Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

1月17日、おっぱいの神秘。(生後24日)

 1月17日、阪神淡路大震災から20年が経つ。あの朝、まだだんなになる前のだんなとテレビを見たときの衝撃を、まだおぼえている。あわてて滋賀の実家に電話をかけたが、なんどかけてもつながらなかった。やっとつながったら母も動揺していたようで、おなじコトバをなんどもくりかえし話していた。
「振り子時計の振り子、とまっちゃったよー」
わたしが赤ちゃんだったころからとまったことのない振り子がとまるほど、ぐらぐらゆれていた。実家のある滋賀県大津市は、震度4。被災地のことを思うといまも胸が痛む。あの日も赤ちゃんを抱えるお母さんたちは、おっぱいをのませながらがんばったんだなあ。せまりくる恐怖や不安とたたかいながら。

 きょうはだんなも仕事がお休みで、そうすけをまる一日見ていられるのがうれしそうだ。ぎゃん泣きするそうすけのおむつをかえたり、ぐずるそうすけをだっこしてあやしたり。そのひとつひとつを、たのしんでいる。おっぱいをのんだそうすけをだんなが寝かせているあいだ、のんでいないほうの胸から搾乳をすることにした。いつも50ccを目安に搾乳するが、一気に出ないので、休み休みしぼってみた。が、きょうはなかなか乳が出ない。こんどは両方の胸からしぼってみよう。ついさっきまでのませていたからなのか、やっぱり出がよくない。しばらく様子をみようか。と思ったところで、そうすけが泣きだしてしまった。だんながおなかをさすったり、背中をトントンしたり、機嫌がよくなるようにあの手この手であやしている。そのたびに泣きやんでは、また泣きだす。おっぱいが足りなかったのかな。こっちも足りないよ。だんだん不安になってきた。

 だんながそうすけをあやしている様子をみながら、わたしはある変化に気づいた。おっぱいから、乳が滴っている。そうすけが泣けば泣くほど、乳の出がよくなっているのだ。赤ちゃんの泣き声をきいたり赤ちゃんをいとおしく思うだけで母乳がにじみでる、という話をきいたことがあるが、ここで目のあたりにするとは。お母さんのおっぱいは、お母さんのこころとつながっている。

1月16日、爪切りげんまん。(生後23日)

 午後2時。そうすけが眠っている。すやすや眠っている。よーし、このあいだに日記を書いてしまおう。どこまで書けるかな。いちどぎゃん泣きをはじめると、2時間くらいはふっとんでしまう。このタイミングにできるだけすすめよう。こうやって集中力をきたえられていく。いいことじゃないか。といいながら、たいてい途中で起きてしまうのでいまだにノンストップで書けたことはない。おとといも友人にメールを送ろうとしていたら、ぎゃああーと泣きだして、昼までに送るつもりが夕方になってしまった。締めきりがなくて、よかった。

 そんなこんなで、午後3時。ひと泣きして、おっぱいをのんで、また、すやすや眠りはじめた。250字ほど書けた。よし、よし。この調子でコツコツつづけていけばいい。きょうは、そうすけ初体験の日。もちろん、わたしにとっても初体験の日だ。生まれてはじめての爪切り。じつは、ずっと気にはなっていたんだけど切るのがこわくて、手つかずだったのだ。赤ちゃんの爪は、ほんとうにちっちゃい。こんな小さな爪を切ってしまっていいのだろうか。あのー切ってもよろしいですか、と、ききたくなってしまう。しばらく切らないでいると摩擦で爪先が自然に削れてくるのだが、ガサガサになっていて、顔をひっかいたりするとあぶない。すでに、わたしの首まわりはひっかき傷だらけだ。眠っているあいだに切ってしまおう。でも、急に起きたらこわいなあ。そうすけがだいすきなおっぱいをのんでいるあいだに切ってあげよう。そうしよう。

 赤ちゃんの爪切りは、おとな用の爪切りはつかわず、赤ちゃん用の小さいはさみタイプのものを使用する。まゆ毛用はさみと大きさは似ているが、刃の先端がまるくなっているので安全なのだ。そうすけは、おっぱいをのんでいるときには完全に無防備になる。手をにぎっても、ぎゅうっとひっぱっても、されるがままだ。あらためて指を見ると、やっぱり爪が小さい。ふと、小学校のときにはまっていたビーズ細工を思いだす。爪よりもちっちゃなビーズをテグスにとおしていたんだから楽勝だよね、と自分にいいきかせる。赤ちゃんの指はおとなにくらべて肉づきがよく、ふつうに爪を切ろうとしてもなかなか切りにくい。お母さんの指で赤ちゃんの指をそっと押してあげて、爪の白い部分を0.5ミリほどのこして切るといいそうだ。あせらず、あわてず、じっくり時間をかけてカットする。なんとか完了。足の指の爪は、次回にしようね。

1月15日、悪露でおろおろ。(生後22日)

 床上げ21日をすぎても、のんびりまったりすごしている。1月末の1か月健診までは、外出をひかえるようにいわれている。こんなに長い時間を部屋のなかですごすなんて、人生はじめてのことだ。ならば、おうちライフをめいっぱいたのしんじゃおうじゃないか。ネットでウィンドウショッピングをしたり、いままで見られなかったテレビ番組を見たり。と思っていたのに、1日の大部分がそうすけのおっぱいタイム、おむつタイム、おやすみタイムに占められていて、24時間あっても足りないくらいだということにあらためて気づいた。しかも、つぎの動きがよめないことが多いため、ひとつひとつに思った以上の手間がかかる。

 予想外といえば、からだのコンディションもそうだ。悪露(おろ)の経過がよめず、おろおろしてしまう。悪露。この字面を見るだけでも、じめじめした不快なイメージだ。産後、子宮内にのこっている子宮内膜や血液、卵膜、脱落した細胞などが分泌物となって、からだから出る現象をいう。ホルモンバランスがくずれるため、体調がすっきりせず不快感も高まる。だいたい6週間くらいでおさまるときいているが、2週間でよくなる人もいれば2か月ほどだらだらとつづく人もいて、個人差があるようだ。産後すぐは、生理の2~3日めよりも多いくらいの鮮血状の分泌物が出てくる。1週間くらいで赤茶色になり、やがて茶褐色、黄色、うす黄色、白色と変化していき、いつのまにか終わる。わたしの場合は、一進一退の状況だ。ちょっとよくなったみたい、と思って家事をしていると、悪露がわっとふえてくる。消化に負担のかからない食べものを選んでたべたり、からだを冷やさないようにしたり、いろいろ気をつけてはいるんだけど。

 まだ3週間しか経っていないのに、もうすっかり気が滅入りそうだ。ましてや2か月もつづくとなれば、どんな気もちになるだろう。2か月も生理がつづいている感覚になる、といえばいいだろうか。こんなに長い時間を自分の子宮と向きあってすごすなんて、これも産後はじめての体験だ。ありがたいことに、そうすけといっしょにいると毎日がいそがしすぎて、つらい時間もふっとんでしまう。そうして、あとからじわっとしあわせで満たされる。

1月14日、床上げ21日。(生後21日)

 きょうで、産後21日めになる。むかしからよくいわれている、床上げ21日をむかえた。わたしも産んでからはじめてきいた言葉だ。これは、産後の21日間つまり3週間はふとんを敷きっぱなしにして体力の回復と子育てに集中しましょう、という、むかしからの習慣らしい。いつでも横になれるようにしておいて、この期間が終わったらふとんをかたづける。それで、床上げ、とよんでいるそうだ。以前は、字を書くのも、テレビを見るのも、本を読むのも、やってはいけないといわれていたそうで、ましてやメールを書いたり、パソコンに向かったりするなんて、もってのほか。わたしは陣痛のあいまもケータイでママ友とメッセージをやりとりしていたので、なおさら論外なのだ。気もちがラクになるといってもやっぱり、ムリしていたんだなあ。いまさらながら反省する。

 21日間には、どんな根拠があるんだろう。産後、悪露(おろ)とよばれる出血がつづくのだが、この量が減ってくるタイミングという。子宮が収縮してもとの大きさにもどるのも、出産のときに開いた骨盤が閉じるのも、ちょうどこのころだ。むかしの先輩ママたちは、こういう自然の流れをわかっていたんだろう。ちなみにこの習慣は、日本ならではのものらしい。産後の入院に1週間近くかけるのも日本ならでは。海外では、たった24時間で退院するところだってたくさんあるらしい。わたしは1週間でも歩くのがつらかったから、ゆっくりすごせてほんとうによかったと感謝している。産後のケアがしっかりできると、回復のスピードも早いそうだ。逆にここでムリしてしまうと、産後3か月から6か月あたりに疲れがどっと出てしまう。積極的になまけよう。

 どんなふうになまけると効果的だろう。休めるときには休んで、あわてずあせらずマイペースで育児をスタートさせること。買いものは、宅配やネットショップ、休日をうまく活用する。重たいものがあればパパに手つだってもらおう。掃除は、できるときに、できるところまで。休めるときは赤ちゃんといっしょに睡眠をとろう。ダイビング仲間の先輩ママが、的確なアドバイスをしてくれた。おかげでただいま、ネットショップのおとりよせに夢中だ。便利だなあといいながら、けっきょく、ずっとパソコンに向かっている。

1月13日、ぎゃん泣きのもと。(生後20日)

 どうにもとまらない。きょうのそうすけは一日中ぎゃん泣きだ。寝ている時間はほとんどないまま、泣くか、のむか、うーんか、の連続なのだ。トイレに入ったときにも、視界から消えた瞬間ぎゃん泣き。メールを書いているときにも、パソコンばかり見てないでこっちもちゃんと見なさいよー、と言わんばかりにぎゃん泣き。なんとかリラックスしてもらいたい、とスキあらばおっぱいをあげたのが裏目に出たようで、おなかいっぱいになったらぎゃん泣き。あげくのはてには爪がのびはじめた指でおっぱいをひっかかれてしまった。

 20時をすぎて、だんなが帰ってきた。そうすけはまだ泣いている。そうすけくん、ただいまー。と、だんなが話しかけながらだっこすると、あらま、おだやかな笑顔を見せているではないか。いままでのぎゃん泣きはどこへやら。とにかく泣きやんでくれて、たすかった。と思ったのもつかの間、だんなといただきますをしたところで、また、ぎゃん泣きがはじまった。近ごろだんなは、そうすけをだっこしながら晩ごはんをたのしんでいる。こうすると、3人で食事している気分を味わえるし、そうすけもごきげんなのだ。ところがきょうは、やっぱりちがうようだ。だんなの腕のなかで、また泣きはじめた。しかも、ほんの数秒のうちにヒートアップしてしまった。なんとか泣きやんでもらおうと、そうすけの顔から5センチくらいのところで、だんながどアップのヘン顔を連発しはじめた。わははは、こりゃあリラックスできるぞー、と思ったら、いよいよはげしいぎゃん泣きがはじまった。これには、だんなもダメージをうけたようだ。沐浴しよう、と提案してきた。これなら泣いていたそうすけもごきげんになるはず。さっそく沐浴のしたくをすることにした。そうすけ史上最強の作戦開始だ。

 そうすけは、沐浴がだいすきなのだ。お湯につかっていると、テレビでよく見る温泉ずきなおじいちゃんやおばあちゃんも顔負けのいい顔をする。そのいい顔を、だんなとわたしは、およよ顔、とよんでいる。およよ顔めあてで、だんなが洗面台の湯船でそうすけのからだを支え、わたしがベビー用ボディソープでからだを洗う、というパパとママ初の共同作業にとりくんだ。

 最近、そうすけの顔と胴まわりがふっくらしてきた。と、書いたが、胴まわりだけでなく全体的に大きくなってきた。からだがものすごいスピードで成長しているのだろう。そうすけも、その変化にびっくりしているにちがいない。ぎゃん泣きはバージョンアップするときのサインなのだ。すやすや眠るそうすけの寝顔を見まもりながら、だんなは今夜もおいしい酒をのんでいる。

1月12日、成人まで20年。(生後19日)

 きょうは、成人の日。テレビでは、あちこちで成人式の様子がとりあげられている。成人式、か。そうすけのあどけない寝顔を見ていると、彼がおとなになったところをまったく想像できない。でも、いつかその日がやってくるのはまちがいない。そうすけは、この世に生をうけてまだ20日足らず。1か月前には、せまくて暗いおなかのなかですごしていたのだ。その成長ぶりには目を見張るものがある。一日一日、けっして見のがしてはならない、と思う。

 まずは、顔つき。おっぱいをのむ量がふえたこともあって、ほほがふっくらしてきたように思う。視力も、すこしずつ見えるようになってきたのか、顔を近づけると、あきらかに視線が合っている気配を感じる。にごりのないきれいな目をしている。こんな目でじいーっと見つめられたら、なんでも見すかされてしまいそうだ。つぎに、胴まわり。こちらも、おっぱいをのむ量がふえてくるにつれてぷっくらと赤ちゃんらしいフォルムになってきた。このごろは重さをずっしりと感じるようになってきた。そして、しぐさ。産まれたばかりのそうすけは、泣くか、寝るか、のむか、のシンプルな行為だけだったが、だんだん自分の意思を入れるようになってきた。うんちをふんばっているときにも自分で意識しながらしているようだし、うっかり見つかると、あちゃー、と恥ずかしげな表情をうかべている。おっぱいをのんでいるときにも、そのかわいさのあまりおでこにチューをすると、もうジャマしないでくれい、という表情をしてみせる。はげしいときには、わたしの横腹をキックしてくることもある。

 そうすけが成人するまで、あと20年ある。20年のあいだに、どんな夢をもつだろう。世の中は、どうかわっていくだろう。ひとつひとつが待ち遠しくて、いまからワクワクしている。いまなら、なんでもできる気がする。毎日のちょっとした変化にも、ていねいに向きあっていきたい。また、これから人生の大きな決断をするときにも、そうすけを信じて、見まもってあげたい。

1月11日、うーんのサイン。(生後18日)

 午前2時。だんなが搾乳したおっぱいをそうすけにあげるあいだ、わたしは寝ているように、と、うながされた。ちょっぴり気になるけれど、ここはまるごとおまかせしてみよう。うん、だいじょうぶだよね。と、うとうとしかけたところでだんながわたしをよんでいる。おっぱいをあげてほしいな、とヘルプをもとめている。どうやら、搾乳したおっぱいをのんだあと、ぐずっては泣き、泣きやんでベッドに寝かせると、またぐずっては泣き、を繰りかえしていたようだ。泣く子もだまるカンガルーケアのポーズをためしてみたけれど、今回はまったく効きめがなかったらしい。そうすけくん、どうしたのかな。

 そうすけをよく観察していると、だんだん、泣いていてもほうっておくべきなのか、お相手すべきなのかがわかってきたような気がしてきた。すこしぐずってうす目をあけ、うーんとうなって伸びをする。そんなときに抱きあげると、たとえおっぱいをのんだ直後でもぎゃん泣きにな戻ってしまうことが多い。そこで気づかないふりをしてほうっておくと、ぐずるのをやめて、目をぱちくりしながら両手を握り、うーんとうなって伸びをなんどか繰りかえす。よゆうがあると、ぐずりながらあくびをしたりもする。そんなそうすけにじっと目をあわせると、見られたー、と、ちょっとはずかしそうに視線をはずしたりする。

 うーん、は、うんちのサイン。だんなが発見した法則だ。ぱちくりまばたきしているのがかわいいな、と思って近づいたら、赤ちゃん特有のあまずっぱいにおいがした、という。そうすけは自分の意志で、うんちをしようとしている。見ているとたしかに、うーん、うーん、と、おなかのなかからなにかを絞りだそうとふんばっている。がんばったあとは、ぐっすり眠りにつくことが多い。ひと仕事を終えたあとの充実感、とでもいうのだろうか。ほんとうに気もちよさそうに眠る。このまま1時間から2時間はおやすみタイムをキープできる。もちろんはらぺこのときには、ぎゃん泣きの倍返しになってしまうのだが。

 なにをもとめているのかがわかってくると、子育てはたのしくなる。つぎにやりたいことが事前にわかるので、ムダなくムリなくそうすけをケアできる。そのうえ、とびきりの笑顔をなんども見ることができちゃうわけだ。

1月10日、パパもカンガルー。(生後17日)

 正月休み明けから、だんなは首を長くしてつぎの連休を待っていた。そしていよいよ、待ちに待った今年はじめての3連休がやってきた。そうすけと思うぞんぶんベタつくぞー、と鼻息が荒い。たのもしいと思ういっぽう、どこまで耐えられるのかな、と興味シンシンでもある。昼間のそうすけは、すごいぞー。

 2週間健診でそうすけが順調に育っていることを知って、だんなはなによりもよろこんでいるようだ。わたしもうれしい。不安になるたびに、わたしの話をきいて迷いを解きほぐし、自らの体験をありのままに教えてくれる、家族や友人にはほんとうに感謝している。はじめての子育ては、とにかくわからないことだらけだ。ネットで検索したり、本を読んだり、できるかぎり情報をあつめてみるけれど、やればやるほど選択肢が多すぎて、どれが自分にふさわしいのかわからなくなってしまう。そんなとき、わたしのことをよく知っている家族や友人の的確な助言にどれだけすくわれたことか。気ばかりつよくて中身がヘタレなわたしにつきあって、どんなつまらない質問にもアドバイスをくれる。みんなの言葉がなければ、きょうも迷っていたにちがいない。みんなありがとう。

 さて、そうすけは、すやすや眠っている。朝のそうすけは、ほとんどが睡眠タイムだ。あ、目が覚めた。泣いた。とまらない。どうやら、おむつタイムのようだ。おむつをかえて、すっきりした。泣いた。とまらない。こんどは、おっぱいタイムだ。きょうはなにかと展開が早いなあ。パパがそばにいるぶん、あまえているのかな。おっぱいをのんだらこのまま落ちついてくれるのかな。ああ、やっぱりちがった。あやすと眠りだしたので、ベッドに寝かせた。が、また泣きだした。背中に涙のスイッチがあるみたいだ。昼間のそうすけは、夜よりもずっとあばれんぼう。とうとうだんなも、お手あげになってしまった。

 泣きやまない赤ちゃんに効果的な方法。それは、あのカンガルーケアのポーズだ。胸のうえにそうすけをのせて、背中をゆっくりさすってあげる。こうするだけでほっと安心するらしい。さっそく、だんなもためしてみる。ベッドルームにそうすけをつれていって、ちょっと早めのおひるねタイムがはじまった。すると5分も経たないうちに、すうすう、と、そうすけが気もちよさそうに眠りに落ちていくではないか。そうすけの熟睡につられて、だんなも横で眠りはじめた。それを見てうらやましくなったわたしもベッドに飛びこむ。パパカンガルー、ママカンガルー、子カンガルー。ああ、なんて気もちのいい休日だろう。

1月9日、長寿之泉的飲料。(生後16日)

 午前9時20分に、日赤医療センターへ。そうすけもいっしょだ。3階の小児保健部で受付をすませて、診察室に移動する。きょうは、助産師による2週間健診。赤ちゃんになんらかの問題があった場合にも1か月健診まで長引かせないようにするため、先手先手でチェックをしましょうというわけだ。これはなかなかいいシステムだな、と思う。わからないことがあったら、ついでにきいてしまおう。白いふかふかのおくるみのなかで、そうすけはすやすや眠っている。

 ショートカットのベテラン助産師さんによばれて診察ブースに入った。まずは体重測定から。1日あたり25グラムから30グラム増をめざしましょう、といわれていたがどうだろう。2958グラム。1日あたり53グラム増になっているではないか。そうすけの成長力にびっくりする。わたしはただ、もとめられるままにおっぱいをあげていただけだ。おっぱいはあげればあげるほど、どんどんわいてくるそうだ。日本昔ばなしに出てくる長寿の泉みたいだなあ。どのくらいのんでいるのかわからないので不安なんですが、ときいたところ、気にしているほど気にしなくてもだいじょうぶですよ、という。赤ちゃんの様子を観察していればおのずからどうしてほしいか見えてくるそうだ。うんちもおしっこも、からだにさわったときの印象も、体重のふえ方も。すべて赤ちゃんからのメッセージだ。まだ言葉を知らないそうすけが、からだをつかって話しかけてくる。わたしたちも、それにからだをつかってこたえていけばいい。まさに、ボディランゲージだ。おっぱいは、ほしいだけあたえてもいいらしい。のんでも、のんでも、太らない。そんなのみものが、おとなにもあったらうれしいのになあ。

「お母さんのおっぱいの点検も、しておきましょう」
助産師さんがマッサージすると、母乳がビューッとほとばしった。どこがちがうんだろう。おっぱいってこんなに出るんだ。おどろいていると、さらに助産師さんがアドバイスをくれた。おっぱいをあげるときにはいきなり口にくわえさせるのではなくマッサージをして母乳をちょっと出してからあげるとのみやすくなるそうだ。出せば出すほど、出やすくなる。長寿の泉がますます進化するのだ。あげ方にもバリエーションがあるといいらしい。横抱き、ななめ抱き、フットボール抱きにくわえて縦抱きも教わった。いろいろためしてみよう。

1月8日、ぐっすりのくすり。(生後15日)

 そうすけとふたりきり生活4日め。きのうは、たっぷり眠ったなあ。おかげでぐんと体調がよくなった気がする。いままでからだの調子がよくなかったのは寝不足が原因だったのか、と、あらためておどろいている。薬をきちんとのんでいても、ごはんをバランスよくたべていても、睡眠がしっかりとれていなければ意味がなかったのだ。よく眠るということは、生きるためのきほんなんだと実感。こんなあたりまえのことが、実行できていなかったとは。

 睡眠がたっぷりとれると、気もちにもよゆうが出てきた。そうすけが泣きだしても、すぐに寝かしつけるのではなく、泣いている理由につきあってみようと思いはじめた。赤ちゃんが泣きだす理由はおっぱいだけではない。おむつが汚れているときや、げっぷがたまっているときなどの、不快感を伝えたくて泣くこともある。重ね着しすぎてあつかったり、うす着でさむかったりしたときも、泣いて知らせる。おむつが、きゅうくつなのかもしれない。洋服のタグが肌にあたってチクチク痛いのかもしれない。いや、ムズムズかゆいのかもしれない。新生児のころには、お母さんのおなかのなかから外へ出てきた変化に慣れなくてとまどうことも多い。暗くてあったかいおなかのなかとくらべてみれば、たいへんな変化だ。明るくなったり、暗くなったり。大きな音におどろいたり、たくさんの人の声にびっくりしたり。外の世界になれなくて、お母さんのおなかのなかが恋しくなることだってあるだろう。泣けば泣くほど不安や不快をとりさることができるなら、もっと泣いたってのぞむところだと思う。

 そうすけがいちばんリラックスできるポーズは、わたしもだいすきだ。赤ちゃんをうつぶせにしてお母さんの胸の上にのせて、お母さんの心音や呼吸がよくきこえるように、その胸のあたりに赤ちゃんの耳をぴたっとくっつける。そうすることで、赤ちゃんは落ちついて眠ることができるという。あのカンガルーケアとおなじポーズだ。胸の上のそうすけがわたしの呼吸の動きにあわせてゆっくり上下する。おたがいの鼓動を感じながら息づかいやぬくもりをたしかめる。それがここちよくて、またうとうと眠ってしまいそうになる。