Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

6月6日、ワクワクつづく。(生後164日)

 正午、そうすけとだんなと保育園へ向かった。そうすけをあずかってもらうためではない。バンドの練習だ。保育園の副園長さんのかけ声で、お父さんとお母さんによるバンドが結成された。だんなもわたしも、学生のころに経験があるので、声をかけられると、ついその気になってしまった。生演奏をきいたら、そうすけもよろこぶだろう。だんなはボーカル、わたしはパーカッションで参加するつもりでいたが、だんなが、ボーカルはいやだとこばんだ。人前でうたうのはひさしぶりなので、不安になってしまったのだろうか。強引にすすめたので、気をわるくしてしまったのだろうか。なにがやりたいの、ときいたら、タンバリンがいいという。じゃあ、ダブルタンバリンでいこう。うれしいことにウチにはタンバリンがふたつある。ふたりでやれば新鮮だ。そうすけを左手にだっこして、右手にタンバリンをもって、すわってスタンバイした。

 ボーカル、ギター、キーボード、パーカッション、ピアノ。副園長さんも入れて9人のメンバーがそろった。おしゃべりしながら和気あいあいとした空気のなか練習がはじまった。人気のアニメソング、お父さんとお母さんがすきなアーティストの歌を5曲くらい選んで、その場でタブレットで聴いてたしかめながら練習した。これなら初見でも、すーっと演奏に入っていける。便利な世の中になったもんだ。そうすけは、ボーカルのお父さんがうたう様子をじっと見ている。お父さんといっても、あきらかにわたしよりうんと年下だ。おにいさんとよぶことにしよう。おにいさんは歌がうまい。だんながこばんだのは、正解だったかもしれない。そうすけも聴きほれている。と思ったら、いきなりシャウトしているではないか、そうすけが。全身のちからをふりしぼるようにして叫んでいる。あー、ああー、うー。おにいさんといっしょに熱唱している。

「そう、そう。自由にうたっていいんだよ」
おにいさんに声をかけられて、いったん口をつぐんでいたが、演奏がはじまるとまたうたいはじめた。あー、あああー、ううー。気もちよさそうだ。自分を表現するよろこびを味わっているのかもしれない。タンバリンをにぎらせると、手のひらでぴたぴた、さわりはじめた。家に帰ってからも、そうすけの興奮はつづいた。バンドで練習した曲をなんどもいっしょに聴いて、なんどもうたった。1年前のきょう、そうすけの存在にはじめて気づいておどろいた。そしていまも、おどろきの連続だ。これからもつづくだろう。つづいてほしいと願っている。

6月5日、優柔不断。(生後163日)

 午後6時からコピーライターズクラブの総会に出席する。予算管理を担当していて、前年度の決算と今年度の予算を報告することになっている。だんながそうすけを迎えにいってくれるので、安心して発表に集中できる。の、つもりでいたけれど、会う人会う人に、そうすけくんいま何か月だっけーと質問されたり、いつもSNSでそうすけくんのこと見ているよーと応援されたり。気づいたらほとんどずっと、そうすけの話ばかりしていた。みんながきみのことをだいすきだよって家に帰ったら伝えてあげよう。と、ひと言ひと言ききのがすまいと耳をすましていたら、あたまのなかがそうすけでいっぱいになってしまった。親になるとみんなこんなふうになるのだろうか。子どもの話がはじまると、とたんに客観的ではいられなくなる。

 発表が終わると、カウンターでビールをもらって席にもどった。とくに異議もなく無事に終了したので、ごほうびの1杯だ。このごろ家でも、だんながのんでいるビールをグラス半分もらってのむことがよくある。このくらいなら酔わずにすむ。妊娠する前には、ホットヨガを終えたあとの空きっぱらに、きんと冷えた生をぐいぐいのんでごきげんになっていた。のまなくなったら、それはそれで平気だ。ヒトのからだは、ほんとうによくできている。いまは、たくさんのみたいという気もちよりも、おいしくのみたいという思いのほうがつよい。おつまみにもこだわりたい。いや、むしろ、たべるほうがメインだ。おかげでいまも妊娠前の体重にもどらない。あと3キロのところでずっと、とまっている。

 総会のあとにパーティーがあったが、出ないで帰ろうと思った。家ですごしているそうすけとだんなに、なにかおみやげでも買って帰ろうかな。と思ったのもつかの間、エレベーターに尊敬する大先輩がのってきて、パーティー行くぞパーティー、と話しかけられたのをきっかけに、そこにいた全員が二次会へと向かった。もちろん、わたしもついていく。ついていきたい。どうしてこんなに意志が弱いんだろう。けっきょく1時間あまりは会場ですごしていただろうか。尊敬する先輩とも話せたし、ひさしぶりの仲間にも会えたし、これでよかった。よかったはずだ。急いで家に帰ると、もっとゆっくりしてくればよかったのにーと、だんなにいわれてほっとした。これくらいが、ちょうどいい。

6月4日、野菜スープ。(生後162日)

 保育園の帰り道、そうすけといっしょにスーパーに立ち寄った。きょうの夕ごはん、なにがいいかな。もちろん、そうすけの返事はない。ベビーカーのなかからじーっと、まわりの様子をうかがっている。以前は待つのがいやで泣きだしたこともあったが、このごろは買いものによくつきあってくれる。食材に興味がわいてきたのかもしれない。きょうはそうすけがのむ野菜スープをつくる日ではないのに、きゃべつ、じゃがいも、たまねぎ、にんじん、と買いものかごに野菜をどさどさ入れてしまった。そうだ、保育園でたべてきたんだったね、ごめんごめん。いまはまだ1日に1回のペースでたべているから、つくらなくてもだいじょうぶなのだ。わたしのように、いままでまともに自炊をしてなかった母親にとっては、離乳食の期間はモラトリアムをあたえられた気分。料理のレパートリーがすくないので、そうすけがもりもりたべるようになるまでにはふやしておこう。旬のものをおいしくたべたい。食生活をあらためるチャンスだ。

 家に帰って、野菜スープの準備をはじめる。きょうは、そうすけがのむためではなく、わたしが試食をする。素材の味だけでどこまでおいしくなるのか、ためしてみることにした。子どもの味覚センサーは、おとなの3倍もあるといわれている。ということは、わたしがヘンだと感じた味は、そうすけにとってはとんでもなくヘンな味に感じてしまうわけだ。わたしの味覚にまちがいがなければ、の前提になるが。とにかく、おいしいスープをめざしてつくってみよう。素材にもこだわって、新じゃがいもと新たまねぎをつかってみた。野菜のあまみが出てのみやすいスープになるはずだ。実際につくってみると、昆布と野菜だけなのにうまみがたっぷりとけだしてしっかり味がついている。調味料がなくても十分おいしい。でも、ちょっとたまねぎが多すぎたかも。次回つくるときにはバランスに気をつけよう。野菜スープの味はわかったので、豚肉をくわえて味噌仕立ての豚汁風にする。おとな向けのバリエーションも、もっとふやそう。

 野菜スープといえば、以前ダイエットのためにつくっていた時期がある。そのころとほとんどかわらないレシピなのに、そうすけがのむとなると、まるではじめてつくる気もちになる。そして、結婚する前にだんなのために料理をつくっていたあのころのドキドキした気もちがよみがえってくるのだ。

6月3日、親は子の鏡。(生後161日)

 仕事場の仲間と子どもの話で盛りあがるなんて、去年のいまごろは考えたこともなかった。未知なる一面に出会った感覚が、ものすごく新鮮だ。きょうも得意先からの帰り道、営業のKさんから息子さんとの体験を教えてもらった。息子さんはいま3歳。3歳にもなると運動神経が発達して、手足もずいぶん器用になるそうだ。ひとりで階段をかけのぼることもできる。お箸をもってごはんをたべることもできる。いいなあ。たのしそうだなあ。と、手放しでよろこんでもいられないらしい。なんでも握って投げるので、テレビには液晶保護パネルをつけなければならない。へぇーそういう商品があるんですか、ときくと、奥さんや奥さんのママ友のあいだで知らない人はいないという。つけていなければ、液晶が割れたり、修理が必要になったり、たちまちたいへんなことになってしまうのだ。

「液晶保護パネル、おぼえておかなくちゃ」
「そうそう、棒をもったらふりまわすから、気をつけたほうがいいよ」
「棒状のもの、ですか」
「棒状のものはなんでも、武器になっちゃうから」
「お父さんも、ぶたれたりするんですかね」
「する、する」
「家でくつろげないですよね」
「ホント、体力勝負よ」
子どもは、親のことをよく見ている。箸のつかい方を教えなくても、自分からつかえるようになっていてびっくりしたという。息子さんはたべることがだいすきで、たべものに関わることは親の協力がなくてもひとりでどんどん覚えてやってみようとする。そういえば先日も、こんなことがあったそうだ。りんごがどうしてもたべたかったのだろう、片手にりんご、片手にナイフをもってきて、これたべたい、と差しだした。いつナイフのありかをおぼえたんだろう。と、と、とにかく、こっちにわたして。あ、そのまま、そのまま。パパが受けとるまで動かなくていいからね。りんごをむいてあげながら、ナイフをしまって扉をロックまでしているのにどうやって開けたんだろう、とナゾは深まるばかりだった。親が開けているところを見て、覚えたにちがいない。まさに、親は子の鏡なのだ。

6月2日、ゼロゼロ。(生後160日)

 また、そうすけがせきこんでいる。以前、小児科に診てもらったとき、これは心配のないせきだから薬をのまなくてもだいじょうぶだよ、と先生が教えてくれた。息をするたびに、のどの音がする。しんどそうだ。これはゼロゼロといって赤ちゃんにはよくあることなんだよ、とも教わった。ゼロゼロって、はじめてきく言葉だなあ。でも、あしたからふつうにつかっていそうなくらい、身近な言葉になるんだなあ。これから2歳くらいまでのあいだは、ゼロゼロと向きあっていくことになりそうだ。どうやらすぐには治らないらしい。

 赤ちゃんは、鼻やのど、気管支などの粘膜がデリケート。そのため、温度や湿度のちょっとした変化が刺激になって、くしゃみが出たり、鼻がつまったりするそうだ。ほこりや煙にも、おとなより敏感に反応してせきが出る。息をするたびに、ゼロゼロと音がする。生まれてすぐのころのゼロゼロは、のどの軟骨がやわらかく、しっかりできあがっていないために起こることが多く、その場合は成長するにつれて自然に治っていくのだという。2歳くらいまでは粘膜からの分泌物が多いため、のどもゴロゴロ、ゼロゼロしてしまうことが多い。

 眠りから覚めたとき、授乳のあと、冷たい空気を急に吸いこんだとき、人ごみやほこりっぼい場所にいるとき、空気が乾燥しているとき、こういうときのせきやゼロゼロは、心配しなくてもいいそうだ。一時的にひどくても、すこしたてば落ちついてくる。いっぽう、かぜが原因の場合はやっかいだ。ウイルスや細菌が鼻やのど、気管支に感染して炎症を起こして、それが刺激になってせきが出てくるのだ。炎症がすすんでくると、ゴホゴホ、湿ったせきが出る。かぜが原因のときは注意して見ていると、せきやゼロゼロだけでなく、ほかにもなんらかの症状をともなっていることが多い。元気がない、食欲がない、などなど、赤ちゃんの様子に変化が出てきたら要注意だ。そうすけの場合には、おっぱいをのんだあとでせきこむことが多い。食欲があるかどうか、のどを気にしてのみこむのをいやがっていないか、よく見ておこう。ぜったい見逃さないんだからね。

6月1日、そうすけ七変化。(生後159日)

 仕事帰りの電車にゆられながら、携帯電話のなかにあるアルバムの写真を見ていた。そこには、いままでに撮影したそうすけの写真がぎっしり入っている。生まれたてのそうすけ、はじめて沐浴をしたときのそうすけ、お宮参りをするそうすけ、助産院に泊まったときのそうすけ、クッションの上で眠るそうすけ、おもちゃをにぎにぎするそうすけ、ソファに身をゆだねるそうすけ、赤ちゃん用の椅子に座るそうすけ、こっちに突進してくるそうすけ、ベビーカーでおさんぽするそうすけ、レストランで笑うそうすけ、ベッドでくつろぐそうすけ、シャチの風船と格闘するそうすけ、恐竜のオブジェに座るそうすけ、だっこされてよろこぶそうすけ。あのときはこんなことがあったなあ、などと思いかえしながら、何度もスライドして写真を見た。見ていたら涙が出そうになった。おっと、いま電車のなかだぞ。なにを感傷的になっているんだ、いかん、いかん。

 写真を見ていると、たった5か月のあいだにそうすけの顔がどんどん変化していることに、あらためて気づく。進化といったほうがいいだろうか。生まれてから1か月を過ぎるまでのそうすけは、小さくて、かよわくて、表情にも自信がなかった。ぼく、ここにいてもいいんですか。と、こころの声がきこえてきそうだ。2月のあたまに助産院でいっしょに寝泊まりしたのをきっかけに、信頼関係が築けてきたように思う。いつもおだやかな表情をしている。おどけた顔を見せるようになったのも、このころからだ。元気よくおっぱいをのんで、ほっぺもぷくぷくで顔色もよく、表情がころころかわる。3月の半ばには生活にも慣れてきて、よゆうさえ感じられる。好奇心をむきだしにするようになった。無垢な笑顔がかわいらしい。4月から保育園にかよいはじめて、だんだんおにいちゃんの顔つきになってきた。おもちゃに集中しているそうすけの視線が、たのもしい。

 そうすけはパパ似だねと、よくいわれる。たしかに、ふたり並んでおなじ格好をして眠っているのを見ていると、どきっとすることがある。とくに鼻と口もとが似ているようだ。目は一重になったり二重になったりするので、どっち似なのかまだわからない。そうすけは風呂に入っているとき、だんなのことをじっと観察している。あたまやからだを洗う様子をずっと見ている。そのおかげで、あたまからシャワーをあびても泣かない。むしろ、よろこんでいる。