4月13日、おしゃべりな午後。(生後110日)

 うれしい。ようやく声が出るようになってきた。まだ歌をうたえるほどの美声ではないが。あと3、4日もすれば、いつもどおりにもどるだろう。声がもどったらやりたかったことがある。それは、そうすけとのおしゃべりだ。もちろん言葉をつかってはできないけれど、音をつかえば立派な会話になるのだ。いままでだんなとそうすけがたのしそうに会話しているのを見て、ずっとくやしい思いをしていたが、やっとその思いを晴らすことができる。いやっほぉ、と叫びたくなる気分だ。それくらい声が出ないのはつらいことだと悟った。近ごろテレビで、ひとつ年上のボーカリスト兼音楽プロデューサーが喉頭がんの治療のために声帯の摘出手術を受けたというニュースを見た。自分で自分の声を失う選択をしたときどんなに悲しい気もちだっただろう、とあらためて思う。

 そうすけとおしゃべりをするときには、テレビも、ラジオも、消すようにしている。たがいの音がしっかりきこえるように、まわりの刺激で気が散ってしまわないように、という配慮もあるが、いちばんの理由は、わたしがテレビやラジオに気をとられているとごきげんななめになるからだ。だっこしながらおしゃべりすることもあれば、じっくり向かいあっておしゃべりすることもある。先にそうすけが話しはじめるのを待つ。そうすけが、あい、といえば、あい、という。おお、といえば、おおお、という。いえい、といえば、いえいいえい、という。ときどきおまけをつけて返事をすると、きゃっきゃっ、と、よろこんでくれる。ので、すこしアレンジしながら相づちを打つ。たったこれだけのことだが繰りかえしていると、あっという間に1日が終わってしまう。

 おしゃべりにも慣れてきたので、そろそろおばあちゃんに声をきいてもらおうと母に電話した。母は大よろこびだ。そうすけくん、こんにちはー。おばあちゃんだよ、とフライング気味に話しかける。が、こうなると逆に、おしゃべりしてくれなくなる。先にそうすけが話しはじめるのを待ったほうがいいよ、といっても電話の向こうだとタイミングがわからない。けっきょく声がきける前に、泣きだしてしまった。子どもごころは、いつもデリケートなのだ。