Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

5月21日、離乳食を知ろう。(生後148日)

 午前10時15分、保育園の保護者会に出席した。食を知ろう保護者会、と題して離乳食の説明会が行われた。保育園にかよう0歳児と1歳児のお父さんとお母さんがあつまった。平日の朝だからお母さんだけだろうと思っていたら、スーツ姿のお父さんもいて服装の違和感におどろいた。説明会に出てから仕事場へ行くのだろう。参加者の多くが、すでに離乳食をはじめている。そうすけはまだたべられないが、先輩の赤ちゃんたちは説明会とおなじ献立の離乳食をお昼にたべる予定だ。そこでお父さんとお母さんも、たべさせる練習をするらしい。

 赤ちゃんの食事、と書かれたパンフレットが配られた。品川区保育課栄養指導係が発行したものだ。そこに、保育園の食事で大切にしていること、大切にしたいことが書かれている。離乳食は、赤ちゃんのたべる様子を見ながら、胃腸や消化吸収の発達にあわせて、段階を追ってすすめていく。初期食からはじまって完了食まで、5段階にわかれている。5か月から6か月ごろ、7か月から8か月ごろ、9か月から11か月ごろ、そして12月から18か月ごろが、すすめる目安になる。たべものに慣れてきたらアレルギーのすくないものから順番に1種類ずつふやしていって、献立や調理の形態もすこしずつかえていく。離乳食がすすんで1日2回以上にふえたら、主食、主菜、副菜がそろう献立にしていく。なるほど、こうやっていろんなものをたべるようになっていくんだなあ。

 説明のあと実際に、初期、中期、後期前半、後期後半とよばれる4つの離乳食を試食した。きょうのメニューは、じゃがいものそぼろ煮、煮びたし、かぶとほうれんそうのみそ汁、おかゆ。それぞれの段階での、味つけや、食材の大きさ、かたさなどのちがいを見ながら試食した。おいしい。うす味だが、素材の味が活きている。上品だ。目をつぶってたべれば、料亭の味といってもいいくらいだ。食材にもこだわりたくなる。やっぱり新鮮な素材がいいなあ。などとつらつら考えながら、これならきっとうまくやっていけそうだと思った。調理のきほんは、きざむ、ゆでる、すりつぶす。シンプルだ。でも、料理人の腕の見せどころだ。近ごろは、だれでも失敗しないでカンタンにつくれるすぐれた調理器具が出ているらしい。そうすけといっしょにたべたら、ダイエットもできそう。

 先輩の赤ちゃんたちが離乳食をたべているところを見学しながら、そうすけに話しかけてみる。これが、お昼ごはんだよ。ほら、おいしそうだねえ。そうすけは、ふーん、と興味なさげな顔をしている。それよりも、隣りのお友だちの存在のほうが気になっているようだ。隣りのお友だちは、かわいい女の子。そうすけより1か月年上で、お母さんにきいてみると、離乳食をあげてもぷいっとされてばかりで毎日こまっているそうだ。おいしいごはんでも、きらわれることがあるのか。保育士さんがいうには、たべることに慣れるか慣れないかで、ぱっくり態度が別れるそうだ。そうすけは、どっちになるだろうか。

5月20日、うんち騒動。(生後147日)

 おはよう。親のベッドで添い寝をしていたそうすけは、となりで眠っているお母さんを起こそうと動きはじめた。ほっぺをチュウチュウしたり、おでこをペタペタさわったり。しかし、お母さんは気もちよさそうにしているばかりで、なかなか起きそうにない。こんどは、身をよじって全身でうったえる。それでも起きない。あーう、あーう、と声をあげてみる。それでも起きない。だったら泣いてやるー。と、ぐずりだす。お母さんびっくり。こんなふうにして朝がくる。ごめん、ごめん、お風呂入ろっか。ひとっ風呂あびてリフレッシュ。

 そうして、事件は起きた。そうすけをそのままベッドに寝かせておいて、風呂の準備をしていた。からだをふくタオルをひろげたり、服とおむつをならべてすぐに着られるようにしたり、風呂あがりにのむミルクをつくったり、風呂で鼻水をとる綿棒を2本用意したり。けっこう段取りが多いけれど、これをきちんとしておくと、そうすけが湯冷めすることもなく、あわてることもない。いつものように準備も終わって、そうすけの服をベッドの上で脱がせて、おむつを外した。その服を洗濯機に入れ、おむつをごみ箱に捨てたときのことだ。

 寝室にもどって、そうすけを風呂に入れようと抱きかかえると、指先に違和感が。そうすけのおしりが、ぬるりとしている。このタイミングでうんちをしてしまったのだ。ベッドの上にそうすけの寝汗を吸いとるためのタオルを敷いていたので、被害は最小限にくいとめられてはいたが。うかつだったなあ。

 そうすけが順調に成長していることにあまえて目をはなしていたことを、いまあらためて反省している。先輩ママたちにきいた話だが、寝返りができるようになるとベッドから転落したり、ハイハイができるようになると柱や角にあたまをぶつけたり、つかまり立ちができるようになるとテーブルの上に置いてあるたべられないものをたべてしまったり、そういった事例は枚挙を問わない。うんち騒動だけですんで、よかった、よかった。これからは気をつけよう。

5月19日、快食快便。(生後146日)

 おとといまでの悩みはそうすけの便秘だったが、それも杞憂に過ぎなかったようだ。きのうの明け方に大量のうんちが出てからというもの、せきを切ったように出まくっている。1日に6回もうんちをしている。本人はいたってごきげんなので、だいじょうぶだとは思うけれど、おしりのほうは平気なんだろうか。おしりふきを何枚もつかってやさしくふいても、どんどん赤くなっていくのが心配になる。そうすけは痛くないのか、きゃっきゃっ、と笑っている。
 母乳をたくさんのんでいると、うんちがやわらかくなってくるそうだ。そうすけはおっぱいをのんだ直後だけでなく、のんでいる最中にも、ぶっ、と元気な音を立てている。のんで、出して。のんで、出して。まるで、ところてん突きみたいだ。見ているこっちも、おむつがえにてんてこまいになる。それでもまあ、すがすがしい気分だ。うんちを出しきってすっきりしたそうすけは、なにをしていてもごきげんで、だっこをしていても、たかいたかいをしていても、ジャンプのおもちゃであそんでいても、これ以上はないというくらいの笑顔をふりまいている。そればかりか、眠っているときでさえ笑顔をうかべている。
 快食快便は、元気のバロメーターになる。おとなだって、おんなじだ。わたしもたっぷりたべてたまっていたものがしっかり出ると、その日が快適にすごせるだけでなく仕事もスムーズに気もちよくできるし、いいことずくめだ。しつこく書いてしまうが、たかがうんち、されどうんち。うんちを笑うものは、うんちに泣くのだ。そうすけと過ごしていくなかで、あらためて教わった。
 うんちの回数が多いのはたいへんだけど、あとすこしの辛抱だ。6月になったらいよいよ離乳食がはじまる。離乳食がはじまれば、あっという間におとなのようにかたちのあるうんちになり、回数も減ってくる。それはそれで、うれしいような、さびしいような。1日1日の変化を見まもりながら、ていねいに過ごしていきたい。これからもひとつひとつ経験を積んでいこうね、そうすけ。

5月18日、おんなの底力。(生後145日)

 さびしいのは、そうすけだけではなかった。母からメールがとどいた。
「無事、家に着きました。そうすけの顔を見ていると、帰りづらくなるね。毎日ずっと、見ていたいな。ほんとうに、たのしかったよ。いろいろ、ありがとう。そうすけは、ちゃんと育っているよ。がんばりすぎずに、すなおに、すなおに、育てていけばいいよ。また会いに行くからね。からだに気をつけて」

 母は、5月15日に誕生日を迎えて80歳になった。家事をしているときにふと気づいたら腕にあざがふえていたり、気をつけていても口内炎ができていたり、健康まわりの細かなトラブルはひっきりなしだという。年をとるとはそういうことよね、と自らも体力の低下を認めている。そんな母が、そうすけが誕生してからというもの、ぐんと若々しくなった。どんどん、きれいになっていく。まるで恋をしているようだ。そうすけのことを話しているときの母は、少女の目をしている。そしてとうとう、京都から新幹線にのって、はるばる会いにきたのだ。どうやって行くのかもわかったし、これからは日帰りでもだいじょうぶだよ、と母は胸を張る。こんどは日帰りするつもりですか。このパワーはどこからくるのだろう。これが、女性の底力というものなんだろうか。

 先日、子犬を育てている友人と話しているときに、おたがいに感じたことがある。人は、とくに女性は、愛情をあたえる相手をいつも探している。その相手は赤ちゃんだったり、犬だったり、ネコだったり、セキセイインコだったり。愛情をあたえる相手がたまたまちがうだけで、母性そのものにはかわりがない。よわくて小さくて、いっしょにいると気が抜けないし、遠くへ外出もできないし、突然ごきげんななめになってこまらせることもあるし、そうかと思えば、にこにこ天使の笑顔で見ているこちらまでハッピーになっちゃうことだってある。そんな体験のひとつひとつを思いだしたり、だれかに話していたりするだけで、しあわせに満たされるのだ。それも、ただのしあわせではない。あたまからつま先までどっぷり、しあわせという名前のお風呂につかっている感覚だ。

5月17日、産みのくるしみ。(生後144日)

 昼前にふたたび、母と兄と義姉がやってきた。もともと、きょうは来る予定ではなかったが、きのうのそうすけにすっかりこころをうばわれて、もっと会いたい、だっこしたい、と思ってやってきたそうだ。その気もち、よくわかる。そうすけといっしょにいると、夢中になるあまり時間の感覚がすっかりマヒしてしまうのだ。あいかわらずそうすけはおしみなく笑顔をふりまいて、ひとりひとりにハッピーオーラを提供していた。母は午後早めの新幹線で京都へもどりたいのにといいながら、兄も義姉もあしたから仕事があるのできょうはなるべくゆっくりしたいのにといいながら、ぎりぎりまでいっしょにあそんでいた。

 午後、家族が帰ってしまうと、部屋が静かになった。さびしくなったのだろうか、そうすけは泣き虫になってしまった。だっこしていないと、泣いてばかりいる。すきな音楽を流しながらおっぱいをあげても、おむつをかえても、たちまちわっと泣きだしてしまう。しばらくしたら疲れて泣きやむだろうとベビーベッドに寝かせたら、枕を引き裂かんばかりに両手でぐいぐい引っぱりながらわんわん泣き叫んでいる。こうなったらもう、だまって見まもるしかない。

 夜、終日研修に出ていただんなが帰ってきたので、そうすけの様子を話していると、それってさびしいだけじゃないかも、便秘でおなかがくるしいのかもしれないよねという。そうだ、この2日間いちども出ていない。たしかに、枕を両手でぐいぐい引っぱりながら、顔を真っ赤にして、うんちをふんばっているようにも見える。そうすけも、おとなたちの相手をしながら、彼なりにプレッシャーを感じていたのだろうか。だとしたら、見すごしてしまってごめんね。おなかをのの字でさすりながら、うんちを待った。そうすけのごきげんななめは、翌朝までつづいた。5時ごろにおっぱいをあげて、横になって休むことにした。

 リビングから、だんなの声がきこえる。うれしそうだ。見にいくと、おむつを交換しながら、うんちが出た、いっぱい出た、と興奮気味に教えてくれた。おっぱいをあげて、わたしが寝室に入ったすぐあとに、ばぶっ、と軽快な音をたてておとずれたらしい。それもそうすけ史上最大のボリュームだったという。よかったなあ。そうすけは、おしりをふいてもらいながらおだやかに笑っている。産みのくるしみを克服して、さらに自信をつけたようにも見える。

5月16日、家族大集合。(生後143日)

 滋賀から母が、埼玉から兄が、長野から義姉が、みんながそうすけに会いにきた。家族大集合だ。お正月にあつまって以来だから4か月ぶりになる。それまではメールでやりとりをしていたのだが、写真で見るそうすけは写真を送るたびに毎回、顔がちがって見えるという。日に日に成長しているんだなあ。いっしょに暮らしているだんなやわたしには、そのことが気づきにくかったりする。4か月ぶりにそうすけと会って、みんなはどんな感想をきかせてくれるのかな。

 昼前に、母がやってきた。ひさしぶりにそうすけに会えるのでワクワクするあまり朝4時に目が覚めたのだという。駅まで迎えに行こうとしたら、こちらはだいじょうぶだからそうすけの世話をしてなさいね、という。みんなでつまめるおそうざいやノンアルコールののみものをテーブルに準備しながら部屋で待つことにした。が、やっぱり、しばらくして、駅から家まで来る途中で迷ってしまったと電話がきた。さっそくベビーカーにそうすけをのせて迎えに行った。母はわたしたちの姿が見えるとぐんぐん早足で歩いてきた。きのう80歳を迎えたとは思えないほどのつよい脚力だ。そうすけへのアツい想いがパワーをあたえているのだろうか。まっすぐそうすけを見ながら話しはじめた。
「そうすけ、会いたかったよう」
「おばあちゃんだよ」
「こんなに大きくなって」
そうすけは、わたしをちらっと見て、おばあちゃんだとたしかめるとにっこり笑顔を見せた。この笑顔には、どんなおとなもかなわない。保育園の先生をも、めろめろですーといわせてしまった笑顔だ。母も早起きの疲れがふっとんでしまったようだ。家に着いてもくつろがず、そうすけと話しつづけている。

 午後2時過ぎに、兄夫妻がやってきた。母のバースデーケーキを買ってきてくれた。そうすけを見て、その成長におどろいているようだ。大きくなったねえ、おにいちゃんになったねえ。と、なんども繰りかえしている。そうすけもそれにこたえるように、だっこされるといつもより多めににこにこして、プレゼントのおもちゃを長めににぎにぎして、ジャンプのおもちゃに座るとなんどもなんども歓声をあげた。こうなると母も、兄も、義姉も、めろめろだ。そうすけをだっこしたり、なでなでしたり、手や足をにぎにぎしたりしながら、うっとりした表情になっていった。気づいたら、午後10時を超えてしまった。

 そうすけが寝ているあいだにおとな同士の会話をたのしんでいると、ぼくも仲間に入れてー、といわんばかりに泣きだす。ずっと、みんなといっしょにあそんでいたいのだろうか。よくばりだな、そうすけ。早くおしゃべりできるようになるといいね、と母がいう。おしゃべりできるようになったらどんなことを話すのかな、そうすけは。お父さんも、お母さんも、たのしみにしているよ。

5月15日、朝風呂だいすき。(生後142日)

 このところ3日つづけて朝風呂に入っている。だいたい5時ごろにいちど目を覚まして、おっぱいをのんで、30分ほど休憩してから、6時ごろに風呂に入る、といったサイクルだ。これがどうやらお気に入りのようで、今朝も湯船でぷかぷかそうすけはごきげんだ。ごきげんのあまり、ぶーっ、と、おならをした。うんちが出るとまずい、と、だんながあわてて湯船から救出をはじめた。

 だんなはいつも早くても8時くらいの帰宅だが、いままでのそうすけはちゃんと目を覚ましておかえりなさいをしていた。でもこのごろは眠っていることが多くて、いったん起こしておっぱいをあげても、おむつをかえても、1分と経たないうちにまた眠ってしまう。これだと夜に風呂に入れたら湯船のなかで眠ってしまいそうだ。そこで超朝型のリズムにかえてみることにしたのだ。

 いまの季節だと5時ごろになると空が明るくなっているので、早起きしてもつらくないのがうれしい。これが冬になると、朝早く起きるのが暗いし寒いしで、モチベーションを維持するのがたいへんそうだ。まあ冬までには半年近くあるからそのときになったらどうするか考えよう。育児は1日1日が勝負なのだ。と、つくづく思う。つぎからつぎへと新しい課題がやってくる。

 きょうのそうすけは、風呂のなかでうんちをしないで、さいごまでがまんをした。えらいぞ、そうすけ。でも、おならをしたあとお父さんを見て笑っていたよね。もしやお父さんをからかっていたのかな。えらくないぞ、そうすけ。

このごろ、そうすけの1日のうんちの回数が減ってきたのが気になる。いままでは、おっぱいをのんだらすぐに放出する、といった状態だった。1日に5、6回はかるく出していたと思う。出すぎるくらいだ。それが、1日1回になった。胃腸が成長してきたからだといいのだが。ずっと便秘とつきあってきたわたしにとっては1日1回でも十分、いや、ホントうらやましいくらいだ。

5月14日、セカンドオピニオン。(生後141日)

 保育園の帰りに、そうすけと小児科へ行った。いつもかよっている家の近くの小児科は木曜日の午後がお休みなので、ちょっと歩くけれど五反田駅の近くの小児科へ行くことにした。ネットで調べてみると、お母さんからの評判がいいみたいで、子どもが泣く前にワクチンを打ち終わったなどと書かれている。子どもが泣く前に注射し終わってしまうとは、すばらしく手際がいいんだろうなあ。かかりつけ医がふたりいると安心できる。そうすけは、はじめてとおる道に目をぱちくりさせていた。コンコンが治るようにお医者さんに診てもらうんだよーと話しかけると、にまっと笑った。わかっているのだろうか。

 連休明けにもういちど近くの小児科で診てもらって、かぜはよくなったので薬はいいでしょうといわれているが、夜になるとせきが出る。のどにたんがからむのか、なんどもせきを繰りかえしている。加湿器で湿度をたもつようにしているけれど効果がないようだ。週末には母や兄夫妻がそうすけに会いにくる。いまのうちに診てもらっておこう。小児科はマンションの一室にある。入口の段差でもたもたしていると、マンションの住人らしき若い男性がベビーカーをもちあげるのを手つだってくれた。この国にはまだ親切な人がたくさんいる。みんなの愛情を受けとって、人はおとなになるんだなあ。と、あらためて実感する。

 こじんまりとした家庭的な小児科だった。そうすけの健康保険証とこども医療証、母子健康手帳を提出して、初診受付シートに記入した。完全予約制で、わたしたちの前には親子は1組しかいなかった。3、4歳くらいの女の子とお母さんがワクチンを受けにきていた。女の子はにこにこ笑いながら、先生とおしゃべりをしている。やっぱり、注射のうわさはほんとうだったようだ。

 そうすけの名前がよばれた。明るい診察室に、大柄なおじいさん先生が待っていた。はじめに全身をチェックさせてくださいねーと看護師さんにうながされておむつ1枚になった。体重、体温をたしかめてから、触診をした。体重6.88キログラム。かぜをひいてからずっと体重がとまっていたので、すこしでもふえていてよかった。のどや舌、鼓膜の状態も診てもらった。どうだろうか。
「うん、薬いらないねえ」
「だいじょうぶですかね」
「うん、だいじょうぶですよ」
あっという間に、診察が終わった。おっぱいの出はどうですか、と先生にきかれて、保育園へもっていく冷凍母乳が間にあわなくて、と話したら、このごろのミルクは母乳と栄養がほとんどかわらないから心配しなくてもいいんだよ、といわれた。ほっとした。もちろん、免疫力をつけるという面では母乳のほうがすぐれているそうだ。また気になることがあったらきてね、といわれて、これからお世話になります、とこたえた。かかりつけ医がふたりできて、よかった。

5月13日、眠れるベビのすけ。(生後140日)

 そうすけが、よく寝るようになった。夜、眠りはじめると、ほうっておけば朝まで眠りつづけてしまう。成長したんだなあと、うれしく思う反面、おっぱいをあげる機会が減ってしまったのがすごくさびしい。ぐっすり眠っていて静かになると、ちゃんと息してるだろうかと、いまでも不安になる。鼻の真上で耳をすませて生存を確認してみたりする。そのときに、ふっと、そうすけが笑顔を見せることがある。その笑顔がかわいくて、顔を近づけてのぞきこんでしまう。起こしてはいけないとわかってはいるんだけど。ごめんよ、そうすけ。

 夜は眠って、朝になったら起きる。このリズムは体内時計によってまもられている。この体内時計ができあがるまでには、時間がかかる。生まれてから生後1か月ごろまでは、夜と昼の区別がないウルトラディアンリズム、つぎに眠る時間がずれるフリーランの時期を経て、ようやく生後3か月から4か月ごろにサーカディアンリズムとよばれる体内時計ができるという。そうすけはいまちょうど1日24時間の地球時間にぴったりの時計を手に入れたばかりなのだ。まだ、つかい方にはなれていない。あたたかく見まもってあげよう。

 赤ちゃんの眠りには、3つのパターンが見られるという。ぐっすり睡眠、もじもじ睡眠、そして、まどろみ睡眠。ぐっすり睡眠は、いわゆるノンレム睡眠のことで、からだもこころも深く眠っている状態。ちょっとぐらい音がしても起きないので、家事をしたり、音楽をきいたり、ママにとっては時間をたっぷりつかえるチャンスだ。赤ちゃんが大きくなるほど、ぐっすり睡眠は長くなる。もじもじ睡眠は、レム睡眠のこと。脳が活動をはじめる浅い眠りだ。 目をつぶりながら、手足をもじもじ動かしている。ときどき、びくんと手を動かすことがあるが、これは音に反応しているしぐさなんだそうだ。 口をむにゅむにゅと動かすこともあるが、おっぱいをほしがっているわけではないらしい。 夢を見るのは、もじもじ睡眠中だ。まどろみ睡眠は、本格的な眠りに入る前や目覚める前の状態で、うつらうつらの眠り。目は閉じたり、半開きだったりする。にんまり笑っていることもあるが、まだこころが未発達な段階なので、おとなの笑いとはちがう。まどろみながら泣くこともある。 目覚める前に、うんちやおしっこをしていて気もちわるいからだ。ぴんときたらすぐ、おむつをかえてあげよう。

5月12日、かわいいねえ。(生後139日)

 そうすけといっしょにいると、とにかくいろんな人から声をかけられる。道ばたで、お店で、駅で、電車で。こんな体験は、いままでになかった。赤ちゃんのもつパワーには、ほんとうにおどろかされる。現代人はコミュニケーションが希薄だなどといわれたりするが、そんな心配もどこ吹く風だ。みんな、ただ声をかけるタイミングを待っていただけなのかもしれない。ありがとうの気もちで胸がいっぱいになる。こんな世界に生まれてきてよかったね、そうすけ。

 声をかけてくる人は、圧倒的に経産婦が多い。家族連れのママやおばあちゃんは、ほぼ100%といってもいい。自分の体験と重ねあわせてたくさんのことを思うのだろう。目を細めて、自分の子どものように話しかける。
「かわいいねえ」
「何か月?」
「いまが、いちばんいいときねえ」
きょうもエレベーターのなかで、知らない女性から声をかけられた。わたしとおなじくらいの年だろうか。そうすけを見ながら、しきりに、いまがいちばんかわいいときなのよねーと連発している。大きなお子さんがいるのかな。
「うち、8歳の娘がいるんだけど、口が達者で」
「おしゃまさん、なのかな」
「いってほしくないこと、どんどんいっちゃうのよー」
いってほしくないことって、どんなことだろう。と、つい気になってしまったがそれは教えてもらえなかった。女の子だから、美容とかダイエットの話だったりするのかな。わたしからすれば、おなじごはんをたべることができるのも、いろんなおしゃべりができることも、うらやましいかぎりだ。お母さんと対等に話しているそうすけが、いまはまだ想像ができない。ごはんをたべたり、おしゃべりをしたり、早くできるようになりたい。そう話すと女性は、はっとした顔を見せたあとで、やっぱりこのころがいちばんかわいいよーといって笑った。

 若い男性から声をかけられたこともある。とんかつ屋さんの店員のおにいさんが、そうすけをうっとり見つめながら、だんなとわたしに話しかけた。
「いいにおい。赤ちゃんのにおいですね」
「赤ちゃんのにおいですか」
「赤ちゃんにしか出せない、いいにおいがあるんです」
おにいさんも先日パパになったばかりだという。そうすけとずっといっしょにすごしていると気づかないにおいを、パパになりたてのおにいさんは感じているのかもしれない。ミルクだけじゃない、赤ちゃんのにおいなんだという。