1月17日、おっぱいの神秘。(生後24日)

 1月17日、阪神淡路大震災から20年が経つ。あの朝、まだだんなになる前のだんなとテレビを見たときの衝撃を、まだおぼえている。あわてて滋賀の実家に電話をかけたが、なんどかけてもつながらなかった。やっとつながったら母も動揺していたようで、おなじコトバをなんどもくりかえし話していた。
「振り子時計の振り子、とまっちゃったよー」
わたしが赤ちゃんだったころからとまったことのない振り子がとまるほど、ぐらぐらゆれていた。実家のある滋賀県大津市は、震度4。被災地のことを思うといまも胸が痛む。あの日も赤ちゃんを抱えるお母さんたちは、おっぱいをのませながらがんばったんだなあ。せまりくる恐怖や不安とたたかいながら。

 きょうはだんなも仕事がお休みで、そうすけをまる一日見ていられるのがうれしそうだ。ぎゃん泣きするそうすけのおむつをかえたり、ぐずるそうすけをだっこしてあやしたり。そのひとつひとつを、たのしんでいる。おっぱいをのんだそうすけをだんなが寝かせているあいだ、のんでいないほうの胸から搾乳をすることにした。いつも50ccを目安に搾乳するが、一気に出ないので、休み休みしぼってみた。が、きょうはなかなか乳が出ない。こんどは両方の胸からしぼってみよう。ついさっきまでのませていたからなのか、やっぱり出がよくない。しばらく様子をみようか。と思ったところで、そうすけが泣きだしてしまった。だんながおなかをさすったり、背中をトントンしたり、機嫌がよくなるようにあの手この手であやしている。そのたびに泣きやんでは、また泣きだす。おっぱいが足りなかったのかな。こっちも足りないよ。だんだん不安になってきた。

 だんながそうすけをあやしている様子をみながら、わたしはある変化に気づいた。おっぱいから、乳が滴っている。そうすけが泣けば泣くほど、乳の出がよくなっているのだ。赤ちゃんの泣き声をきいたり赤ちゃんをいとおしく思うだけで母乳がにじみでる、という話をきいたことがあるが、ここで目のあたりにするとは。お母さんのおっぱいは、お母さんのこころとつながっている。