小児科へ行くことにした。ネットで調べてみると、お母さんからの評判がいいみたいで、子どもが泣く前にワクチンを打ち終わったなどと書かれている。子どもが泣く前に注射し終わってしまうとは、すばらしく手際がいいんだろうなあ。かかりつけ医がふたりいると安心できる。そうすけは、はじめてとおる道に目をぱちくりさせていた。コンコンが治るようにお医者さんに診てもらうんだよーと話しかけると、にまっと笑った。わかっているのだろうか。

 連休明けにもういちど近くの小児科で診てもらって、かぜはよくなったので薬はいいでしょうといわれているが、夜になるとせきが出る。のどにたんがからむのか、なんどもせきを繰りかえしている。加湿器で湿度をたもつようにしているけれど効果がないようだ。週末には母や兄夫妻がそうすけに会いにくる。いまのうちに診てもらっておこう。小児科はマンションの一室にある。入口の段差でもたもたしていると、マンションの住人らしき若い男性がベビーカーをもちあげるのを手つだってくれた。この国にはまだ親切な人がたくさんいる。みんなの愛情を受けとって、人はおとなになるんだなあ。と、あらためて実感する。

 こじんまりとした家庭的な小児科だった。そうすけの健康保険証とこども医療証、母子健康手帳を提出して、初診受付シートに記入した。完全予約制で、わたしたちの前には親子は1組しかいなかった。3、4歳くらいの女の子とお母さんがワクチンを受けにきていた。女の子はにこにこ笑いながら、先生とおしゃべりをしている。やっぱり、注射のうわさはほんとうだったようだ。

 そうすけの名前がよばれた。明るい診察室に、大柄なおじいさん先生が待っていた。はじめに全身をチェックさせてくださいねーと看護師さんにうながされておむつ1枚になった。体重、体温をたしかめてから、触診をした。体重6.88キログラム。かぜをひいてからずっと体重がとまっていたので、すこしでもふえていてよかった。のどや舌、鼓膜の状態も診てもらった。どうだろうか。
「うん、薬いらないねえ」
「だいじょうぶですかね」
「うん、だいじょうぶですよ」
あっという間に、診察が終わった。おっぱいの出はどうですか、と先生にきかれて、保育園へもっていく冷凍母乳が間にあわなくて、と話したら、このごろのミルクは母乳と栄養がほとんどかわらないから心配しなくてもいいんだよ、といわれた。ほっとした。もちろん、免疫力をつけるという面では母乳のほうがすぐれているそうだ。また気になることがあったらきてね、といわれて、これからお世話になります、とこたえた。かかりつけ医がふたりできて、よかった。

5月13日、眠れるベビのすけ。(生後140日)

 そうすけが、よく寝るようになった。夜、眠りはじめると、ほうっておけば朝まで眠りつづけてしまう。成長したんだなあと、うれしく思う反面、おっぱいをあげる機会が減ってしまったのがすごくさびしい。ぐっすり眠っていて静かになると、ちゃんと息してるだろうかと、いまでも不安になる。鼻の真上で耳をすませて生存を確認してみたりする。そのときに、ふっと、そうすけが笑顔を見せることがある。その笑顔がかわいくて、顔を近づけてのぞきこんでしまう。起こしてはいけないとわかってはいるんだけど。ごめんよ、そうすけ。

 夜は眠って、朝になったら起きる。このリズムは体内時計によってまもられている。この体内時計ができあがるまでには、時間がかかる。生まれてから生後1か月ごろまでは、夜と昼の区別がないウルトラディアンリズム、つぎに眠る時間がずれるフリーランの時期を経て、ようやく生後3か月から4か月ごろにサーカディアンリズムとよばれる体内時計ができるという。そうすけはいまちょうど1日24時間の地球時間にぴったりの時計を手に入れたばかりなのだ。まだ、つかい方にはなれていない。あたたかく見まもってあげよう。

 赤ちゃんの眠りには、3つのパターンが見られるという。ぐっすり睡眠、もじもじ睡眠、そして、まどろみ睡眠。ぐっすり睡眠は、いわゆるノンレム睡眠のことで、からだもこころも深く眠っている状態。ちょっとぐらい音がしても起きないので、家事をしたり、音楽をきいたり、ママにとっては時間をたっぷりつかえるチャンスだ。赤ちゃんが大きくなるほど、ぐっすり睡眠は長くなる。もじもじ睡眠は、レム睡眠のこと。脳が活動をはじめる浅い眠りだ。 目をつぶりながら、手足をもじもじ動かしている。ときどき、びくんと手を動かすことがあるが、これは音に反応しているしぐさなんだそうだ。 口をむにゅむにゅと動かすこともあるが、おっぱいをほしがっているわけではないらしい。 夢を見るのは、もじもじ睡眠中だ。まどろみ睡眠は、本格的な眠りに入る前や目覚める前の状態で、うつらうつらの眠り。目は閉じたり、半開きだったりする。にんまり笑っていることもあるが、まだこころが未発達な段階なので、おとなの笑いとはちがう。まどろみながら泣くこともある。 目覚める前に、うんちやおしっこをしていて気もちわるいからだ。ぴんときたらすぐ、おむつをかえてあげよう。

5月12日、かわいいねえ。(生後139日)

 そうすけといっしょにいると、とにかくいろんな人から声をかけられる。道ばたで、お店で、駅で、電車で。こんな体験は、いままでになかった。赤ちゃんのもつパワーには、ほんとうにおどろかされる。現代人はコミュニケーションが希薄だなどといわれたりするが、そんな心配もどこ吹く風だ。みんな、ただ声をかけるタイミングを待っていただけなのかもしれない。ありがとうの気もちで胸がいっぱいになる。こんな世界に生まれてきてよかったね、そうすけ。

 声をかけてくる人は、圧倒的に経産婦が多い。家族連れのママやおばあちゃんは、ほぼ100%といってもいい。自分の体験と重ねあわせてたくさんのことを思うのだろう。目を細めて、自分の子どものように話しかける。
「かわいいねえ」
「何か月?」
「いまが、いちばんいいときねえ」
きょうもエレベーターのなかで、知らない女性から声をかけられた。わたしとおなじくらいの年だろうか。そうすけを見ながら、しきりに、いまがいちばんかわいいときなのよねーと連発している。大きなお子さんがいるのかな。
「うち、8歳の娘がいるんだけど、口が達者で」
「おしゃまさん、なのかな」
「いってほしくないこと、どんどんいっちゃうのよー」
いってほしくないことって、どんなことだろう。と、つい気になってしまったがそれは教えてもらえなかった。女の子だから、美容とかダイエットの話だったりするのかな。わたしからすれば、おなじごはんをたべることができるのも、いろんなおしゃべりができることも、うらやましいかぎりだ。お母さんと対等に話しているそうすけが、いまはまだ想像ができない。ごはんをたべたり、おしゃべりをしたり、早くできるようになりたい。そう話すと女性は、はっとした顔を見せたあとで、やっぱりこのころがいちばんかわいいよーといって笑った。

 若い男性から声をかけられたこともある。とんかつ屋さんの店員のおにいさんが、そうすけをうっとり見つめながら、だんなとわたしに話しかけた。
「いいにおい。赤ちゃんのにおいですね」
「赤ちゃんのにおいですか」
「赤ちゃんにしか出せない、いいにおいがあるんです」
おにいさんも先日パパになったばかりだという。そうすけとずっといっしょにすごしていると気づかないにおいを、パパになりたてのおにいさんは感じているのかもしれない。ミルクだけじゃない、赤ちゃんのにおいなんだという。

5月11日、産後ダイエット。(生後138日)

「なんでかな、2キロ太っちゃった」
「わたしも、体重ふえてるよ」
だんなも、わたしも、かるいショックを受けている。ホットヨガに復帰してからだんなはまだ2回め、わたしも4回め。まずはよぶんなものを出しきろうと思っていたら、いきなりからだがたくわえモードに入ってしまった。いままでの経験則では、こうなるとしばらく様子をみるしかない。からだがいつものペースをとりもどすまで、がまん、がまん。だんながおもしろいことをいう。ヨガのレッスン前とレッスン後に体重を計ってみたら、ふえていたのでびっくりしたそうだ。水をのんでいたからじゃないのときいてみると、レッスン中に水は絶対のんでいないといい張る。まるでミステリーだ。空気だけで人は太るころができるのだろうか。このナゾが解ける瞬間は、いつやってくるのだろうか。

妊娠中はとくに、無事に出産を終えるためにホルモンの影響で脂肪や水分をたくわえやすくなっている。しかし出産を終えると、ホルモンバランスもいつもの状態にもどり、脂肪や水分をためこむはたらきは抑えられる。ということは、たべすぎたりしないかぎり、ふつうに過ごしていればある程度までは脂肪が落とせるわけだ。そうなんだ、からだってたのもしい。それでも太ることがあるなら、食事のとり方に問題があるということになる。たしかにカンタンに想像できる。産後はずっと、そうすけの世話で寝不足がつづいている。もともと夜型だから深夜のおっぱいは平気だと胸を張っていたけれど、4か月もつづくとさすがに疲れがたまる。疲れがたまって胃腸が弱っているところにもりもりたべているから、太りやすくなるのもしかたがないだろう。1日の食事の回数を4、5回にわけて、1回の食事量をセーブするといいらしい。

産後ダイエットは、産後6か月までに行うと効果があらわれやすいといわれている。ダイエットをはじめるなら4か月のいまこそチャンスだ。というのも、妊娠中にたくわえられた脂肪はふつうの脂肪とくらべて落としやすい流動性の脂肪だからだ。水分をたっぷり含んだ燃焼しやすい脂肪なので、産後の時間があまり経ってしまうと、落としにくいガンコな脂肪に変化してしまうらしい。なるほど、これは先手を打っておかなければ。と思えば、やる気も出てくるはずだ。

5月10日、リラックスデー。(生後137日)

 きょうは、リラックスデー。だんながヨガに行っているあいだ、そうすけと部屋でのんびり過ごした。ベッドの上に大きめのタオルをひろげると、ごろんごろん。寝返りごっこをしてあそぶ。そうすけは最近これがお気に入りのようで、あきるまでなんども繰りかえしている。赤ちゃんの寝返りは、おとなのわたしたちとはちがっていて、動きが見ていておもしろい。おとなは、あおむけに寝た状態からうつぶせになるときには、腕を大きく動かして上体をひねって、そのはずみで下半身を回転させる。赤ちゃんは、順序がまったく逆になる。はじめに腰を大きくひねって、足を先に寝返りの体勢にして、その反動で上体をくるりと反転させる。下半身から動かすほうがカンタンなのかな。やっとうつぶせになると、こんどは腕をぬくのに苦戦している。上半身の下敷きになった腕を動かそうと、もぞもぞしている。やがて顔は真っ赤になり、泣きだしてしまう。そのぎりぎりのところで手つだってあげると、満足そうな笑顔を見せる。

 寝返りにあきると、マッサージもどきをしてあそぶ。そうすけは、ゆっくり肌をなでてもらうのがだいすきだ。くるりん、くるりん、と声をかけて足をなでおろしながら、ふくらはぎをさわる。太くなったねえ。おっぱいとミルクだけでもこんなに大きくなるんだなあ。と、いまさらながら実感。そんな感動にひたっているあいだもずっと、そうすけは、きゃっ、きゃっ、と身をよじってよろこんでいる。そのまま寝返りしそうないきおいだ。ほらほら落ちついて。くるりん、くるりん、と声をかけて、こんどは胸やおなかをなでる。きめが細かくてうるおいに満ちた肌をしている。こんなきれいな肌に全身がおおわれているのが、うらやましい。わたしも赤ちゃんのころにもどりたい。45年という歳月は、肌にさまざまな試練をあたえてきた。それだけタフになったという考え方もあるが。そうすけの肌は、あせもになりやすい。わたしの肌は、びくともしない乾燥肌だ。生きていると、からだも、こころも、タフになっていく。

 夕方、だんなと3人でおさんぽに出かけた。きょうから新車、うれしいねえ。ベビーカーにのせたとたん、そうすけはすやすや眠ってしまった。それだけ快適なのだろう。たしかに歩道でもカタカタしない。そうすけが起きるまで、だんなと静かに歩いていた。デートしていたあのころの気分を味わった。

5月9日、パパもヨガに。(生後136日)

 だんなもヨガに復帰した。前回行ったのが去年の12月28日だから、ほぼ4か月半ぶりになる。出産してお休みしていたわたしに気がねして、いままで控えていてくれたのだろう。これからは思うぞんぶんからだのメンテナンスにつとめてほしい。そうすけが成人するまで、あと20年かかる。おたがい健康には気をつけていこう。だんなは体重はあまりかわらないが、おなかまわりのラインがかなり気になる。ほとんどの食事でビールをのんでいるのでそれをやめるか、ヨガをもっとがんばるかだ。もちろん後者を選んだのはいうまでもない。

 だんながヨガを終えるタイミングにあわせて、そうすけといっしょにスタジオへ向かった。このベビーカーでお出かけするのも、きょうがさいごになる。そう思うとしみじみしてくる。そうすけ本人はなんにも感じていないようだが。早めに家を出て授乳してからスタジオへ行こうと、銀座のデパートにある授乳室に立ち寄った。3つある授乳室はどれも使用中だったが10分ほど待ったら入れた。晴れた休日の昼下がりは、店だけでなく授乳室まで混んでいる。そうすけは、おっぱいをのんでおなかいっぱいになると、すぐに眠ってしまった。せっかく銀座にきているのに、4か月の赤ちゃんにとってはまったく興味がわかないようだ。それよりなにより、目の前のおっぱいだ。のんでいるあいだは、おどろくほどの集中力を発揮していた。いったん眠りはじめると、さすっても、ゆすっても、起きない。ヨガが終わって出てきただんなにそうすけをあずけると、こんどはわたしがレッスンに入った。さっき見ただんなの顔が、ゆでだこのようにまっ赤になっていたのを思いだしてポーズをとりながら笑った。がんばったんだなあ。

 そうすけは帰り道も、ずっと眠っていたそうだ。家に着いたときも、眠ったままだったらしい。そのままベビーカーに寝かせて新しくとどいたベビーカーを部屋で組みたてていると、いきなり玄関から火のついたような泣き声がきこえてきた。目の覚めたそうすけが、あたりの状況がかわっていることにおどろいたのだろう。どうしてぼくはここにいるの、お母さんはどこへ行ったの、いまなにが起きているの、教えて、教えて、教えて。わたしが家に戻ったときにはすっかり泣きやんでいたが、ほんとうにたいへんだったとだんなからきいた。

5月8日、効果と達成感。(生後135日)

 全身にかるい筋肉痛を感じる。きのうのヨガで意識して全身をくまなく動かしていたら、ふだんつかわない筋肉をつかってしまったらしい。4か月半のあいだにいかにからだがなまけていたのかがよくわかる。くしゃみをするにも、腹筋が痛くてちからがまったく入らない。1回のヨガでこんなに運動の効果を実感できるとは。きょうもレッスンに行こう。思ったよりも早くおなかのぶよぶよを解決できるかもしれない。ムリをせずマイペースでつづけよう。

 きょうのレッスンは先輩ママのインストラクターさんだ。おなじ経産婦だというだけで、うれしくなってしまう。それとは逆に筋肉痛がじゃまをして、からだがいうことをきかない。26のポーズの3番め、オークワードポーズで、透明な椅子にすわった状態をたもっているとひざががくがくになってしまった。まだ3つめのポーズなのに、こんなふうになってしまうとは。それを見たインストラクターさんがすかざず、生まれたての小鹿になっているよ、と美しい表現をつかって指摘してくる。そのあとも、ひざをのばそうとしてものびきれなかったり、背中がつっぱって十分に反れなかったり。とてもバランスがとれたとはいえないポーズの連続だが、気もちだけは平静をじょうずにたもって90分をのりきった。きのうよりもきょうのほうが、筋肉痛のぶんきついと感じた。

 保育園にそうすけを迎えに行くと、先生が笑顔をはずませてきょうの様子を教えてくれた。冷凍母乳とミルクをしっかりのんだこと、床の上でごろごろと動きながら友だちをじっと見つめていたこと、音のするほうへ思いっきり顔を向けて見ようとしたこと、いろいろなことに興味シンシンなこと。よかった。たのしく過ごしているようだ。いま寝返りの練習をしているそうで、先生が手つだってごろんとできると、にこっと笑ってどこか誇らしげにあたりを見まわしていたそうだ。その自慢げな顔をいますぐ見たい。家でもよく寝返りごっこをしてあそんでいるので、テストのヤマがあたったようなうれしさがこみあげてきたのかもしれない。これからもっと、保育園でわたしたちの知らないそうすけを発見するのをたのしみにしている。しっかり見まもっているからね。