3月17日、そうすけの意思。(生後83日)

「ぐわっ、また、やられたー」
きょうのそうすけは、やんちゃだ。おしっこの不意打ちをすでに3度もくらってしまった。服も、肌着も、そのたびに着がえているので、あっという間に洗濯物がふえてしまった。新しい服に腕をとおすたびに、よろこんでいる。もしかするとこの気もちよさを味わいたくてわざとやっているんじゃないの、と疑いたくなるほどだ。いままでは、おむつをすばやくかえて攻撃のスキをあたえなければかるくかわせていたのだが。いったいどこで、タイミングを読めるようになったんだろう。3度めの不意打ちを成功させると、してやったりの笑顔でこちらを見ているではないか。さっそくつぎの攻略法を考えなければ。

 言葉をかわすことは、できないけれど。すこしずつ、すこしずつ、そうすけと意思の疎通ができるようになってきたことがうれしい。毎回ではないが、泣きだす前におっぱいをあげられるようにもなってきた。ぱいぱい、ほしいの、と、たずねると、ほんとうに、こっくりうなずいてくれるのだ。だんなは信じてくれないが、近いうちにきっと目の当たりにするだろう。空腹感を訴えて、自分の意思でおっぱいをのんで、満腹感によってのむことをやめる。ちょっと前までは、ただそこにおっぱいがあるからのんでいる、だけだったのに。成長の早さにはおどろかされるばかりだ。その瞬間を見とどけようといつも注意しているのだが。なんの前ぶれもなくいきなりかわるから、こまったものだ。

 おっぱいをのんでいるそうすけを見ていると、意思の強さをつくづく感じることがある。いつも左右かわりばんこに10分ずつあげるようにしているのだが、片方が10分をすぎてもう片方にかえようとしても、かたくなに拒んでくることがあるのだ。以前なら強引にかえても、なんにもなかったようにのみつづけてくれたのだが、いまは、かえると口を真一文字にむすんでのまなくなってしまう。だから、のみたいだけ自由にのんでもらうことにしている。