Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

10月31日、カイロ出動。(妊娠31週1日)

 背中の痛みが、くせになってきた。とくに右側の肩甲骨のすこし下あたりが痛む。風呂に入っているときやヨガをやっているときは感じないが、食事のあとや仕事帰りの電車にのっているときがつらい。きょうも電車のなかで背中にこぶしをあててぐりぐりやっていたが、痛みにたえきれなくなりストレッチしてしまった。腕を上げて背中の横側とわき腹をのばすように動くと、すこし痛みがラクになる。ヨガのようなポーズをとりつづける妊婦を見て、まわりの人はどう感じていただろう。それでも痛みがおさまるならかまわない、と思えるほど症状は深刻だ。あした鍼灸マッサージ治療院に行ってしっかり診てもらおう。

 家に帰ってからも、ずっと痛みが気になる。しばらく横になって休んでみたけれど、おさまりそうにない。たまったコリをほぐしてすっきりしたい。ためせるものは、なんでもためしてみよう。だんなのゴルフボールを見つけたので、背中にあててゴロゴロころがしてみる。もうすこし、つよめがいいな。ベッドの上にゴルフボールを置いて、背中をのせて体重をかけてみた。気もちがいい。しばらくこうしていよう。それにしてもあと2か月、これでしのげるのだろうか。だんだん、不安になってきた。いい解決策を見つけなければ。

「ただいまー」
「おお、待ってました」
だんなが帰ってきた。さっそく背中の痛みをうったえて、マッサージをおねがいする。こういうときにも文句をいわずにつきあってくれるのが、ほんとうにありがたい。ビールをのみながらもみもみ、テレビを見ながらもみもみ。つまみをたべながらもみもみ。2時間ほどかけてもんでもらった。ラクにはなったけれど、まだ痛みのもとが背中にのこっている。いつでもどこでもためせる解決策が見つかればいいのだが。だんなが、ふと思いだしたようにいった。
「あっためると、いいんじゃないの」
「あっ、そうか」
風呂に入っているときは、痛みがなくなるんだっけ。さっそく、だんなが寝たあとカイロをとりだしてためしてみた。じわじわあったかい。じっくりきいてくるカンジだ。これはいいぞ。あした貼るカイロを買いだめしておこう。

10月30日、1日で1キロ。(妊娠31週0日)

 やっぱり、たべすぎてしまった。朝、体重計にのってびっくり。まぁ覚悟はしていたけれど。1キロふえてしまった。1日で1キロ。1か月で1キロ増のペースでいきましょうね、と日ごろからいわれているのになあ。なんとかしなければ。まずは風呂で汗を流そう。きょうは、かならずヨガに行くのだ。

「あ、かんべさーん」
「こんにちは」
「まあ、ちびちゃん大きくなったねえ」
インストラクターさんがさっとそばにかけよってきて、おなかをなでなでしてくれた。こんなに美しい女性に、さっとかけよってきて、なでなでまでしてもらえるなんて。そうすけは、しあわせもんだなあ。インストラクターさんも、おなかをさすりながら変化に気づいたようだ。
「ほんの数日のあいだにまた大きくなったねえ」
「やっぱり、たべすぎたなあ」
「順調、順調、いいこと、いいこと」
どんなこともポジティブにうけとめるところが、いいよなあ。うん、きょうも順調、順調。ヨガに集中しよう。
「いま8か月ですよね」
「30週だから、8か月の後半ですね」
「もう、声きこえてますね。話しかけてもいいかな」
「どうぞ、どうぞ」
コロコロころがるようなかろやかな声で、そうすけに話しかけている。このきれいな声をきいてほかの生徒さんの赤ちゃんがすやすや眠りについてしまったという、レジェンドをもっている。インストラクターさんはどうやら、そうすけをつぎのターゲットに決めているらしい。なんどもなんどもていねいに話しかけている。こんなふうに話しかけてもらうと、でれでれになっちゃうなあ。
「うたをうたってあげるのも、いいんだって」
「鼻歌なら、よくうたうんだけど」
風呂に入っているときを思いだした。鼻歌をうたったり、口笛をふいたり。オンチでも、だいじょうぶだろうか。きっと、気にしていないだろうね。

10月29日、ひとまわり大きく。(妊娠30週6日)

 夕方、ホテルニューオータニへ。コピーライターズクラブの受賞イベントに参加する。残念ながらわたしは新人賞をもらってからは受賞していないが、運営スタッフのひとりとして壇上に立つ。プレゼンターの補佐をする。この役をつとめてもう7年めになる。受賞者がトロフィーをうけとる瞬間を間近で見ることができる、貴重なチャンスだ。ただただ、うれしそうな人。とまどっている人。自信がみなぎっている人。照れる人。謙遜している人。ほめられたときのリアクションに、その人らしさがあらわれておもしろい。わたしはこの役がすきで、いつもたのしみにしている。今年も依頼がきてほっとした。妊娠しているからやめたほうがいいんじゃないの、といわれるかと思っていたけれど、わたしにやれるかどうかきいてくれたのがうれしい。もちろん、二つ返事でオーケーした。そうすけといっしょに壇上に立てるなんて。しかも、生まれる前から壇上に立てちゃうなんて。すごいなあ、そうすけ。これは、ほかの人には体験できないチャンスなんだよ。記憶のどこかに、すりこまれていくのだろうか。生まれたあとで、そっときいてみよう。お昼にすき焼き定食をたべて、イベント本番にそなえた。ちょっと奮発してしまった。でも、これで気合十分、よしとしよう。

 あららら、授賞式がはじまっているのに、そうすけのしゃっくりがつづいている。ひくっ、ひくっ、と一定の間隔をおいて動いている。下半身がくすぐったくて、身もだえしそうだ。落ちついて、そうすけ。わたしまで、立ちあがってしまいそう。そのまま、トロフィーの授与に突入した。プレゼンターの屈託のない笑顔も、受賞者の緊張した面持ちも、会場にわきあがる拍手も、そして、そうすけのしゃっくりも。すべてが混然一体となってせまりくる。はじめての感覚に足もとをすくわれそうになる。いまこの感覚を共有しているのは、そうすけ以外にはいない。こうなったら、しゃっくりもたのしんでしまおう。とびきりの笑顔でプレゼンターにトロフィーを手わたす。そうすけといっしょに。

 イベントのあと、スタッフ控え室でカンパイをした。心身がすっかり解放されて、ごはんがおいしい。こんなときのビュッフェはきけんだ。どのくらいの量をたべているのか、どんどんわからなくなってしまう。背中が痛くなってようやく満腹に気づいた。あぶない、あぶない。たべすぎないようにしなければ。両手をグーにして背中をぽんぽんしていると、仲間に声をかけられた。
「かんべさん、授賞式のあいだに、おなか大きくなってない?」
「ホント、ホント」
「1日でこんなにかわるなんて」
「あらあ、成長したねえ」
たべすぎてしまったからだろうか。ほんとうにそうすけが大きくなったからなのだろうか。どっちが正解かはわからないが、たしかにまたひとまわり大きくなった気がする。そうすけも、おめでとう。

10月28日、肌に乾燥注意報。(妊娠30週5日)

 朝、駅に向かって歩きながら、気温の変化を肌に感じた。さむくなってきたなあ。そりゃそうか。もうすぐ11月だもんね。妊娠していると汗をかきやすくなるため、この時期どこまで着こんでいいのかわからなくなる。とりあえずきょうのところは、半袖のワンピースにウールのカーディガンでだいじょうぶだろう。あつかったら、脱げばいい。と思っていたら、さっそく電車のなかでからだが汗ばんできた。ここで脱いでしまうとカーディガンが荷物になるからもうすこしがまんしよう。と、こんどは、腕がかゆくなってきた。肌にウールのふれているところがチクチクする。チクチクする、と思っていたら、ムズムズする。袖をまくって、肌をかこうとして、びっくり。ひどい乾燥で肌が粉ふきいものようになっている。これはたいへんだ。すぐに保湿しなければ。

 そういえばこのごろよく、おなかまわりもかゆくなる。ちゃんと保湿しないとたいへんだ。乾燥肌の人は妊娠線が出やすいといわれている。妊娠をしておなかが大きくなって皮膚が急にのびてくると、表皮はのびるいっぽう、真皮や皮下組織の一部はのびにくい性質のため、亀裂が入って赤紫色の細い線が浮きあがってくる。これが妊娠線だ。妊娠線はおなかだけでなく、乳房やおしり、太ももなどにもできることがある。はじめは赤っぽい色をしているが、だんだん白っぽくかわっていく。個人差もあるが、だいたい1年ほどかけて変化していく。
 妊娠線は、いちどできてしまうと一生あとが消えないという。それなら、太ももなどの見えるところにやっぱりあとをのこしたくはない。赤ちゃんをおなかのなかで大事に大事に育てたしるしだからいとおしく思える、という人もいるとは思うけれど。やっぱり、つくらないにこしたことはないだろう。

もっとも手軽で効果的な妊娠線の予防法は、保湿力のすぐれたクリームをつかってマッサージをすること。たくさんのメーカーから妊娠線の予防クリームが出ているが、成分はほとんどおなじだそうだ。大切なのは肌を乾燥させないことなので、そんなに高価なものじゃなくてもいいだろう。クリームをぬるときにはケチらずおしまず、念入りにたっぷり浸透させてぬるのがいい。お風呂あがりに、クリームをつかってマッサージをしてあげるのがいちばんだ。

10月27日、自分を見なおす。(妊娠30週4日)

 18時半から、人材育成プログラムに参加した。18時から打合せが入ったので30分あまり遅刻してしまったけれど、いまなら追いつけそうだ。ディスカッションに加わった。ディスカッションのひとつめのテーマは、自分の可能性に目を向けよう、だ。タイトルをきくだけでも、前向きになれるなあ。と気楽にかまえていたけれど、反省しまくりだった。25歳の女性起業家の体験談をもとに、彼女のどんな特性が夢をかなえるちからになったのかを書きだしていく。書きだした特性と自分との相違点をあげていく。自分のほうが優位な点はなにか。彼女のほうが優位な点はなにか。自分の優位なところが見つからない。それでも考えて、考えて、書きだす。さらに、彼女の行動から気づいたことをあげて、ひとつひとつたしかめていく。これらの作業をとおして、いまの自分に不足しているものをあらためて認識した。行動力。やりたいことをやりぬくちからだったり、まわりの人を巻きこむちからだったり。それは特別なちからではない。だれもがそなえているちからだ。それを活かすか活かさないかは、自分次第。いまからでも遅くはない。ちからを活かすチャンスをもらった気もちになる。

 ふたつめのテーマは、自分のロールモデルを説明する、だ。40代のいま、ロールモデルを見つめなおすとは。背すじがぴんとのびる。わたしの行動や考え方の模範や目標になる人物はだれだろう。ぱっと出てこない。いままでにたくさんの人とかわしてきた会話を思いだしてみる。そのなかにきっと、ヒントがあるはずだ。しばらく考えて、尊敬するコピーライターとミュージシャン、指揮者の名前をあげた。こんどはそばにいる人とペアを組んで、相手のロールモデルを共有していく。わたしのパートナーになった方のロールモデルは、お父さん、お世話になった上司、義理のお母さん。日常の身近なところにいる。こういうところにもその人らしさがあらわれるのかもしれない。複数のロールモデルをあげていても自分のなかに一貫したなにかを感じる。自分軸、とでもいうものだろうか。ワークショップのさいごに、パートナーのロールモデルを書きとめて整理したシートをおたがいに交換した。わたしのロールモデルから読みとれる人となりが、まとめてあった。自然体で自分の哲学を共有してよりよい成果につなげることに魅力を感じる人、か。クリアに自分が見えてくる。

10月26日、ハロウィーンヨガ。(妊娠30週3日)

 マタニティヨガへ。受付でびっくり。魔女がいたり、妖精がいたり。ヨガを教えているインストラクターさんも、うさぎのかっこうをしている。きょうはハロウィーンの仮装ヨガの日だったんだ。フェイスペインティングをしている人もいる。みんな、ノリノリだなあ。なにか準備してくればよかった。
「かんべさんも仮装しましょうよ」
「どうしよう。なんにももってきていなくって」
「だいじょうぶです。グッズありますよ」
「わあ、つかってもいいですか」
出てくる、出てくる。いろんな帽子に、カチューシャに。だんなは、あたまに刀が刺さっているカチューシャ。わたしは、こうもりのカチューシャをつけてヨガに参加した。マントをまとっている人も、かぼちゃの着ぐるみの人も。着ぐるみはあつくないのかな。リラックスしていれば、だいじょうぶなのかな。

 そうすけも、ハロウィーンをたのしんでいるようだ。よく動いている。このごろはひんぱんに動くようになってきたので、超音波ドップラーの出番がすくなくなってしまった。それでもまだ、ときどきお世話になっている。そうすけがじっとしているときには、元気にしているかついついたしかめてみたくなってしまうのだ。寝ているところをじゃましているかもしれないなあ、と申しわけなく思いながら。トク、トク、トク、と心音がきこえてくると、ひと安心する。

 ヨガのあいだにも、そうすけはしゃっくりをしている。静かにお休みするポーズ、シャバアーサナをとっているときにも、しゃっくりがはじまった。みんなが横たわりながらリラックスして呼吸をととのえているなか、わたしのおなかだけが、ひくっ、ひくっ、と動いている。わたしの意思ではけっしてとめることができない。ふしぎな気もちになる。ぼくはここにいるよ。生きているんだよ。と声がきこえてくるようだ。おなかに手をあてる。それでも、しゃっくりはつづいている。おなかをなでる。それでも、とまらない。自らのリズムをまもりつづけている。すきなようにすごしていいよ。ずーっと待っているから。

10月25日、さいごの婦人科。(妊娠30週2日)

 9時から、妊娠検診だ。体重の増加が気になっていたので、風呂でゆっくり汗をかいておく。数字的にはこれで問題なし、と。日ごろから気をつけてはいるがカンタンにかわるので、気にしすぎないようにしている。婦人科の受付でいつもどおり母子健康手帳と妊婦健康診査受診票、診療予約カード、健康保険証を提出した。あ、きょうは10月で2回めの検診になるから、健康保険証は提出しなくてもよかったんだっけ。いつもどおり検尿をとり、血圧と体重を測り、ロビーで名前をよばれるのを待った。きょうはロビーが比較的空いている。

 診察室のベッドで経腹エコー検査を待っているあいだも、そうすけはひんぱんに動いている。おなかが波打っている。だんなが、おなかのうえに手のひらをのせた。手のひらがあたたかい。そうすけは、こうしている時間がすきだ。しばらく寄りそうように動いて、安心したのかおとなしくなった。と思ったら、こんどは、しゃっくりだ。ひくっ、ひくっ、と、けいれんのような動きがつづく。いそがしそうだなあ。あれれ、とまらなくなっちゃった。わたしは、この動きがニガテだ。羊水のなかでバタバタともがいている様子を想像してしまう。先生がやってきた。
「こんにちは」
「調子はどうですか」
「いいカンジなんですけど、いましゃっくりがとまらなくて」
「ああ、それは元気な証拠ですね」
「よく動いているのはうれしいんですが、だいじょうぶかなあって」
「動かなくなってしまったほうが、たいへんですよ」
検査がはじまると、いつのまにかしゃっくりがとまっていた。気配を感じてじっとしているのだろうか。えらい、えらい。
「ここが、あたま。それから、胴まわり。こっちが足ですね」
だんなは、だまってきいている。パーツが画面からはみだしてしまって、よくわからないからだ。わたしも話をきいてうなずいているばかりだった。

 体重1369グラム。羊水の量もいまのところ問題なさそうだ。この婦人科での検診は、きょうまでになる。次回からは、日赤医療センターで妊娠検診をうけることになる。受付で日赤医療センターにわたす紹介状をうけとった。
「元気な赤ちゃんを産んでくださいね」
「はい。ありがとうございます」
身がひきしまる思いだ。いままでお世話になりました。つぎにお会いしたときには、うれしい報告ができますように。1日1日、大切にすごします。

10月24日、自然に自然に。(妊娠30週1日)

「このごろ、どうですか」
「うん、ぼちぼち」
仕事場で後輩に声をかけられた。彼女はわたしよりひとまわり以上も若いが、育休明けしたばかりの先輩ママだ。時間短縮型の勤務制度をつかって、子育てと仕事を両立している。3か月がすぎたところで、ようやくリズムがつかめてきたという。体験をふまえたコトバのひとつひとつが、説得力に満ちている。
「朝、だんなに子どもを保育園まで送ってもらって、夕方、わたしがむかえに行くルールにしているんですよ」
「へえ、朝からだんなが。えらいなあ」
「これが、おたがいのモチベーションになるんですよ。きょうも、がんばるぞって」
「おお、なるほど」
「と盛りあげて、その気にしちゃうわけです」
「それ、いいなあ」
「かんべさん、保育園は先手先手で探したほうがいいですよ」
このアドバイス、以前にもきいたことがあったなあ。そうそう、産む前から先手先手でアプローチしておいたほうがいいんだよね。はい、気をつけます。
「いつから産休ですか」
「12月から休むつもり」
「それって、ぎりぎりまではたらくつもりでしょう」
「ほかにやることもないしー」
「もったいない。有給休暇を活用しないと」
「活用したんだね」
「もちろん。つかえるものはつかわないともったいないですよ」
ほんとうに出産に向きあって過ごしていたんだなあ、と感心する。彼女は産休に入る前にすべての仕事をリセットしたという。これって勇気がいることだ。休んでいるあいだいちども会社のメールを開かず、出産と子育てに専念した。いまのわたしにはできない。なんだかんだ文句をいいながらも、いまの生活に安心しているから。なるべくいまのままを、キープしたい。仕事がだいすきだからというよりも、毎日のリズムがかわるのがこわいからなのかもしれない。いや、こわいというよりも、めんどうくさい、といったほうが正直だろう。すべてが生活の一部。だから、むかしの農家の女性のように自然に産んで、自然にはたらき、自然に子育てしたい。いまは、そんなふうに希望している。実際にどうなるのかはわからない。産んでみてやっとわかるのだろう。

10月23日、マタハラ訴訟。(妊娠30週0日)

 子育てしながらはたらく女性たちにうれしいニュースだ。妊娠や出産を理由にしたハラスメントを、マタニティーハラスメント、略してマタハラとよんでいるが、そのマタニティーハラスメントをめぐるマタハラ裁判で、きょうの午後、最高裁が審理を差しもどしたという。妊娠をきっかけにした降格処分が均等法違反にあたるかどうかであらそわれていた裁判で、最高裁が判断したのはこれがはじめてだ。いまちょうど妊娠しているこのタイミングで、この判決が出るとは。ありがたい。はげまされた女性たちの、なんと多いことだろう。

 どんな裁判かというと、こんな経緯だ。2008年のこと。広島市の病院につとめていた理学療法士の女性がふたりめのお子さんを妊娠して、負担のかるい業務を希望した。すると、異動とともに「副主任」の役職をはずされた。これには本人も納得していた。ところが育休を終えて完全復帰しても、役職をはずされたままにされてしまった。これは話がちがう。そこで彼女は、病院側に損害賠償をもとめる訴訟を起こした。1審、2審ともに女性側が敗訴、そして、きょうようやく最高裁の判断が下されたわけだ。苦節6年。あきらめないで、よくがんばったなあ。判決は、女性が降格を承諾していたとはいえない、と指摘したうえ、降格を正当化するだけの業務上の必要性があったかどうかを高裁であらためて検討する必要がある、と判断した。まだすべてが解決したわけではないし、ハードルはいくつもあるけれど、彼女にとってはのぞんでいたとおりだったにちがいない。おかしいコトをおかしい、といいつづけてよかったのだ。

 いまの統計でいえば、妊娠した女性のすくなくとも4人に1人はマタハラされた経験があるらしい。実際にはもちろん、もっとたくさんの女性がマタハラを体験しているだろう。妊娠をこころから歓迎できる世の中になってほしいものだ、とつくづく思う。少子高齢化になったらこの先たいへんだといいながら、どうして生きにくさを抱えなければならなくなるのだろう。このような矛盾がずっと見のがされているのはなぜだろう。あたりまえだとか、しかたがないとか、逃げているだけではなんにも解決できない。マタハラと身近によばれるようになった、いまこそ見なおすチャンスだ。見て見ぬふりはできない。

10月22日、雨のウェンズデイ。(妊娠29週6日)

 朝から、雨がふりつづけている。きょうは、雨がふったりやんだりの1日になりそうだ。気をつけて出かけよう。階段とか建物の出入り口とかは、注意して歩いているけれど、歩道のタイルとかマンホールとか、すべりやすいところは意外にたくさんある。こわいのは、途中からぬれている階段。だいじょうぶだと思って歩いていたら、さいごの数歩でころびそうになったりすることもよくある。あぶない、あぶない。足もとだけではなく、すこし先を見よう。とにかく、あせらない、急がない。急いでいる人がいたら、道をゆずってあげよう。右手で傘をさしながら左手で荷物をもつのはやめて、ショルダータイプを活用しよう。

 と、ここまでやっても、さけられないものがある。おなかの張りだ。低気圧がやってくると、赤ちゃんがよく動いたりおなかが張ったりするのを感じるママは多いらしい。そのとおりだ。きょうは朝からしょっちゅう、そうすけが動いている。遅めのランチをとったあと、おなかの張りが気になりだした。満腹にならないように、用心してたべたつもりだったんだけど。おなかの張りを気にしていたら、こんどは背中や腰の痛みまで気になってきた。カバンがやけに重く感じられる。寄り道しないでさっさと帰ろう。電車のなかで背中や腰をこぶしでぐりぐりしていたら、ふたりの男性に席をゆずってもらってしまった。

 低気圧は、出産そのものにも作用しているようだ。実際にアメリカでも、巨大ハリケーンがきたのとおなじタイミングでベビーラッシュがきている。台風のなか、病院に急いで行くのはたいへんだったろうに。病院ではたらいている人たちも、予想外の混雑でたいへんだったにちがいない。どうして関係があるのか調べてみると、自律神経にカギがあるらしい。低気圧になると空気中の酸素がすくなくなるため、自律神経のなかの副交感神経がはたらく。副交感神経は、リラックスをするためにはたらく。酸素が減ると全身の血流がわるくなり、免疫力も下がる。それを防ぐためにエネルギーの消費をおさえようとするわけだ。呼吸が遅くなって、だるさを感じる人もいる。陣痛も副交感神経のはたらきに関係しているので、低気圧が影響してくるのだ。雨の日の異変には、こんな理由があるんだなあ。からだのメカニズムだとわかれば、ちょっとラクになった。