Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

1月27日、そうすけプロマイド。(生後34日)

 母から、そうすけの写真を送ってほしい、とリクエストがきたので、厳選10枚をプリントして送った。母はパソコンをつかわないので、写真のデータを送ってもつかい勝手がよくないらしい。すでに、携帯電話の待ち受け画面には、笑顔のそうすけがばっちりおさまっている。これで毎日会えるの、と母は少女のようによろこんでいる。でも、できればもっといろんなそうすけが見たいのよね、プリントがあるといいなあ。と、あまえ声でいわれてさっそく送ることにした。完全にアイドルに恋い焦がれるファンの心理だ。そうすけが生まれる前は、たしか若い5人組のアイドルグループのファンだと話していたんだっけ。あのコかっこいいのよねえ、という。女の子って、やっぱり女の子なのだ。

 せっかくプリントするんだったら、きれいな写真に仕あげたい。データをもういちど見なおして、トリミングや色のバランスを調整した。翌日プリントしてみると、肌の色をよく見せようとするあまり、ちょっとピンクがかった色になってしまった。うーん、どうしよう。このまま送るか、プリントしなおすか。だんなに見せたら、体温が感じられていいんじゃないの、という。なるほど、ものはとらえようだ。よーし、送ることにしよう。お正月にみんなで撮った写真をはじめベビーベッドで眠るそうすけ、お風呂でごきげんなそうすけ、みんなからもらったプレゼントに囲まれてでれでれのそうすけ、など、お気に入りの10枚を選んで送った。すぐに母から、ありがとうのメッセージがとどいた。

「郵便受けを見たら、大きな封筒が入っていました。わぁ写真がきた!と、その場で開けたよ。いろんなそうすけに会えるから、たのしいね。なんども、なんども、見ています。あくびをしたり、お風呂でリラックスしたり、すやすや眠っていたり。いつ見ても、かわいいね。ずっと見ていても、あきないね。赤ちゃんは日に日に表情がかわっていくよ。子育てはたいへんだけど、そのぶんたのしいしこれからもたくさんの発見が待っているよ。そうすけが元気でじょうぶに育ちますように。さむい日がつづくけど、親子ともどもからだに気をつけて。かぜをひかないようにね。また写真を撮ったらまとめて送ってね」

1月26日、泣き声をよむ。(生後33日)

 お宮参りを無事に終えて、自信がついてきたのだろうか。きょうのそうすけはアクティブだ。朝から気合いを入れて、泣くこと、泣くこと。おっぱいがのみたい、おむつをかえてほしい、もこもこのツーウェイオールがあついからきがえたい、くらいまではわかったが、意味がよみとれないメッセージの多いこと、多いこと。赤ちゃん語の翻訳機があったらいいのになあ。高くなければすぐにでも購入したいくらいだ。もうどこかで開発されているのかもしれないけれど、まだ実用化されていないのだとしたら、ヒトのコミュニケーションがそれだけ複雑だということだろう。こたえを見つけよう、などと思わないほうがいいのかもしれない。とはいえ、早く泣きやんでほしい、ついついあせってしまう。

 オーストラリアのプリシア・ダンスタンさんの研究によると、赤ちゃんの泣き声からいまなにをしたいのかよみとることができるそうだ。3か月までの赤ちゃんは、国籍やルーツに関係なく万国共通の言葉をつかっているらしい。5つの泣き声をききわければ、効果的に泣きやませることもできるんだという。

Neh(ネェ)は、おなかがすいた、のメッセージ。おっぱいをのむときの舌の動きとおなじだそうだ。泣くときに舌が見えるので、わかりやすい。
Heh(ヘェ)は、あつい、さむい、おむつがぬれている、汗などで気もちがわるい、快適じゃないことを伝えるメッセージ。
Eairh(エァー)は、おならがたまっている、おなかが張って痛い、のメッセージ。泣くというよりも、うなり声に近い。足を上げたりもする。
Eh(エッ)は、げっぷがしたい、のメッセージ。おなかにたまった空気をなんとかして外に追いだそうとしているサインだ。
Owh(オォ・アォ)は、疲れた、眠い。あくびをするのと似ている。

 うーん、なるほど。こころあたりがあるような、ないような。これほど明確にはききわけられないが、口の動きはヒントになりそうだ。泣いているときにじっくり観察してみようと思う。そうすけが言葉をおぼえるまでは、まだまだ時間がある。読唇術ならぬ読泣術ができる日も、やってきそうな気がする。

1月25日、お宮参り。(生後32日)

 お宮参り。それは、その土地のまもり神である産土神(うぶすながみ)さまに赤ちゃんの誕生を報告し、すこやかな成長を願う行事だ。赤ちゃんを産土神さまの産子(うぶこ)として認めていただく、という意味もある。お宮参りをするタイミングは地方によってちがいがあるが、一般的には、男の子であれば生後31日か32日め、女の子は生後32日か33日めがよいとされている。

 そうすけは、お宮参りでも親孝行ぶりを発揮した。ちょうど週末でだんなが休みのタイミングにお参りできたのだ。出産に立ち会ったときも祝日、産後のつらい時期も正月休みと重なっていたので、ほんとうにたすかった。たまたまだといえばそれまでだが、これだけ偶然が重なると、そうすけが自分の意思で選んだのではないかとさえ思えてくる。いつも、いつも、ありがとう。

 遅めの朝ごはんをたべて、身支度をととのえて、午後から家の近所の神社へ出かけた。まだ首が座っていないそうすけを、おくるみにくるんで、だんながだっこして歩いた。神社まで歩いて10分ほどかかるが、そうすけはまったくぐずりもせず、すやすや眠っていた。まっ白いおくるみのなかで、ほほえんでいるようにも見える。けがれのない寝顔だなあ。と、そのとき、だんながポツリとつぶやいた。そうすけ、重くなったなあ。いつもいっしょにいると成長したのがわかりにくい、と話していただんなが気づいている事実におどろいた。

 5分ほど早く神社に着いたが、事前に参拝の予約をしていたので、待たずに祭殿へ案内された。あいかわらず、そうすけは眠っている。しばらくして神主さんがふたり、あらわれた。ひとりは若い女性の神主さんだ。女性の神主さんがあいさつをはじめると、そうすけはうっすら目を開け神主さんをじいっと見た。が、すぐに眼を閉じてふたたび寝入ってしまった。大きな太鼓の音に泣きだすこともなく、式は無事に終わった。ほっとした。さいごに、だんなとわたしがお神酒をいただくことになり、そうすけにもお神酒を指で唇につけてあげてください、と神主さんにうながされた。だんなが小指の先にお神酒をつけて、滴をそうすけのくちびるに塗ってあげた。すると、たったいままですやすやと眠っていたそうすけが、ニッ、と笑みを見せた。はじめての酒の味を、気に入ったのだろうか。おとなになったら、親子で鍋をかこみながらビールをのんだり、刺身をつまみながら冷酒に杯をかたむけたり、パスタといっしょにワイングラスをまわしたりするだろう。20年後を、たのしみにしていよう。

 神社の帰り道、杖をついた小柄なおばあさんに、お宮参りですか、と声をかけられた。はい、そうすけといいます。と、だんなが話して、おばあさんにそうすけの顔を近づけると、とてもよろこんでくれた。さむいから気をつけてね、元気に大きくなるんだよ。と、おばあさんはわたしたちに言葉をプレゼントしてくれた。眠っていたそうすけが、もういちど、ニッ、と笑みを見せた。

1月24日、生誕1か月。(生後31日)

 そうすけがこの世に生まれてきて、きょうでちょうど1カ月をむかえる。出産予定日の2015年1月1日よりも1週間早い2014年クリスマスイブを選んできたのにはびっくりしたけれど。暗くてせまいおなかのなかから突然、音と光が満ちあふれたこの世界にとびだしてきて、そうすけもさぞかしびっくりしたことだろう。生まれたてのそうすけは、まだ首もふにゃふにゃで、さわったらこわれてしまうんじゃないかとだっこするだけでもドキドキだった。いまもわからないことだらけでおっかなびっくりの毎日だけど、とにかく1か月がすぎたんだなあ。あっという間だったなあと思ういっぽうで、ようやく1か月だとも思う。

 退院後3日めの健康チェックで、そうすけの体重増をもうすこしがんばりましょうとアドバイスされて、そのあとの健診までの1週間で軌道修正にはげんだ。まさに、24時間おっぱい祭りウイークだ。このところ、すこしずつ授乳のペースも落ちついてほっとしている。おっぱいをごくごくのんで、すやすや眠って、毎日をいっしょうけんめい生きているそうすけを見ていると、あっという間に1日なんてすぎさってしまう。友人の先輩ママが、朝からいっしょにいるだけで午後になっちゃったよ、と笑っていたがその気もちがよくわかる。いっぽうで、1日になんども授乳をくりかえしていると、ほんとうにゴールはあるのだろうかと不安な気もちにもなる。おっぱいをあげても、あげても、おむつをかえても、かえても、そうすけをあやしても、あやしても、いったん泣きだすとすべてがリセットされるのだ。たくさんのことはできなかったが、密度の濃い1か月だった。

 午後、テレビをつけると、トンガの海にいるザトウクジラの親子の暮らしを特集していた。はじめのうちは、海がきれいだなあと思って見ていたが、母クジラが子クジラをまもる姿に目をうばわれていった。ザトウクジラの赤ちゃんは、いつもサメなどの天敵にいのちをねらわれていて、3頭に1頭しか翌年まで生きのびることができない。そんな子クジラのために、母クジラは24時間365日そばに寄りそって、おっぱいをあげて、泳ぎ方を教えて、生きぬくために育てつづけるそうだ。それも、たった1年の期間限定で。1年をすぎたら、親ばなれしなければならないという。ニンゲンの親子には、できないことだ。

1月23日、1・2・3だっこ。(生後30日)

 きょうは、1月23日。ちょうど1か月前のきょう、出血、破水をしてそのまま病院に入り、陣痛とたたかっていた。あれほどつらかった痛みも、いまはほとんど忘れている。いまいちばん痛みを感じるのは、乳首だ。きのう助産師さんからもアドバイスがあったが、上唇が内側に巻きこまれたままおっぱいを吸うと、摩擦や刺激で乳首を傷めてしまうそうだ。気をつけなければ。

 吸われるのが痛いからといっても、おっぱいを痛くなくなるまで吸わずに待ってもらうわけにはいかない。乳頭の先を見ると、水ぶくれのようなものができている。乳管がつまりかけて、出口のあたりがすこし炎症をひきおこしているようだ。痛みがひくまで、搾乳してしのぐことにする。こんなときにも、母乳はしっかり出るのでほっとする。それでも痛みはおさまらない。熱をおびているようにも感じる。陣痛や出産、産後の下腹部の痛みなど、さまざまな痛みを体験してきたけれど、ようやく下腹部の痛みがなくなってきたこのタイミングに、乳首の痛みに悩まされているとは。どうして神さまは、出産にあわせてたくさんの痛みをあたえるんだろう、と叫びたくなる。それくらいどうってことない、と思えるほどのしあわせが待っているからだろう、きっと。

 きのう助産師さんから教わった、まんまるだっこをためしてみる。両腕で輪っかをつくり、片方の腕で赤ちゃんの後頭部から首を、もう片方の腕で膝の裏をささえるようにする。自然に背中がまるまって、おしりがすこし突きだすように姿勢をキープ。だっこしながら両手でたがいの手首を握りあうようにすると、さらに安定する。これで赤ちゃんが泣きやむんですよ、ときいたのでためしてみると効果てきめん。さらにスクワットをプラスすると、最強だ。

 赤ちゃんは生まれる前、お母さんのおなかのなかで、からだをまるめた姿勢をとっている。そのとき背骨はCの字のかたちにカーブを描いている。おとなは背骨をまっすぐのばすことが正しい姿勢だと思いがちだけれど、生まれたばかりの赤ちゃんにとってはこのC字型が正しいわけだ。おなかのなかにいるときとおなじだから、からだがリラックスできて気もちよく眠れるという。あらら、そうすけもうっとり目をつぶっている。ふしぎ、ふしぎ。

1月22日、すくすくチェック。(生後29日)

 午前10時。来客用のハーブティーをスタンバイして待つ。きょうは、すくすく赤ちゃん訪問の日。品川区では、子どもが生まれた家庭に助産師や保健師などの専門指導員が訪問して、相談にのってくれる。なかなかいいシステムだなあ。子育てについてなんでも相談できる家族や友人が近くにいないわたしには、ほんとうにありがたいことだ。なにからきこうかな。ききたいことがいっぱいある。助産師さんがやってくるタイミングを見計らって、訪問の10分前、そうすけにおっぱいをあげた。これでお昼まで、ぎゃん泣きしないでつきあってくれるといいんだけど。泣きだしてしまったら、そのまま授乳の仕方を教えてもらってためしてみよう。とにかくいまは、そうすけの要求にこたえることが最優先だ。

 助産師さんは、わたしよりも10歳以上は年上に見える。テキパキとしているけれど、ていねいで落ちついた口調。保育園の園長さんのイメージだ。いろいろアドバイスしてもらえそう。きょうは、赤ちゃんの健康チェック、お母さんの子育て相談、健診などの保健サービスや、品川区で活用できる社会サービスについてお話しましょう、とのこと。ききたいことであたまがいっぱいになっているわたしを見て、まずは質問をさせてもらえることに。入院中に病院で記録したシートをまねてエクセルでつくった、うんち&おしっこの回数と授乳のタイミングを記したグラフを見てもらいながら、気をつける点や改善方法をきいた。そうすけの場合は、いまのペースをつづけてだいじょうぶ、このまま様子をみましょう、とのことだった。この、様子をみながら判断する、というのがとっても大事だという。数字にとらわれないこと。おとなとおなじように赤ちゃんも、からだのコンディションは日に日にかわっていく。ダイエットをしているときの自分を思いだせば、ピンとくる。食欲にも、体重にも、波がある。一喜一憂したって、なんにも意味がない。大きな流れをつかむことが大切なのだ。万年ダイエッターのわたしにはよくわかる。もっとそうすけと向きあおうと思った。

 ひととおり話したところで、助産師さんがもってきたはかりで、そうすけの体重測定をした。3600グラム。1日あたり49グラム増だ。生まれたころから、ほぼ1キログラム大きくなっている。そうすけ、がんばったなあ。成長がうれしい。でも、数字にとらわれない、とらわれない。体重測定が終わったとたん、泣きだしたので、そのまま授乳のレッスンに突入。上唇に吸いダコができているのは、吸い方がよくないらしい。内側に巻きこまれがちな唇を指でそっとめくってアヒルちゃんのお口になおしてあげましょう、とアドバイスをもらった。きょうできなくても、あした、あさって、そのうちできればいい。たしかめながら、たのしみながら、といわれて気もちがラクになった。時間はたっぷりある。

1月21日、社会の一員。(生後28日)

「ただいま。はい、これ」
「おおお、これで社会の一員ですな」
 仕事から帰ってきただんながすかさず、キャッシュカードのようなものを差しだした。そうすけの健康保険証。出産したのがクリスマスイブで、正月をまたいで申請したためこのタイミングになっていた。カードを見ると、そうすけの名前がしっかりと刻まれている。生年月日、平成26年12月24日。性別、男。あたりまえのことが書いてあるだけだが、ひとつひとつをかみしめるように見る。

母子手帳、出生届や住民票などでなんども、そうすけの名前を見たことはあるのだが、日常生活でひんぱんにつかうものに名前を入れてもらったのは、これがはじめてだ。もちろん、病院の診察券にも、カンベソウスケ、と書かれているけれど。カンベソウスケ、とカタカナではなく、神戸颯佑、と漢字で書かれているのが感慨深い。そこには、ひとりの人格があるのだ。そうすけが社会の一員になったんだ、とあらためて実感する。この現代社会へようこそ。

 きょうで、生まれてから28日めをむかえる。健診で病院に2度行った以外にそうすけは外出をしたことがない。外の世界とのかかわりは、まだないといってもいいくらいだ。そんな生活がつづいているからか、毎日ぎゃん泣きをするそうすけを見ていると不安に思うことも多い。おっぱいがほしいのか、おむつを交換してほしいのか、気もちわるいことがあるのか、眠いのか、それとも、からだの調子がわるいのか。なにかと困惑してしまうことばかりだ。顔を真っ赤にして手足をバタバタしていることもあれば、おなかのなかにいたときよりも強力なしゃっくりをしていることもある。ひきつけのようなしぐさを見せることもある。そうすけのメッセージを正確によみとることは、まだまったくできていない。

 たった一枚の健康保険証だが、いま、そうすけといっしょに暮らしていることを実感する。ひとつひとつ経験をかさねて、たくましく生きていこうね。なるべくこのカードをつかわなくてもすみますように、と祈りながら。

1月20日、先輩ママの助言。(生後27日)

 1か月健診まで、あと10日。もうしばらく、外に出られない生活がつづくけれど、ココロは毎日東京と京都を行ったりきたりしている。高校や中学の部活動でいっしょだった友だちと会話しているからだ。電話やメール、SNSで、思いたったらいつでも会えるのがうれしい。おない年の先輩ママで初産の平均年齢で産んでいるから、子どもは中高生になる。わたしが知りたいことはすべて体験している、といっても過言ではない。高校時代からの友人から、はたらく先輩ママのアドバイス、と題してメールがとどいた。いつもあたまのなかで仕事のことを気にしているわたしにとっては、リアリティのある助言ばかりだ。

【はたらく先輩ママのアドバイス】
 まず、ぜんぶをカンペキにはできないから、ひらきなおること。なんでもがんばります、とムリはしないように。できることはやる、できないことはやらないとはっきり決めること。そのかわり、引きうけたことはちゃんとやる。
 いい保育園を選ぶことは、すごく大事。子どもが小さいうちは、保育園に育ててもらっていたとつくづく思う。時間がかかったとしても、いいところに入れたら、卒園まで心配いらずですごせるよ。しっかり選んで決めること。
 ワークライフバランスの価値観は、人それぞれ。ほかの人の意見は、参考にしてもいいけれど、あの人もこうしているからがんばらなくちゃ、とは思わないこと。わたしの職場にも、だんなさんが主夫をしている人がいて、バリバリはたらけていいなあ、と思った。でも、まねしたい、とは思わなかった。
「休みの日に、子どもとわたしだけだと、こまることがある」
「子どもは、わたしよりもパパがすき」
と、彼女が話しているのをきいて、やっぱりうらやましくないな、と、感じたからだ。仕事をがんばりたい彼女にとっては、それがベストな選択だったんだとは思う。だれがなにをいおうが関係なく、夫婦で話しあって決めればいい。
 ウチは、保育園には7か月から入れて、離乳食も、トイレトレーニングもみんな保育園まかせだった。育児のことは心配しないで、ただ日々必要なことをこなしていたよ。実際、年中から年長になったらラクになった。でも、小学校の壁が大きかった。職場の人の目は、子どもも小学生になったんだからもうすこし仕事ふやせないの、というニュアンスがありありだった。たしかに小学生になったんだし、多少さびしい思いをさせても育つといえば育つ、といえばそうだけど。できるだけのことをしてやりたい、子どものために自分で方針を決めて、自分からいろいろしてあげたい、と思うことがふえてきた。けっきょくわたしは転職をしたけれど、小学生になったら仕事をふやす、という選択だってアリだと思っているよ。これも、ひとりひとりの価値観で決めればだいじょうぶ。

 先輩ママの友人はいま、大学の医学部に研究者としてはたらいている。以前は、医大の学内講師をしていたそうだ。業界がちがっても、妊娠、出産をした女性たちが抱えている悩みはかわらなかった。いや、これからかわっていくのかも。わたしがこれから体験することも、そのきっかけのひとつになる。

1月19日、0歳のタフガイ。(生後26日)

 すこしずつ、朝と夜のリズムができているのかもしれない。きのうも、午後10時すぎにたっぷりミルクをのんだそうすけは、午前3時ごろまでぐっすり眠っていた。おなじ状況が3日つづいている。もう、深夜におっぱいをあげなくてもよくなるのかな。うれしいような、さびしいような。と思ったら、乳の張りを感じたので搾乳をした。一気に60ccしぼることができた。起きてきたそうすけに搾乳したおっぱいをあげようかと思ったが、まだ乳が張っていたので、左右の乳から順番にのませてみた。おっぱいって、どこまで出るのかな。20分ほど吸ったあと、すんなりそうすけは寝てしまった。おっぱいタンクは足りていたようだ。6時ちょっと前にまた起きて泣きだしたので、こんどは搾乳したおっぱいをのませる。またもや、すんなりそうすけは寝てしまった。

 なんとすばらしいリズム。と感心していたのは、つかの間だった。だんなが仕事に出かける8時前に、母乳をのませる。こんどは、寝ない。それどころか、だんなが帰ってくる20時すぎまで、おっぱい祭りだ。いちどのみはじめると、30分以上は乳首をくわえつづける。乳首からはなそうとしても、両手をつかっていやがる。乳首にあきると、げっぷを出すために背中をトントンする。10分ほどだっこをして、うとうとしはじめたところで、ベッドへつれていって寝かせる。よしよし、だいじょうぶ、と3歩はなれたところで、ぎゃん泣きがはじまる。おむつかな。おお、よし、よし。おむつを交換して3歩はなれたところで、こんどはぎゃん泣き。また、おっぱいですか。早いねえ、もう、おなかすいちゃったんだ。このサイクルを12時間くりかえしているのだ。

 赤ちゃんの体力は、あなどれない。そうすけは、ほんとうにタフなのだ。わたしも、ダイビングやヨガでからだをきたえてきたけれど、そうすけの持久力にはかなわない。だんなが帰ってから、沐浴をしているときのごきげんな顔を見ていると、ひと仕事終わったあとの労働者のようだ。しかし、そうすけの仕事はまだ残っていた。ひとっ風呂終えたあとのそうすけをタオルでくるんで、着がえを用意していると、ぶっぶぶっぶーばりっぶー、と爆音がとどろいて、あまずっぱいにおいがひろがった。そうすけのできたてほやほやの大きな制作物が、タオルの上にのっかっていた。やっぱりタフだなあ。

1月18日、宇宙との交信。(生後25日)

 日本ではじめて民間宇宙飛行士が誕生するかもしれない、というニュースをきいて、いまワクワクしている。みんなが海外旅行へ出かけるように、宇宙へ旅立つ日がやってくる日も近いだろう。そうすけも、おとなになったら行くのだろうか。できれば、家族いっしょに宇宙を見たいものだ。できるかなあ。

 生まれたばかりの赤ちゃんは、目がよく見えない、といわれている。暗くてせまいおなかのなかで、長い時間をすごしてきたから、光になれるには時間がかかるだろう。新生児の視力は0.02くらい、2か月児になっても0.05くらいといわれている。でも、フォーカスがぼやけているだけで、じつは、いろいろなものを見ることができるのだ。とくに、20センチから25センチの距離のものは、はっきり見ることができるという。この距離はちょうど、お母さんが赤ちゃんに母乳をあたえているときのたがいの目の距離にぴったりだ。これも、いのちのしくみ、だろうか。自然の摂理は、よくできているなあ。

 そうすけは、目と目のコンタクトがだいすきだ。ぎゃん泣きしているときにもだんなが顔をぐっと近づけると、ぱっと泣きやんでくれる。ヘン顔をしながら顔を近づけると、さらに効果ばつぐんだ。おそらく、このときのたがいの顔の距離も、20センチから25センチくらいだろう。そうすけは、だんなと見つめあうのがだいすきだ。しかし、だんなはふと気づいてしまった。わたしも気づいてしまった。目と目をあわせている、と思っていたのはおとなだけだったことを。そうすけは、なにかちがうものを見ているにちがいない。そう感じたきっかけは、おっぱいをあげたあとに、げっぷを出そうと背中をトントンしていたときのこと。こふっ、と、げっぷをして、ほっとしたそうすけに、顔を寄せた。いつもどおり目をあわせてにっこり、のつもりが、わたしのあたまの向こうを見つめているではないか。静かで落ちついた笑顔をしている。こんな表情をしたこと、いままでにあったっけ。まるで、宇宙とのコンタクトだ。

 だっこしているとき以外にも、宇宙との交信はつづいている。おひるねしているときにも、あたまのうえに両手をかざして、呪文をとなえているようだ。なにを見て、感じているのか、わかちあえたらいいのに。きっとおとなには見えないなにかを、その純粋なこころで見つめているにちがいない。