Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

3月21日、病児保育。(生後87日)

 朝、そうすけと、だんなと、山手線にのって飯田橋に向かった。病児保育の説明会に参加するためだ。病児保育とは、子どもが病気で保育園にかよえなくなったときに、保護者にかわって病気の子どもの世話をするしくみのことをいう。仕事場の先輩ママからきいた話だが、実際、子どもはしょっちゅう熱を出すものらしい。とくに入園したてのころは、月に1度や2度はあたりまえ、なかには、1週間のうちになんども熱を出す場合もある。それは、大切な打合せの最中であろうが、仕事に出かける間際だろうが、関係ない。子どもが集団生活をはじめて免疫をつけるまでは、だれもが経験する試練だという。ならば、いざというときにもあわてないように先手をうっておこう、というわけだ。

「おはようございます」
改札を出て、説明会場のあるビルに近づくと、ピンクのエプロンをした笑顔のスタッフさんたちが待っていて道を誘導してくれた。なんとホスピタリティが高い会社だろう。赤ちゃん連れで到着が遅れている家族を配慮して、説明会は10分ほど遅れてはじまった。NPO法人の会社だそうで、病児保育の理念やサービスの概要、料金などの具体的なシステムまで、わかりやすいパワーポイントの資料をつかって説明が行われた。さらに、保育を担当するシッターさんの自己紹介があった。保育士の資格をもっていて幼稚園や保育園ではたらいたことがある人や、子育て歴12年以上のベテランママさんなど、みんな経験豊富で相談にものってもらえそうだ。この会社では、ベビーシッターとして活動するためにきびしい基準をもうけているそうで、たとえ保育士の資格や子育て経験がある人でも、10人にひとりくらいの割合でしか採用をしない方針らしい。

 パパさんやママさんが説明に集中するいっぽうで、子どもたちは、おもちゃであそんだり、走りまわったり、マイペースだ。そうすけも、好奇心100%でまわりをきょろきょろ観察している。40人ほどのおとなと20人ほどの赤ちゃんがひとつの部屋にいることを、ふしぎに思っているようだ。赤ちゃんはそうすけより月齢が大きな子ばかりなので、なおさら興味シンシンだ。

 説明が終わると、個別の相談会がはじまった。保育園から急に呼びだされた場合にも、シッターさんにおむかえを依頼することができる。その際のカギの受けわたしのルールや、自宅での病児保育は宅配便がきても玄関を絶対に開けないなど、赤ちゃんの健康だけでなくセキュリティを優先しているところがとても良心的だと思った。ただひとつ、残念なことがあった。入会できるのは満6か月を過ぎた翌月1日からとのこと。わたしが会社に復帰する4月からサービスを利用することはできないのだ。7月1日を、待つことにしよう。

3月20日、ちょっとセクシー。(生後86日)

 きょうのそうすけは、青い長袖のロンパースにぞうさん柄のベビーステテコをはいている。近ごろは、このスタイルがお気に入りだ。足を動かしやすいのがうれしいからか、宙で両足をバタバタさせている。ベッドメリーの音楽にあわせてダンスをおどるように、バタバタ、バタバタ。気がつくと、15分以上もおどりつづけていることがある。たいへんな運動量だ。こんなに筋力があったとはおどろきだ。おむつをかえようとかがんだ瞬間に、いきおいあまって胸をけられることもある。あまりのつよさに、うぅっ、と、うなりそうになる。生後2か月だからといって、あまく見てはいけない。不意打ちには気をつけよう。

 不意打ちといえば、おむつをかえているあいだのおしっこ攻撃もあいかわらずだ。きょうもすでに1戦めを終えている。ロンパースを着がえようとしたら、控えの服がないことに気づいた。ああ、また乾燥機をかけるの忘れてた。あわててもしかたがない。友人からプレゼントしてもらったちょっとよそ行きのロンパースに着がえよう。以前、部屋で写真を撮るときに着てから1か月ぶりだ。ひさしぶりだね。袖に腕をとおそうとしたら入りにくい。ぱっつんぱっつんになっているではないか。二の腕が太ったのかな。胸のボタンをとめようとしたら、いまにもはじけそうだ。ちょっとセクシー。ストレッチ素材だからなんとか着ることができて、よかった、よかった。着がえおわったそうすけを見ると、レオタードを着た新体操の選手のようになっていた。

「そろそろ、そうすけくんに春夏の服を買おうと思っているんだけど。サイズは60~70センチ、70~80センチのどっちがいいのかな」
母から質問されても、なかなかこたえが見つからない。
「いまは60センチなんだけど、あっという間に70センチになっちゃいそうなんだけど。でも、ジャストサイズが動きやすいよねえ」
「保育園にもっていく服で、考えたらどう」
「だったら70センチかなあ。いや、まだ大きすぎるかなあ」
話しながら、そうすけを見た。ちょっとセクシーを、また見たくなる。

3月19日、完母、完ミ、混合。(生後85日)

 わたしの母は、兄を母乳、わたしをミルクで育てたという。兄がおっぱいを吸いつくして、わたしが生まれたときには空っぽになってしまった、と母がジョークにするくらい、子どものころの兄はおっぱいがだいすきだったそうだ。乳ばなれがどうしてもできなくて乳首にからしをぬったとも、きいたことがある。わさびはよくたべるのにからしがニガテなのは、そのときの体験がトラウマになっているにちがいない、と兄が本気でうたがっているほどだ。

 わたしもミルク育ちだった、とママ友のYさんが教えてくれた。ちょうどいまのママのママの世代がミルク派だったといわれている。45歳のわたしの母は、いわばその最先端だったのかもしれない。赤ちゃんの育て方については、完母=完全母乳、完ミ=完全ミルク、混合の3タイプにわかれていて、たがいのメリットやデメリットがたびたび議論されている。どのタイプで育てるのがのぞましいかについては、ママと赤ちゃんの生活スタイルによって選択肢がわかれるのが当然だろう。ママと赤ちゃんになるべく負担のかからない方法が、いちばんだ。わたしは、完母に近い混合だ。10回のうち9回は、母乳をあげている。風呂あがりの1杯は、哺乳びんに入れたミルクをだんながのませるようにしている。そうすけとだんなのコミュニケーションタイムだ。完母をすすめる人も多いが、そこまで徹底できるほど自信がないし、いざというときそうすけを母親以外のだれかに世話してもらうことも考えたらやっぱり混合のほうがいいだろう、と思ったからだ。とはいえ、これでいいのかどうか、そうすけにとってもベストなのかどうかは、わからない。いまも手さぐりの毎日なのだ。

「将来、履歴書に母乳かミルクか、書くわけじゃないからね」
「履歴書に、おっぱい卒、かあ。おもしろそう」
「お前、混合? おれ、完母! みたいな」
「それ、うけるわー」
「のんだミルクのこと、おとなになったら気にしていないし」
「母乳でも、ミルクでも、赤ちゃんがおいしくのめればいちばんだよね」

3月18日、悩めるおっぱい。(生後84日)

 このごろ、ママ友とよくSNSで会話をしている。テーマは、保育園入園に向けておっぱいのコンディションをいかにととのえるか。通園がはじまるとおっぱいをあげる回数が劇的に減ってくる。朝、そうすけを保育園にあずけて、夜、仕事場からもどってくるまでのほぼ半日を、搾乳しながらしのぐことになる。2、3時間もするとおっぱいが張って痛くなるけれど、ちゃんとうまくやっていけるのだろうか。そんなにタイミングよく搾乳タイムをつくれるのだろうか。理想は、夜と朝には新鮮でおいしい母乳がたっぷり出て、仕事中は搾乳しなくても痛くならないおっぱいだ。先日たまたま皮膚科で会った10か月の息子さんをもつママさんとおなじ話をしたとき、なれるよといわれたのが救いだ。わたしもなれたんだから、あなたもだいじょうぶ、と。

 おっぱいの悩みは、つきない。冷凍母乳をもっていくかどうか。搾乳した母乳を保存すればもちろん準備できるが、現実的につづけられるかどうか。冷凍母乳は、とったらすぐに冷凍庫へ、が原則になる。昼、仕事場で搾乳してたくさんとれたとしても、冷凍保存して保冷バッグに入れて家にもって帰るとなると、かなりたいへんだろう。夜も仕事が終わってから家で直接授乳することを考えると、1日まるまる母乳ですごせるほどの量は出ないだろう。そうだとしても、完全母乳をめざすべきかどうか。いままで母乳ひとすじだったママ友は、復職までに1か月ためしてみてムリだったらあきらめるつもりだ、という。1か月つづけるだけでもたいしたもんだ。いっぽう保育園につとめているママ友がいうには、4月から7月まで冷凍母乳でがんばっていても、真夏が近づくにつれて、保冷バックに入れても衛生上よくないから、とミルクに移行していくお母さんがほとんどなのだという。だったら、母乳にこだわりすぎるのもどうかなあ、と決めきれずにいながらも、冷凍保存用の母乳バッグをまとめ買いしてしまった。入園日までにはまだ1か月以上ある。時間はまだある。まずはおいしいものをいっぱいたべて、たっぷりおっぱいをあげよう。そうすけといっしょに考えよう。

3月17日、そうすけの意思。(生後83日)

「ぐわっ、また、やられたー」
きょうのそうすけは、やんちゃだ。おしっこの不意打ちをすでに3度もくらってしまった。服も、肌着も、そのたびに着がえているので、あっという間に洗濯物がふえてしまった。新しい服に腕をとおすたびに、よろこんでいる。もしかするとこの気もちよさを味わいたくてわざとやっているんじゃないの、と疑いたくなるほどだ。いままでは、おむつをすばやくかえて攻撃のスキをあたえなければかるくかわせていたのだが。いったいどこで、タイミングを読めるようになったんだろう。3度めの不意打ちを成功させると、してやったりの笑顔でこちらを見ているではないか。さっそくつぎの攻略法を考えなければ。

 言葉をかわすことは、できないけれど。すこしずつ、すこしずつ、そうすけと意思の疎通ができるようになってきたことがうれしい。毎回ではないが、泣きだす前におっぱいをあげられるようにもなってきた。ぱいぱい、ほしいの、と、たずねると、ほんとうに、こっくりうなずいてくれるのだ。だんなは信じてくれないが、近いうちにきっと目の当たりにするだろう。空腹感を訴えて、自分の意思でおっぱいをのんで、満腹感によってのむことをやめる。ちょっと前までは、ただそこにおっぱいがあるからのんでいる、だけだったのに。成長の早さにはおどろかされるばかりだ。その瞬間を見とどけようといつも注意しているのだが。なんの前ぶれもなくいきなりかわるから、こまったものだ。

 おっぱいをのんでいるそうすけを見ていると、意思の強さをつくづく感じることがある。いつも左右かわりばんこに10分ずつあげるようにしているのだが、片方が10分をすぎてもう片方にかえようとしても、かたくなに拒んでくることがあるのだ。以前なら強引にかえても、なんにもなかったようにのみつづけてくれたのだが、いまは、かえると口を真一文字にむすんでのまなくなってしまう。だから、のみたいだけ自由にのんでもらうことにしている。

3月16日、はじめての親友。(生後82日)

 きのう、うちにあそびにきた大学時代の友人が、そうすけに犬のぬいぐるみをプレゼントしてくれた。わあ、おっきなわんちゃんだねえ。身長60センチあまりのそうすけには、まるごとかくれてしまうほどの大きさだ。さっそく、わん、わん、わーん、と鳴きまねをしながら、そうすけの上に、すっぽり、おおいかぶせてみる。身をよじって、きゃっ、きゃっ、と大よろこび。手ざわりのいいふさふさの生地も、ぴったり肌に合ったみたいだ。わんちゃんにあたまをごしごしこすりつけている。わたしもそうすけによくやっている、だいすきのポーズだ。これからわんちゃんが活躍すること、まちがいなしだろう。

 はじめてのレストラン体験や、おとなの友だちといっぱいあそんだ反動だろうか、きょうは朝からぐずりっぱなしだ。泣いて、あやして、ようやく眠りはじめたと思ったら、泣きだして、といった状態をくりかえしていた。さっそく、わんちゃんの出動だ。わんわん泣いているそうすけの顔に、わん、わん、わーん、と犬の鼻を近づけてみた。そうすけ、だいすき。と、なんども、ほっぺに犬の鼻でチュウをする。あらら、笑った。いままでに見たこともないような、満面の笑みを浮かべている。ずっと前から友だちだったみたいだね。あっ、とか、やっ、とか声をあげながら、手足でコミュニケーションをとっている。

 ごきげんになったそうすけは、深い眠りに入ったようだ。だんなが帰宅したときにも、くうくう寝息をたてていた。ふたりで夜ごはんをたべて、録画していたドラマを観て、自然に起きてくるのを待っていたが、さすがにおっぱいの時間が開きすぎるので、おむつをとりかえて起こすことにした。目を覚ましたそうすけは、パワー全開、待ってましたあ、とばかりに、おっぱいに吸いついた。たらふくおっぱいをのんだあとは、ごきげん、ごきげん。気もちよく寝かそうと、だんながさっそく、わんちゃんをつかって話しかける。と、またまた興奮してしまったのか、まったく寝ようとしない。きゃっ、きゃっ、と、わんちゃんとあそびはじめてしまった。修学旅行の夜みたいだ。ベビーベッドにならんで寝ている、そうすけとわんちゃんは、すっかり親友みたいだ。

3月15日、レストラン初体験。(生後81日)

 大学時代の友人がふたり、うちにあそびにきた。大崎駅の改札口までむかえにいった。あいかわらず、にぎやかだ。さんぽがてら五反田にあるイタリアンレストランに寄り道して、ランチをたべた。だんなとそうすけもいっしょに、5人で食事をした。そうすけは、あとでおっぱいのスペシャルランチをとろうね。生まれてはじめてのイタリアンレストラン。はじめてかぐ料理のにおい、はじめてきく店内の会話、ここちいい音楽。そうすけはうす目を開けて、その様子をじっと観察している。おとなたちが食事をしながら語りあっている姿を見て、なにを感じたのだろう。この世をもっと、すきになってくれるといいのだが。

ベビーカーか、だっこひもか。どちらでレストランに行くほうが負担がすくないだろう、と迷っていたら、だんなが、だっこひもで連れていくからいいよ、と手伝ってくれた。ありがたや。そうすけもおとなとおなじ目線で見たほうが、いろいろたのしめるにちがいない。だんなはそう考えたのだろう。そうすけ、うれしいね。食事がほとんど終わったころ、ビールを3杯おかわりしただんなが立ちあがった。トイレに行くという。そうすけをあずかろうとしたら、このままでだいじょうぶだという。もどってきただんなにきいてみると、個室ならだっこしたままで十分対応できるそうだ。ひろくてきれいなトイレでよかった。

 部屋にもどると、友人がかわるがわるそうすけをだっこしてくれた。
「かわいいねえ、そうすけくん」
「もう、連れて帰りたくなっちゃうよー」
「連れていってもいいよ。でも、おっぱい、たいへんだよー」
「うーん、やっぱりムリ」
「おっぱい、出ないもん」
友人の腕のなかで胸に寄りそうようにして、そうすけは気もちよさそうに目をつぶっている。みんなの愛情をたっぷりもらって、しあわせそうに目をつぶっている。将来はなんになるだろうね、といわれて考えた。なんになるかはわからないけれど、自分のちからで生きていける人になってほしい。それだけだ。

3月14日、ことばあそび。(生後80日)

 生後2か月の赤ちゃんが、アイ・ラヴ・ユー、と話している動画をSNSで見つけた。お父さんのひざの上にのって向かいあいながら、なんども口まねしているうちに発音できるようになったらしい。かわいいなあ。目の前でこんなことをいわれたら、ぎゅっとしたくなる。そうすけも、意外にできちゃったりして。ちょっと、ためしてみようか。思いたったら、そうだ、ためしてみよう。

「そうすけ、だいすき」
「だいすき」
「だーいすき」
だいすき、という言葉が、そうすけはだいすきだ。気もちが伝わっているからなのかな。満面の笑みがかえってくる。だいすき、だいすき、だいすき、そうすけのことが、だーいすき。繰りかえすうちに、きゃっ、きゃっ、と、からだをよじりながら笑いだした。この笑顔をずっと見ていたくなる。言葉そのものは、やっぱり発音しにくいみたいだ。濁音だから、むずかしいのかも。
「そうすけ、あいしてる」
「あいしてる」
「あ・い・し・て・る」
あい、と口が動いた。こっちのほうがいいやすいのかもしれない。あい、だけでも十分うれしい。あいしてる、と、ありがとう、をいえる人になろう。

 だんなは、メロディーにのせて発音させるつもりだ。そうすけと向かいあいながら、ぶんぶんぶん、の歌をうたっている。ぶんぶんぶん、はちがとぶ、ぶんぶんぶん、はちがとぶ。なんども繰りかえしているうちに、そうすけのくちびるがぶ、のかたちになっていく。ぶんぶんぶん、ぶん、ぶん、ぶん。だんなの歌に熱がこもっていく。力みすぎて、はちもとべなくなってしまいそうだ。そうしているうちに、そうすけの口が動いた。ぶん。いま、ぶんっていったよ。大さわぎになってしまった。もういちど、ぶん。ぶんぶんぶん、は近いかも。

 じつは、ぶんぶんぶん、より先におぼえた歌がある。大きな栗の木の下で、の歌だ。なんども繰りかえしうたっていると、そうすけの口が動いたのだ。そしてうたったのだ。大きな、とはっきり。だんなはまだ信じてくれないが。

3月13日、乳児湿疹。(生後79日)

 朝、9時のいちばんのりをめざして、皮膚科へ急いだ。皮膚科は、家から歩いて5分ほどにある小児科に併設されている。内科、小児科はだんなさん、皮膚科は奥さんが先生だ。これからもますますお世話になるだろう。そうすけの乳児湿疹がひどくなってきたので、診てもらうことにした。自分でひっかいたあとが、いくつかある。傷になる前に、ちゃんとなおしてしまおう。

 医院に着くと、すでに待っている人がいた。が、多くなさそうだ。そうすけは4番めに診てもらえることになった。早く来てよかったね。看護師さんによばれて診察室に入ると、奥さん先生がにっこり笑って待っていた。
「はい、おはようございます。きょうは、どうしたの」
「湿疹ができて、爪でひっかいちゃったんです」
「あらら、かゆいのかな。湿疹自体はそれほどひどくはないですね」
先生が資料を開いて、写真を見せながら、乳児湿疹の症状を説明した。思わず声をあげたくなるほど、痛々しいものもある。カサカサするものも、ベタベタするものも、ジュクジュクするものも、ぜんぶ乳児湿疹。赤ちゃんのほとんどが、いちどは経験している。1歳から2歳までには、自然になおるといわれている。症状を素人が判断するのはきけんだ。しっかりと診てもらおう。
「肌を洗うとき、なにをつかっていますか」
「ベビーソープをつかっています」
ブランド名を確認して、それなら問題ないわね、と先生はいった。しっかり洗って、肌を清潔にたもつこと。赤ちゃん用のせっけんやボディソープの泡をたっぷりつけて、洗うといいそうだ。顔面とくらべて、頭部はちょっとフケが出ているくらいで、とくに炎症はなさそうだ。よかった、よかった。
「いまのカンジで、これからも清潔にたもってくださいね」
「ありがとうございます」
ぬり薬を出してもらって、症状がおさまるまで様子をみることになった。ついでに、わたしの乳腺炎を予防するための葛根湯も処方してもらった。この際だからききたいことはぜんぶきいてしまおう。
「3か月健診って、受けたほうがいいんですかね」
「自治体から通知はきてますか」
「品川区は4か月健診で、3か月は自費になるんですよ」
「へえ、そうなんだ。気になるところがあったらで、いいんじゃないかな」
「体重、ですかね。生まれたとき、おちびちゃんだったもんで」
「体重なら、ここで測れますよ」
「えっ、ホントですか」
「じゃあ、3か月のワクチンを受けにきたときに測りましょう」
うん、見たカンジとくに気になるところはないよ。と、先生から太鼓判まで押してもらった。ききたいことをいまきいておいて、よかった、よかった。

3月12日、復職前面談。(生後78日)

 11時、虎ノ門の仕事場へ向かう。2日前の経験をふまえて、いつもよりも1時間早めに準備をはじめる。それでも、家を出るのがぎりぎりになってしまった。ベビーカーではなく、だっこひもで移動することにした。おとといもだっこひもで出かけたから、きっとだいじょうぶだろう。大崎駅へ向かう途中で、エスカレーターが工事のため封鎖されていた。いきなり経路がかわることもあるから、お母さんはたいへんだ。足もとを見ながら、階段を下りた。

 この時間の山手線は、比較的空いている。上長も人混みを気づかって、会うタイミングを決めたのだろう。近くの座席が空いていたので、だっこしたまま腰をかけた。電車にゆられながら、そうすけがぐっすり眠っている。気もちよさそうだ。ずっとすわっていたくなるのをがまんして、有楽町駅で降りた。そうすけのよだれで、胸のあたりがぐっしょりぬれている。ハンドタオルをとりだしてふいた。仕事場のみんなにわたす手みやげを買ってビルに向かった。

約束の10分前に、ビルに着いた。ちょっと早いけど、まあ、いいか。だっこひものなかでまぶしそうにうす目を開けているそうすけに、さあ行くよ、と声をかけて、仕事場のドアを開いた。目の前にいるみんながそうすけをかこむようにあつまった。たくさんの大きなおとなたちに見まもられて、小さなそうすけがますます小さく見える。生後2か月半の赤ちゃんが仕事場にきた、それだけでもたいへんなニュースだ。そうすけは、あいかわらず静かにしている。
「かわいいねえ」
「たまらんなあ」
「おー、よちよち」
「はじめまちて」
「よろちくね」
一斉に言葉のプレゼントをもらって、そうすけもびっくりしたのだろう。いまにも泣きそうな顔をしている。だっこをしたまま、ゆらゆら、からだをゆらしてごきげんをとる。手のひらでそうすけのあたまをなでながら、落ちついたのを見はからって上長と面談をした。復職日や配属の希望、復職後は通常勤務で多少の時間外勤務も対応できること、保育園が決まったこと、などを確認した。そばにそうすけがいてくれるから、迷わずに話せた。そうすけには、言いわけをしたくない。きちんと、向きあいたい。だからこそ、しっかりはたらきたい。