Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

9月10日、筋肉痛のナゾ。(妊娠23週6日)

 右足のつけ根が、痛い。歩くたびに、ずんずん痛みを感じる。ウォーキングのときにムリをしてしまったせいだろうか。家の近くにある、鍼灸マッサージ治療院で診てもらうことにした。仕事場を出てすぐに電話をしたところ、いまちょうど空いているのでそのまま来てもだいじょうぶですよ、といわれた。ああ、ありがたや。これから行きます、と話したら、急がなくていいですから無理せずマイペースで来てください、と逆に気づかわれてしまった。すみません。たった1時間のウォーキングでこんなになってしまう、ヘタレな自分がなさけない。

「ホントすみません」
「ここまで歩くのも、たいへんだったでしょう」
わたしが感じていたよりも、状態はよくないようだ。痛いのは右足のつけ根だけだと思っていたら、出るわ、出るわ。肩にも、背中にも、腰にも、ふくらはぎにも、痛みの原因があることがわかった。とほほ。その原因とは、ずばり、筋肉の緊張だそうだ。筋肉の緊張によって筋線維のなかを走っている血管や神経が圧迫されると、軽度であればだるさを感じ、進行すると痛みを感じる。また筋肉は緊張すると、柔軟性がなくなってしまう。だから、からだがこわばって動かしづらくなったり、動かしたときに痛みを感じるようになる。痛みは、筋肉の緊張をほどけばなくなる。鍼をつかって緊張をほぐすことにした。

「日ごろ座りっぱなしで、十分に運動できていないのに。どうして、運動をしたら逆に痛くなるんでしょう」
「まさにそれが、痛みをひきおこしているんですよ」
筋肉は、からだを動かさなくてもいつもつかわれている。からだをささえるために、つかわれているからだ。モノをもっていなくても、ただ立っていたり座っているだけで、筋肉は、はたらいている。だから、立ちっぱなしや座りっぱなしでいることは、筋肉がつかわれっぱなしになるわけだ。特定の筋肉に負担がかかって症状が出てくるわけだ。筋肉痛が運動不足によるものだったとは。からだを動かす機会が減ってきているいまこそ、気をつけなければ。

9月9日、つよいこころ。(妊娠23週5日)

 朝から脱力。午前6時からはじまった全米オープンテニスの男子シングルス決勝でマリン・チリッチ選手が優勝、錦織圭選手は準優勝に終わった。おしいなあ。日本人はじめての優勝を目の前にしていただけに、応援しながらもついつい欲が出てしまった。セットカウント3‐0。1セットだけでもいいから、とっているところを見たかったなあ。あぁ、また、欲が出てしまった。日本人が準優勝するのは、これがはじめてだ。錦織選手は新しい歴史をつくった、といっても過言ではないだろう。がんばったぞ、そうすK。だんながあつく語っている。
「そうすK、くやしいなあ」
「くやしいよ」
そうすけのかわりに、わたしが腹話術でこたえる。
「でも、つぎはもっと、つよくなれるよ」
「勝てるかな」
「勝てるよー。どうすれば勝てるのか、もう、わかっただろう」
「うん、身長をのばす」
錦織選手とチリッチ選手の身長差は、20センチ。ならんで立っていると親子みたいだ。あの高さから時速200キロを超えるサーブを打たれたらかなわないだろうね。と待っていましたとばかりに、だんなが叫んだ。
「メッシを見よ、メッシを」
「メッシ選手」
「そうだ。メッシは、身長をいいわけにしたことがない」
「病気を克服したんだよね」
「そう、やればできる」
「やれば、できる」
そうすけが生まれたあとにも実際にしていそうだよなあ、こんな会話を。たしかに、そうだ。夢をかなえるためには、つよいこころが必要だ。錦織選手はインタビューのときに、決勝に進出することを目標にしている、と話していた。決勝に出ることが決まったとたん、気もちをきりかえるのがたいへんだったのではないだろうか。ゴールは、ひとつだけじゃない。ゴールの先に、新たなスタートラインが見える。だれかの歌の歌詞みたいだなあ。そうすけとわたしたちの前にはどんなゴールが待っているだろう。つよいこころを、そなえておこう。

9月8日、家庭裁判所へ。(妊娠23週4日)

 朝、仕事場に着くと、まっすぐコピー機へ向かう。東京家庭裁判所に提出するための資料がたくさんある。人がふえて混まないうちに、ぜんぶコピーしてしまおう。その裁判所に提出する資料とは、戸籍の名前の変更手続きにつかうためのものだ。改名については、戸籍法第107条の第2項のなかで規定されている。正当な事由によって名を変更しようとする者は、家庭裁判所の許可を得てその旨を届け出なければならない、とのこと。正当な事由があるかどうかは、家庭裁判所の家事審判官、いわゆる裁判官が判断をする。名前の変更をしたくても、個人的な趣味や心情、姓名判断の結果などでは、裁判所は許可しない。またおなじ事由でも、審判官の裁量次第で許可されたりされなかったりするそうだ。だれが読んでも納得できるように、慎重に準備しなければ。

 さっそく、改名が許可される事例を調べてみた。①永年、通称名をつかい、社会的にも通用している。②地域に同姓同名の者がいる。結婚で家族に同姓同名がいるため、生活上の支障をきたす。③帰化した者で日本風の名前にあらためる必要がある。④神官、僧侶になり、改名の必要がある。⑤珍奇、難解、難読で、社会生活上の支障がある。書きにくい、読みにくい名前である。⑥異性とまぎらわしい名前で、社会生活上の支障がある。⑦性同一性障害による、性別と名前の不一致がある。⑧出生届時の名前に誤りがあった。⑨名前が原因で、いじめなどの差別がある。⑩営業上の目的から、長年慣行として襲名され、その必要がある。わたしの場合は、①が申請理由になる。みちよ、の読みをよく、みつよ、と読みまちがえられていたので、⑤も理由にくわえてみよう。

 2008年に、海知代、の名前をつかいはじめてから6年が経った。永年使用、といえるかどうかはわからないけれど、トライ、トライ。そうすけが生まれてお母さんに名前がふたつあったらこまってしまうもんね。資料は、会社の名刺、給与明細、6年ぶんの年賀状、資格の修了証書、通称で掲載された広告関連書籍やウェブマガジン、所属している団体の名簿を用意した。手続きには2、3か月ほどかかるらしい。どうか、希望どおり改名できますように。

9月7日、ウォーキング体験。(妊娠23週3日)

 朝から寝不足だ。すがすがしい寝不足だ。午前1時からはじまった全米オープンテニスの男子シングルス準決勝で、錦織圭選手が世界ランク1位のノバク・ジョコビッチ選手を破り、決勝に進出した。グランドスラムでの決勝進出は、日本人でははじめてのことだ。歴史的な勝利に、すっかり目が覚めてしまった。試合が終わって、錦織選手がインタビューを受けたのが、午前4時ごろ。興奮のあまり立ちあがってテレビを見ていた。おなかも、いきおいよくぽこぽこ動いている。そうすけも起きて、ニュースをきいているようだ。
「そうすK、がんばったね」
「そうすK?」
「そうだ、きょうは、そうすK勝利の日」
「そうすK!」
だんなが、はしゃいでいる。そうすけと錦織選手が、合体してしまった。いまのこんな時代に生まれてくるなんて、ほんとうにたのもしいなあ。日本人も海外で自信をもって活躍できる。そのチャンスが手のとどくところにある。

 錦織選手の軽快な動きに刺激されて、からだを動かしたくなった。ウォーキングなら、いいよね。近所のスポーツクラブに出かけることにした。その前にゆっくり風呂に入って、からだをほぐしておこう。いつものようにすきな雑誌をもちこんで、のんびり湯につかった。カツサンドの特集だ。読みながら夢中になってしまった。カツサンドか、最近たべてないなあ。これからウォーキングに行くところなのに、なにやっているんだろう。こんどタイミングのいいときにぜひ、あのページの店に行こう、と決意しながら風呂を出た。汗がひくのを待って服を着ると、さっそくスポーツクラブへ向かった。

 時速6キロ、軽快なスピードで歩きはじめる。このペースで1時間くらいなら楽勝でしょう。15分ほど過ぎたあたりで、ウォーキングシューズのひもがほどけてしまった。20分歩いていったんブレイク、ひもを結びなおして、ふたたびスタートする。汗が出てきた。思った以上に、出た。このままあと40分、つづけられるだろうか。ウォーキングもひさしぶりにやると、けっこうハードに感じる。右足のつけ根が痛くなってきた。20分で、もういちどブレイクをとることにした。ラスト20分。右足になるべく負担をかけないように、大きめに腕を振りながら、リズミカルに歩く。15分、10分、5分。いよいよ、あと1分。あたまのなかは、すっかりカウントダウン状態だ。1時間を3回にわけてウォーキングしたのに、こんなに疲れるなんて。運動不足を実感した。

9月6日、そうすけの20年。(妊娠23週2日)

 お世話になっている広告制作会社の創立50周年記念展示会を観に、だんなと出かけた。わたしたちが子どものころに見たたくさんの広告を手がけている制作会社だ。社会見学にきている小学生か、とツッコミたくなるほどはしゃぎながら会場に入った。いつもコピーライターズクラブの打合せで会っている先輩が、入り口の近くでむかえてくれた。11時に開館したばかりなのに、すでに、人であふれかえっている。美術大学の学生と思われるグループもきている。むかしも、いまも、あこがれの会社にちがいない。
「こんにちは。土曜も開館直後から大人気ですね」
「うれしいわあ。ゆっくり、見て行ってね」
「ありがとうございます。いまちょうどね、エレベーターでのぼってきたときに美大の学生さんたちとすれちがったんですよ。すっごく満足そうな顔をしていてね、印象的だったなあ」
「あ、その、学生さんたち、開館の前からずっと待っていてくれて。展示会にいちばんのりできてくれたんだよ」
「ホント、うれしいですね」
「日本の広告もすてたもんじゃないね、なんてね」
その会社はわたしたちが生まれる前から広告をつくりつづけてきた。広告を見ていると、いままでどう生きてきたかがあらわになってくる。はじめておぼえた広告。小学校のころによくまねしていた広告。おしゃれを気にするきっかけになった広告。初恋を応援してくれた広告。泣いているときにもそっと笑わせてなぐさめてくれた広告。受験勉強の息ぬきにしていた広告。はじめてアルバイトをするきっかけをくれた広告。就職活動を元気づけてくれた広告。いまの仕事に就こうと思ったときに見た広告。だんなと出会ったころに見た広告。

 展示会の帰り道、だんなとお茶をしながら話した。わたしたちも、20周年だったね。ふたりがつきあってからきょうまで、もう20年が過ぎていた。あたりまえのようにすごしてきたけれど。だんなのあたまにちらほら白髪が見られるのも納得だ。20年なんてあっという間かもしれない。だが、人がひとり成人するには十分な時間でもある。そうすけは、どんな20年と向きあうだろう。

9月5日、底なし腹。(妊娠23週1日)

 食欲が、底なし沼だ。いつのまにか、たべても、たべても、たべられる体質になっているような気がする。先日もそうだ。このごろパンケーキにはまっているわたしは、銀座のカフェでストロベリーパンケーキを注文。パンケーキが2枚にバターとキャラメルソースがかかって、カロリーたっぷりだ。それを10分も経たずに完食して、ふと思った。やっぱり、パンケーキにはバターとメイプルシロップがいちばんだなあ。たべなおそうかな。いや、ちょっと待てよ。ここは、おなかいっぱいになって満足すべき場面でしょう。ついつい、カフェをはしごしそうになってしまった。きけん、きけん、気をつけないとね。

 午後、仕事でお世話になっているカメラマンの料理写真展に行った。わたしもだいすきな雑誌で、よく見かける写真の数々。こんなふうに一気に見られるなんて、最高のぜいたくだ。あらためて見ても、うっとりしてしまう。料理は、人生そのものだ。ポートレイトを撮るように、料理をつくっている人や、そのくらしに、ひとつひとつ、しっかり向きあっていく。そんな写真が、わたしはだいすきだ。会場でもらった作品キャプションリストを片手に、ゆっくり呼吸をするように、一枚一枚じっくり見ていく。よくたべる料理がある。はじめて見る料理もある。そのどれもに、くらしが、いのちが、息づいている。

 写真集も購入して、満足しながら会場を出た。あぁ、おなか、すいたなあ。なにたべようかな。遅めのお昼をたべて、仕事場にもどることにした。料理写真をたくさん見たあとなので、味覚もとぎすまされているようだ。おいしいものがいいなあ。銀座から新橋へ歩いていると、老舗のうどん屋さんがあった。ランチタイムではないが店は開いている。ここにしよう。店に入って案内されると、客はひとりだけだった。写真集を見ながらゆっくりできそうだ。
「いらっしゃいませ」
「にぎわいそば」
「うどんか、そばが、たべ放題になりますが、どちらになさいますか」
「えっ、えっ、どうしよう」
「じゃあ、どちらも、おもちしますね」
「あぁ、ありがとうございます」
きた、きた。わんこそばのような小さな椀に、うどんや、そばが、ちょこっとずつ盛られて出てきた。かわいらしいな。でも、6つもあるぞ。うどんに、細うどんに、そばが2つずつある。こんなにたくさんたべられるかな。そばにはいろいろなおかずが、ちょこっとずつ箱に詰められて出てきた。かわいらしいね。ちょこっとずつがいっぱいある。なのに、ぺろりとたべてしまった。

9月4日、同窓生のメッセージ。(妊娠23週0日)

 高校時代の同窓生から、SNSにメッセージがきた。会わなくなって何年が過ぎたのだろう。こんなふうにリアルタイムで話ができるようになったのが、うれしい。テクノロジーに感謝だ。彼女はユニークな個性の持ち主で、文章のひとつひとつに彼女らしさが散りばめられている。なんども読んでしまう。

メッセージがとどいた。
「おめでとう! おめでとう! おめでとう! おめでとう! すぐ先の未来さえわからない、と実感させられる、きょうこのごろ。人生40年余もやっていると、未来をよくする努力は思ってもみなかったかたちで報われることが意外とたびたびあるんだなあ、って実感させられるきょうこのごろ。その未来の一員がみっちゃんのおなかでどんどん育っているんだ、と知ると、わたしもすっごくワクワクするよ。素敵なお知らせをくれて、ほんとうにありがとう!」

返信した。
「メッセージありがとう! はじめて知ったときには、ただ、もう、びっくりするばかりで。神さまのいじわる、とさえ思ったよ。このタイミングを選んだのにはなにか意味があるのかもしれないね。ちびすけが伝えたがっていることはぜんぶ受けとめたいし、わたしたちが伝えるべきことはぜんぶ伝えてあげたい。いまの仕事をしているのも、そのための修行だったのかもね」

また、メッセージがとどいた。
「うん。いま? とか、いまになって? とか、はてなマークが飛びかったことは、独身のわたしでさえ想像にかたくないけれど、とにかく、いまだからこそなんだろうね。よりよい未来に近づける努力をする。わたしも就職してからいろんなことがあって。いまだにトラブル発生中なんだけど。発想を転換してみると、よりよいほうに転がせるもんだなあって。意外と、たびたび。ほんとうに、心身ともに十分なケアをしてね。そこはぜったいムリしないでね。なんといったって、おたがいにだけど、やっぱり年齢はあなどれないから!」

また、返信した。
「うん、ありがとう! いま、ふたつのことを学んでいるよ。ひとつは、時間は無限にあってどうつかうかは自分次第、ということ。もうひとつは、目の前にあるすべてがなにかのチャンスになるんだ、ということ。毎日すこしずつ学んでいるよ。できることがあれば、いつでもなんでも教えてね」

つぎに彼女と会って話ができるのは、いつだろう。とメッセージの返信を書きながら思った。でも、不安な気もちはまったくない。たとえ状況がかわったとしても、きのうのつづきのように話をしているにちがいない。

9月3日、妊娠発表。(妊娠22週6日)

 2日前、ちょうど9月がはじまるのにあわせて、SNSに妊娠していることを書いた。いわゆる妊娠発表だ。芸能人でもないのに発表だなんておおげさだと思うけれど。そんな気分にはなる。報告するのはいろいろと気をつかうものだ。それでもいつかは伝わってしまうことだし、自分から先に伝えたい。22週めに入って体調が安定してきたこともあるが、おなかがどこから見てもわかるほど大きくなってきたので、そろそろだと思ったこともある。仕事でお得意先のSNSを手がけていることもあって、すくなくとも1日に1回はページを開いている。これなら、友人や知人からメッセージをもらったときにもすぐに返事がしやすい。わたしとおなじように不妊治療をつづけている友人もたくさんいる。いつ、どこで、だれが読んでもいい文章を意識しながら書いた。

きょうから、9月ですね。
お会いしてすでに伝えている人もいますが
メッセージで質問いただいた人もいますが
あらためて、報告します。

このたび、赤ちゃんをさずかりました。
ただいま妊娠6か月、予定日は来年1月1日です。
高齢出産のうえ
はじめて体験することばかりで
おっかなびっくりの毎日ですが
神さまからもらった、ほかにないチャンスを
ひとつひとつ
たのしんでいきたいと思います。

幸いにも、つわりらしいつわりもなく
体重も、胎動も、順調にふえつづけています。
11月末まで仕事をつづけてから
産休に入る予定です。
こんな新米ですが先輩パパ&ママのみなさま
どしどしアドバイスくださいね。

書いたり考えたりするのがすきなので
仕事でも、プライベートでも
できることがあれば
オーダーしてくださいね。

 朝、会社に行く前に書いたのだが、まる1日仕事が手に着かなくなりそうなほどひっきりなしにメッセージがとどいた。うれしすぎる。気づいたら、いいね!の数がお得意先のファンページを超えていた。たとえば、企業やブランドなどの公式ファンページでは、固定ファンの約1割がその日の投稿に、いいね!を押してくれればいいほうだ。わたしが投稿したコメントにはなんとSNSの友だちの半数以上が、いいね!を押してくれていた。これは、仕事でも、プライベートでも、はじめての体験だ。こんなにたくさんの人が、新しいいのちの誕生を歓迎しているなんて。そうすけの吸引力を感じる。うれしいけれど、こわくもある。

9月2日、おなかにノック。(妊娠22週5日)

 浅草へ行った。仕事でつかう写真素材を撮るためだ。仕事場の最寄り駅、虎ノ門から浅草までは、銀座線1本で行ける。これはラクチンだ。地下鉄にゆられながら、旅をしている気分にひたる。はじめに、どこへ行こうかな。おなかがすいてはいるけれど、写真素材を撮りおえるまでは、がまん、がまん。雷門から、仲見世をとおりぬけて、浅草寺本堂へ。きょうは平日だが、たくさんの人でにぎわっている。外国人の観光客や、修学旅行生も多い。さすが浅草、老若男女に人気の街だなあ。いい天気だ。歩いて立ちどまって、パチリ。また、歩いて立ちどまって、パチリ。なかなか、いい運動だな。じわじわ、汗ばんできた。

ひととおり歩いたところで、遅めのお昼にしよう、と店をさがす。ホットケーキのおいしい店に行きたかったのだが、定休日だった。歩いていれば、いい店が見つかるだろう。検索するのがめんどうになって、ついカンをたよりにウロウロしてしまった。案の定、こういうときはピンとくる店がすぐには見つからない。30分くらい迷って歩きまわったあげく、食事もできる老舗の甘味処に入ることにした。店に入ると、すぐそばのレジに立つお姉さんに、声をかけられた。
「こちらで食券を購入ください」
へぇ、食券制かあ。
「おぞうに、と、あわぜんざい」
食券を買って、席に着いた。やれやれ、休める。と思ったところで、おなかをぽこぽこノックされた。そうすけが、よんでいる。ごめん、ごめん、はらぺこなんだよね。すぐに、おぞうにがくるから。待っていようね。ほら、きたよ、きたきた。わぁ、おいしそう。ぽこぽこ。よーし、たべるぞ。ぽこぽこ。そうすけもよろこんでいるのだろうか。ノックがはげしくなってきた。ぽこぽこされながら手をあわせていただきます。だしが、しみるね。ぽこぽこ。ほら、あわぜんざいもきたよ。だいすきなこしあんがたっぷり。ぽぽぽこぽこぽこ。ノックがだんだんはげしくなる。あまくて、あったかい。歩き疲れたからだに、元気とぬくもりがひろがっていく。ぽぽぽぽぽこぽこぽこ。そうすけのノックも絶好調だ。ふたりぶん、しっかり味わっている気分になるね。ごちそうさま。

9月1日、開けへそのごま。(妊娠22週4日)

 やっちまった。へそが、むずむずする。ちょっと、痛みもある。妊娠をしておなかがぼーんと出てきたぶん、へそが奥から押しだされて、ごまがめだつようになった。古いりんごの底みたいで、美しくない。どうにも気になる。そこで、風呂に入っているときに、へそのごまを掃除することにした。お湯でやわらかくしておいたごまを、ていねいに、ていねいに、こすりだす。しかし、なかなかとれない。だんだん、ちからを入れてこすりだす。それでも、とれない。風呂からあがって、耳かきをつかってみた。十分ではないが、きれいになった。それが半日経って見てみると、真っ赤にただれているではないか。掃除する前よりもかえって、きたなくなってしまった。へそのごまはムリヤリとってはいけない、といわれるのにとったから、ばちがあたってしまったんだろうか。

 へそのごまをとるとおなかが痛くなる、と子どものころにきいたことがあるなあ。調べてみたところ、まったくの迷信らしい。ほっとした。へそのごまというのは、垢のこと。ほうっておくと悪臭のもとになるし、わるい菌に感染する原因にもなりかねない。清潔にしておくにこしたことはない。では、どうして、へそのごまをとるとおなかが痛くなる、といわれるようになったんだろう。とるときに、わたしのようにムリにとったりすると、へその内部の皮膚を傷つけて、炎症をおこしたりする。それが、腹痛を起こしてしまうことがあるらしい。へそのごまをとったから腹痛を起こすわけではなかったのだ。

 へその部分は皮下脂肪がうすくて、ほかの部位とくらべて内臓の距離が近いので、慎重に掃除したほうがいいのは事実だ。ベビーオイルやオリーブオイルをつけて、やわらかくしておいて、綿棒などをつかってとるといいらしい。病院でも開腹手術の前などに、医療用のオリーブオイルをへそにたらして、しばらく横になってからふやけたころに綿棒でごまをとるそうだ。アメリカの研究者の発表によると、人間のへそには、なんと約1400種類もの細菌がひそんでいるという。このうちの662種類は、まったくの新種らしい。ちょっぴりこわい気がする。たかが、へそのごま。されど、へそのごま。あなどってはならない。