Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

12月28日、だっこのちから。(生後4日)

 ここまできたら退院するまで代筆してしまおうと、きょうもだんなが筆を、いや、キーボードをとります。かみさんめあての人がいたらごめんなさい。

 きのうの夜わたしが帰ったあと、そうすけはほぼ90分おきにおっぱいをほしがり、かみさんは一睡もできない状況でした。疲れが相当たまっているように見えました。それでもそうすけの表情やその変化をみると、それもたちまちふっとんでしまうそうです。わたしが病室に到着してかみさんが身支度をととのえているあいだに、そうすけが泣きだしました。こわごわながらわたしがあやすと、しばらくして泣きやみました。出産直後はまだなれなくて、だっこしてもちからかげんがわからずよわよわしく抱いていたけれど、子宮にいたころを思いださせるように、ぐっとつよめにだっこするのがいいそうです。

 かみさんが身支度をととのえている、というのも、17時すぎにかみさんのかよっている歯医者さんではたらいている歯科衛生士さんがお見舞いにきてくれるからです。彼女がきたとたん、そうすけがぱっと笑顔になったのでびっくりしました。彼女の声はすこし高くきよらかで、のびのある美しい声です。そうすけがおなかのなかにいるころから、かみさんはその歯科にかよっていてよく声をかけてもらっていたので、きっとそうすけもおぼえていたんでしょう。彼女にだっこしてもらうとますますごきげんになりました。まったく泣きもせず、おだやかな顔でちんまりしています。しかもお見送りの際にはじいーっと彼女を見つめているではありませんか。恋でもしているかのような目つきです。

 だっこの話にもどりますが、3歳までに親からたくさんだっこしてもらった子どもは、精神的にも安定して世の中に対しても安心感をもって歩んでいけるそうです。また、3歳までに親からいっぱい抱きしめてもらうと、精神的に早く成長をして親ばなれも早く、しっかり自立心が芽ばえるんだそうです。

 抱きグセがつくのでは、といった意見もあるようですが、わたしはそうすけをぎゅっと抱きしめつづけていこう、と、いまはつよく決意しています。

12月27日、授乳のコツ。(生後3日)

 赤ちゃんは夜型。なので夜中も当然1時間から2時間おきにおっぱいやおむつのとりかえをおねだりする。その負担はすべてママにかかる。そんなこんなできょうも、だんなの代筆でかみさんに協力をしてみたいと思います。

 土曜日で仕事も休みなので、面会時間がくるまでに散髪をしてホットヨガにも行ってきました。いつも髪を切ってもらっている理容師さんには、大学生と高校生の子どもがいるそうです。子どもが生まれた日のこと、産気づいた奥さんを病院に送って立ち会おうとしたら、看護師さんから、まだまだ産まれる気配はないですしお父さんはなんにもすることがないのでいったん帰ってくださいねー、といわれてくやしい思いをしたそうです。いっぽうヨガのスタッフさんからは、おめでとうございます、奥さん出産の前日までヨガをしていたんですよね、とあらためてびっくりされました。わたしもびっくりでした。

 病院に行くと、ちょうど授乳中でした。かみさんの話によると、1回あたりの授乳時間が1時間以上かかることもあるそうで、おっぱいを吸っている、というよりも、おっぱいであそばれている感覚なんだそうです。ちょうどその授乳のまっただなかに、助産師さんが状況をチェックしにやってきました。
「赤ちゃんの体温と黄だんを調べますね」
「ありがとうございます」
「授乳回数は順調ですか」
「おっぱいの回数は多いんですけど、1回にかかる時間も長いんです。いまも30分以上かかっているかも。どうしてかなあ」
それをきいた助産師さんはぴんときたようで、そうすけの乳首のくわえ方を見ながらアドバイスをくれました。アドバイスを要約すると、新生児はくちびるで吸うちからはよわく、それにくらべてあごのちからはつよい。ので、乳首の先っぽだけを赤ちゃんの口に含ませても、母乳をしっかりのむことはできないんだそうです。口が開いた瞬間に乳輪までがっとくわえさせるようにして、乳房に口を押しつけて乳首をふくませるといいらしい。そのとき、赤ちゃんの鼻とお母さんの胸のあいだにほんのちょっとすきまがあるくらいがちょうどいい。ここで大切なのが、お母さんの授乳する姿勢で、前かがみに赤ちゃんを包みこんだほうがのみやすく負担がかからない。背もたれに寄りかかった姿勢だと、乳首をくわえる深さがだんだん浅くなってしまう。乳房に張りを感じる部分があればその部分を指で押して母乳を押しだすようにすると、乳房に母乳がたまりにくい、ともアドバイスされました。助産師さんの説明をききながらお手本を見ると、思っていたより赤ちゃんを大胆にあつかってもよさそうです。

 授乳中に弟家族が見舞いにやってきました。弟は7歳年下ですが、すでに小学生の男の子がふたりいる先輩パパです。義理の妹は妊娠6か月。4月には3人の子どものお母さんになります。きょうは、次男坊を連れて見舞いにきました。次男は7歳。自分中心の生活がうばわれることをいやがって赤ちゃんがえりをしているところですが、そうすけをだっこしたとたん、お兄ちゃんになるのもまんざらではないかもしれない、と前向きになりはじめているようです。

12月26日、目に入れたい。(生後2日)

 仕事帰りに病院に寄りました。かみさんは昼下がりに病院の鍼灸サービスをうけてリラックスモードです。というわけで、代筆3日めのだんなです。

 夕方、かみさんの兄がお見舞いにきたそうです。お兄さんを見たそうすけはその瞬間、ぎゃんぎゃん泣きだしたらしい。あまりのぎゃん泣きに、お兄さんもただただびっくりするばかり。たった15分でいそいそと退散してしまったんだそうです。それもしかたがないかもしれないなあ。両親であるわたしたち以外でそばにいる看護師さんや助産師さんは、みんな女性です。知っている男性といえばわたしだけ。しかも、わたしの身長といえばアルゼンチンのサッカー選手のメッシ並みなので、身長180センチを超えるお兄さんはまさに未知との遭遇。スーツをきた異星人とかモンスターとかに見えたのかも。

 未知との遭遇におどろいたそうすけも、かみさんがだっこをすると見事にすぐ泣きやんだそうです。いっぱい泣いたせいなのか、わたしが病院にきたときにはまったく起きないほど疲れていました。いっぽうで、かみさんの母としての能力にはおどろくばかりです。きのうの体験ですが、わたしがそうすけをかまってもだっこしてもまったく泣きやまないなか、かみさんはその泣き方の微妙なちがいを感じて、うんちをチェックして、といったのです。においもしなければおむつにサインも出ていないので、わたしのあやし方がわるいのかなあ、とうたがっていたけれど。おむつを開いてみると、まさに新生児特有の緑色のうんちがびっしりついているではありませんか。母は母なんだなあ。

 またまた話はかわって、きょうのそうすけは、といったら。目もぱっちりと開いてきて、そのつぶらな瞳にもうめろめろになってしまいました。これが赤ちゃんの吸引力なんだなあ。目に入れても痛くないほどわが子はかわいいというけれど。痛くてもいいから本気で目に入れてしまいたくなる。それくらいかわいいものなんです、わが子って。親ばかで、ほんとうにすみません。

12月25日、メリークリスマス。(生後1日)

 出産から1日がすぎましたが、出産というものは男性の想像以上にたいへんハードです。体力の回復にはまだまだ時間がかかりそうで、きょうもだんなが代筆します。かみさんは元気にやっていますのでどうかご安心ください。

 きのうは会社を早退して病院に立ち寄り、半日ぶりにそうすけに会いに行きました。帰りぎわに目を開いてくれて、しっかり見つめあいました。きょうは仕事のあと、病院に行きました。かみさんの貧血を1日でも早く解消できるようにチョコレートをもっていきました。残念ながら、そうすけはちょうど部屋の外にいて助産師さんのマタニティケアをうけているタイミングでした。

 かみさんは昼間に、おむつのかえ方や授乳の仕方、沐浴のやり方や入院中のすごし方など、さまざまなオリエンテーションをうけていました。ぜんぶで1時間ほどの講義をうけていたそうですが、その1時間をベッドの外ですごすこと、歩いて廊下を移動すること、トイレに行くこと、などすべての行動がしんどくてたまらないようです。実際ベットのうえで姿勢を正すだけでも、つらそうにゆっくり動いています。傷口を縫合したところも、とても痛そうです。ようです、とか、そうです、と表現しているのは、そのしんどさを男性が体験することはできないからなのです。男が断言することは、できないのです。

 きょうは会社でいろいろな人から、お祝いのコトバをもらいました。女性、男性、未婚、既婚、子どもがいる、いない、たくさんの人から、質問も寄せられました。質問にこたえると、そうなんだよねー、と、うなずくベテランママや、ええっ、と、びっくりする独身女性や、無言でおどろく男性など、その反応もさまざまです。出産経験者の女性がいう共通点は、夫は出産において妻のかわりをなんにもできない、ということでした。奥さんにつきそって腰をもんでいるうちにうっかり寝てしまっただんな、長い出産時間についグチをこぼしただんな、夜遅く帰ってきたうえにバタンキューなだんな、などたくさんの怒りがうずまいていました。男と女のギャップを感じるクリスマスの夜でありました。

12月24日、イブの子誕生。(妊娠38週6日)

 「ママの体力も、だいぶなくなってきましたし、赤ちゃんも、いちばんせまいところに長時間いるので苦しそうです。なので、赤ちゃんが無事に出てこられるように、病院のスタッフがお手つだいしたいと思います」
助産師さんがていねいに説明してくれました。つまり、吸引分娩をします、ということになる。自然分娩はあきらめる、ということでもあります。子どものからだに影響が出てくるのはつらいし、かみさんのメンタルからいっても、帝王切開をしてほしい、麻酔を打ってほしい、と懇願するようになってきているのでこの選択には納得できる。病院の提案を受け入れることにしました。

 数分後、助産師がひとり、医師がふたり入ってきました。医師のひとりはマンガ「コウノドリ」に出てきそうな若い男性でした。彼は麻酔も担当し、子宮口をひろげる機器もあつかっていました。シュッ、と緑の手袋をはめたときの表情と視線に、まさにプロフェッショナルを感じました。さいごの内診と機器のとりつけは彼が行い、かみさんのさいごの悲鳴が病室にひびきました。

 ほんの数分のあいだに、トイレのつまりをとりのぞくラバーカップのような器具に、そうすけの頭が吸いついて、かみさんのM字開脚越しに出てくるのが見えました。かみさんが、痛いー、いやだー、とあばれるため、わたしが両手を握りしめておさえなければならず、そうすけの出産の瞬間を動画におさめることはできませんでした。12月24日0時15分。そうすけは、天皇の誕生日ではなく、クリスマスイブを選びました。イブの子を選んだのだなあ。

 ついに、生まれました。生まれたばかりのそうすけを、カンガルーケアしているあいだに「コウノドリ」に出てきそうな若い男性の医師は胎盤を子宮からとりだし、傷口を縫合しました。かみさんの顔はまたもやこわばっていましたが、プロフェッショナルは紳士的に、そしてスピーディーに、ムダなく産後の対処をしていきました。

 そうすけがカンガルーケアになれてくると、助産師さんが、ではおっぱいをあげましょう、と、そうすけの口にかみさんの乳首をつっこみました。まだ意志をもって吸っているという感じではないけれど、すこしずつ母乳をのんでいるように見えました。そうすけの体重、身長、体調がすみやかに計測され、体重2630グラム、身長46.5センチ、ぺーハー正常、肝機能正常の元気な子であることが認められました。総出産時間は胎盤の摘出時間までカウントされるので、23日の14時の陣痛からはじまったこの出産は、10時間19分かかった、ということになりました。長かったような、短かったような。

 吸引分娩で、かつ、小さな子宮筋腫がたくさんあるかみさんは、お産による出血もかなりありました。1300ccあまり出血、500cc以上の出血があるお産は、大量出血したお産と判断されるそうです。まずは貧血状態を回復するため、数本の点滴を同時にはじめました。点滴をしながら、かみさんに夕食がとどけられ、深夜の晩餐がはじまりました。出産中は、ゼリー飲料をふたつとスポーツドリンクを500ミリリットルのペットボトルに1本しか口に入れていなかったので、深夜2時すぎにもかかわらず、かみさんはものすごいいきおいでたべはじめました。見たことのないエナジーがみなぎっていました。

 その後、分娩室のあとかたづけと入院ベットの手配をする助産師さんのかたわら、そうすけと、かみさんと、一家三人ですごす、はじめての夜を味わっていました。かみさんとの話が盛りあがると、そうすけはかまってくれと泣きだす。そうすけをあやすと泣きやんで、またかみさんと話すと、そうすけが泣きだす、というサイクルを、なんども、なんども、繰りかえしていました。

 点滴が終わって、これから入院する部屋まで荷物をもって移動して、部屋をととのえ、そうすけとかみさんを寝かせて、病院を出たのは午前4時でした。家にもどって、おとといかみさんがつくった手料理をつまみながら、缶ビール2本をのみほしました。真夏のゴルフやホットヨガのあとのビールをしのぐうまさとここちよさがのどをつたわっていったことは、いうまでもありません。

12月23日、その日はやってきた。(妊娠38週5日)

 きょうはひさしぶりに、だんなのわたしが代筆します。それは、今年さいごの国民の祝日である天皇の誕生日を記念して、ではありません。その日がいきなりやってきて、いまかみさんは日記を書くどころではないからなのであります。その日とは。そう、出産です。きのうの夜は、わたしがはたらく会社の社長に入院する病院の保証人になってもらい印鑑を押した紙をわたし、かみさんの手料理をたべて、酔いのまわったわたしは先にベッドに入りました。

「あーーーーーー。出血してるーーーーーー」
と、とおくから声がきこえてめざめました。時計の針は、6時20分を指していました。あわててトイレへかけよると、たしかに出血でした。これが、おしるしってやつなのか。マタニティブックを開いて見ると、まさにおしるしであることがわかりました。念のため病院へ電話をしたところ、すこし様子をみてくださいとのこと。そこでマタニティブックに書かれていたとおり、風呂へ入るように提案してみました。おしるしのあと陣痛がくるまでには時間的にすこしゆとりがあるので、風呂に入ってからだをきれいにしながら、しっかりあたためてリラックスしよう、というわけです。けっきょく、これが夫婦ふたりでのさいごの晩餐につづく夫婦ふたりでのさいごの風呂になりました。

先に風呂を出たわたしが、身支度をととのえていたとき、
「ぎゃーーーーーー」
と、絶叫マシンにのっているような叫び声が脱衣所にひびきました。あわててかけよると、かみさんがかなりの量の出血をしていました。時刻は8時。ふたたび病院に連絡をしたら、検査にきてください、とのこと。すぐに電話をかけてマタニティタクシーをよびました。入院の準備が入ったスーツケースをとりだしてスタンバイ、8時20分にタクシーが到着すると、防水シートを敷いた席にのって病院へ向かいました。祝日の朝だからか道路も空いていて、約20分で病院に到着、救急の窓口で受付を済ませて産科病棟へと向かいました。すぐに尿検査をして3分くらい待つと、看護師の女性から、破水してますね、といわれました。マタニティブックの知識が満載のわたしは、おしるしから破水までが早すぎるんじゃないのかな、と感じました。とにかく分娩準備室へ入ることになりました。時刻は10時30分。入院患者への面会時間は14時から20時までのルールだとのこと。わたしはいったん家にもどることにしました。

 きょうが祝日で、ほんとうによかった。14時に病院へ行く前に、病院からちょうど徒歩10分のところにある会社へ寄り、あした以降の段取りのメールを仲間に送ってから病院へ向かいました。あまいものがだいすきなかみさんには、出産の途中で口にできそうな人気店のたい焼きを買っていきました。

病院に着くと、すでに、かみさんは苦しがっていました。
「たい焼き、たべる?」
ときいても、あーーー、とうなっていました。そばにいた看護師さんから、もう陣痛に入っていますよ、と説明をうけて、いよいよ出産というイベントの幕が切られました。義理の兄もすぐにきましたが、看護師さんから、出産まであと15時間くらいが平均です、といわれて、家の引越しも重なっている義理の兄には、また電話をします、と話してもどっていただくことにしました。

 それからはずっと、苦しそうにうなっているかみさんの腰を会社の後輩から教えてもらった、テニスボールもみ、でやわらげる、わたしにはそれしかすることがなく2時間がすぎていきました。途中でおなかの張りと胎児の心拍数を計測するパットを仕込む数分間以外は、無心でもみつづけました。時計の針が16時30分をすぎたところで、いよいよ決断の瞬間がやってきました。
「では、分娩室に行きましょう」
えっ。出産イベントがはじまって2時間30分。もう分娩室に行くなんて超スピード出産じゃないの。これなら、もみ作業からすぐに解放されそう。

 分娩室に入ると、テレビでよく見るような分娩台ではなく、ふつうのベットにちょっとアタッチメントをくわえたベットと、そばに水中出産できる浴槽が設置されていました。この病院は都内でも有数のスパルタ出産だといわれているけれど、出産方法はフリースタイルという概念をもっていて、妊婦さんがここちよい姿勢で自然分娩ができるようにあらゆる工夫をしているようでした。

 分娩というと、椅子に座って足をひろげる器械に足をのせてするイメージだと思っていましたが、かみさんは横向きになって陣痛にのぞみました。いままでにないうなり声をあげながら苦しんでいるかみさんの腰をもみつづけて、1時間30分。18時、いよいよ子宮口が全開しました。助産婦さんから、高齢で初産なのにすごく早いペースですねえ、とほめられてニンマリ。かみさんは苦しみのまっただなかでほとんど反応できなかったけれど、ヨガできたえたかいがあったね、と話しかけると、ほんのすこしほほえんでくれました。やったあ。これでほんとうに、もみ地獄から解放される。もうすぐ終わるんだ。

その状況が6時間以上もつづくとは、だれにも予想できませんでした。
「ぎゃーーーーーー」
かみさんの叫びで、第二幕がはじまりました。子宮口が全開、胎児の状態を調べるため産科医の先生が内診をしたときの叫び声でした。内診とは、産科医が子宮口をひろげて内部に触診をするものですが、かみさんをはじめ妊婦さんのほとんどがこれをいやがっているらしい。検診時に内診がきっかけで痛みや出血を起こすこともまれではないらしくとてもつらいものなんだそうです。
「ごめんなさい」
「すみません」
「やめてください」
悲痛なかみさんの叫び声が、なんども分娩室にひびきました。それからというもの、周期的にやってくる陣痛に対して、いきんでも、いきんでも、助産師の手が子宮口に近づく気配を感じると、かみさんは身をよじってそれを拒否するようになりました。またその萎えてしまった気力は、陣痛そのもののつよさも急速にうばっていきました。これまでの、スピーディー出産、というイベントが進行していた要因はかみさんの強靭な陣痛力にあったのに、その推進力をなくしてしまったのです。ジェット機の片側のエンジンがとまったように。

 横向きの姿勢、四つんばいの姿勢、あお向けの姿勢、と、さまざまな姿勢をためすもラストのわずか数センチがどうにもとおいものとなりました。21時をすぎると、助産師さんがひんぱんに分娩室を出入りするようになってきました。どうやら産科医の先生と相談をしているようです。スパルタ出産で知られるこの病院は、できるかぎり自然分娩をしてもらうことが母子ともによい経過となる、という強い理念があります。そんななかで苦渋の決断がされました。産科医の先生から、陣痛も弱くなり間隔も開いてきたので陣痛促進剤をつかいましょう、という提案でした。その表情から、ほんとうに苦渋の選択をしたのだという気もちが伝わってきました。選択肢を受け入れることにしました。

 22時から陣痛促進剤を入れはじめ、数値が60から、最終的には120という数値まであがりました。23時30分。陣痛促進剤をつかって、つよさでは効果が出ましたが間隔的にはそれほど効きめがなく、姿勢を和式トイレに座るようなスタイルにかえました。助産師さんから、じょうずですよ、と明るい声がかけられましたが、それでもゴールはほんとうにまだまだ先でした。

 助産師さんが、決意の表情で分娩室を出て行きました。ちょうど時計の針は12月23日に終わりを告げているところでした。クリスマスイブです。

12月22日、予定日まで10日。(妊娠38週4日)

 予定日まであと10日。まだ生まれそうな気配は感じられないが、そうすけの存在は日に日にましてきているようだ。きょうもそうすけのしゃっくりで目が覚めた。ひくっ、ひくっ、と、こだまするように、からだじゅうを大きな波がかけめぐる。わたしはこの、ひくっ、ひくっ、という動きがニガテだ。下半身が、こそばゆくて、くすぐったくて。ややややめてくれええ、と、さけびたくなる。ヨガでポーズをとっているときにいきなりしゃっくりがはじまることもよくある。集中力がきたえられるいいチャンスだ、と思うことにしよう。

 きょうは、冬至。いつもの冬至とはちがう、朔旦冬至(さくたんとうじ)とよばれる特別な日なんだそうだ。朔は、新月の意味。旦は、朝や夜明け、太陽がのぼってくるとき、という意味。朔旦冬至は新月と冬至がかさなる日のことで、19年に1度しかやってこない。しかも、2014年のつぎにくる朔旦冬至は19年後ではなく、38年後の2052年になるといわれる。なんて貴重な機会だろう。太陽と月の復活の日でもある朔旦冬至は、たいへんおめでたい、といわれている。便乗してお祝いしちゃおう。ヨガの帰りにデパ地下をぶらぶらする。ちょうどクリスマス前ということもあって、パーティー向けの食材がいろいろ充実している。鶏のもも焼きに、だんながすきなポテトサラダに、トマトとオニオンのサラダもおいしそうだな。ふと近くを見ると、きのうブラッスリーでたべただいすきなバターがおいてある。これは買うしかないでしょう。焼きたてのバゲットもゲット、ほくほくしながら家にもどった。夜が待ちどおしい。

 ちょうどポテトサラダができたところで、だんなが帰ってきた。タイミングがいいなあ。だんなはビール、わたしはジンジャーエールでカンパイする。ところで、きょうはなんのお祝いをするんだったっけ。19年ぶりの朔旦冬至おめでとうになるのかな、出産予定日まであと10日記念になるのかな。どっちもおめでたいことだから、どっちもお祝いしてしまおう。おいしいものだけでなく、おもしろいことにも目がないふたり。なんどもカンパイしていた。

12月21日、たのしむ気もち。(妊娠38週3日)

「お昼、どこにする」
「おいしいパンが、たべたいなあ」
「パン」
「なんか無性にたべたくて」
午前のヨガに参加して、だんなとぶらぶらランチに出かける。あんまり汗は出なかったけれど、ぽかぽかあたたまったからだに、外気がひんやりして気もちがいい。銀座の歩行者天国をとおって丸の内へ向かった。パンがおいしいと評判のブラッスリーがある。ちょうどランチに間にあうタイミングだ。人気のお店だからちょっと待つかもなあ。でも、たべたい気もちがあればなんのその。
「いらっしゃいませ」
「どのくらい待ちますか?」
「うーん、そうですね…早くても30分はかかるかと」
「わかりました」
受付のシートに名前を書いて順番を待つ。おいしいものには目がないふたりだもの、なんのこれしき。30分ほど時間があるので、店の近くを歩いて待つことにした。このあたりはほかにもおいしいと評判の店がいくつかある。どの店にも、たくさんのお客さんがならんで順番を待っていた。みんなのランチにかけるあつい思いをひしひしと感じる。生きるパワーが目にあふれている。

 店にもどってみると、わたしたちよりも前にきていた家族がまだ順番を待っていた。この様子であれば、あと15分から20分はかかるだろう。2歳くらいの女の子をだっこしたお父さんが、さっき見たときとおなじ体勢でにこにこしながら女の子をあやしていた。すごい忍耐力だよなあ。というよりも、待つという状況を子どもといっしょにたのしんでいる。なんてステキな親子だろう。
「あんなふうに待てるかな」
「どうだろう。でも、すごくいいね」
待つだけではなく待つことをたのしむ気もちがあるからこそ、ハッピーになるんだ。どんなこともたのしむ気もちをもつことで毎日をよりよくできる。

12月20日、ゆるゆるの冬。(妊娠38週2日)

 さむい日がつづいている。朝風呂でゆっくりあたたまって、午後1時からのマタニティヨガへ。受付で、インストラクターさんに声をかけられた。
「あれっ。予定日いつでしたっけ」
「来年の元旦です」
「うわー、もうすぐですね」
「きのう妊娠健診に行ったんですよ。いまのところ順調みたい」
「そう、よかったー。ムリしないようにね」
「ありがとうございます」
「きょう予定日の人もいらっしゃって。あれ、きょうはお休みかなあ」
「すごい、いつもどおりつづけているんだ」
「3日前にもいらしてたんですよ。早く産みたーいって」
「積極的ですねえ」
「うん、もうおなかが重くってしんどくなってきちゃったって」
「あはは、わかるわー、そのカンジ」
きのうの内診から、おしるしがゆるゆるつづいている。子宮口は指2本分ほど開いているといわれた。下半身がビミョーにゆるまっている感覚がある。いつ変化がきてもいいように心づもりしておいてください、と医師からアドバイスをもらっている。それでも出産までには、まだ時間がかかりそうだ。この状態と向きあいながら年越しするんだ、と思うと、気もちがなえそうになる。自分で出産日を決める、という選択肢もあるが選ばなかった。そうすけが生まれたい日を選んで生まれてきてくれたらいい。とはいえ、ずっとおなかのなかに居座りつづけるのもこまるけれど。年末になるのかな、年始になるのかな。

 ヨガのあと、鍼灸マッサージへ。むくみ対策をする。こんな時期こそ、むくみとはじょうずにつきあいたい。気づいたときにメンテナンス。からだもこころもかろやかに、鼻歌まじりで家路についた。帰りにスーパーで晩ごはんの食材を買う。きょうは、牡蠣とレタスのしゃぶ鍋にしよう。だんなとゆっくりふたりで鍋をつつく冬もこれがさいごだな。と思うと、感慨深い気もちになる。

12月19日、ストレステスト?(妊娠38週1日)

 午後1時15分、日赤医療センターの妊婦検診に急いだ。出がけに宅配便のやりとりをしていたら、ぎりぎりになってしまった。ペンギンのような小走りで、急ぐ、急ぐ。師走の季節、急いでいる人が多いのでぶつからないように気をつけねば。1Fロビーで受付を済ませて採血に向かった。が、きょうは採血をしなくてもいい、といわれた。甲状腺ホルモンはもう気にしなくてもいい、ということだろうか。あとで医師にきいてみよう。血液と体重をはかり、検尿を提出する。そのままNSTルームへ移動してノンストレステストをうける。

 きょうは、前回や前々回にくらべてテストに時間をかけている。分娩監視装置から、赤ちゃんの心音とおなかの張りを記録したグラフが出ている。前回の2倍以上の長さはかかっているだろうか。そうすけは動いている。なのに検査はつづいている。なにかあったのだろうか。だんだん不安になってきた。
「あの、すみません」
助産師さんに、声をかけた。
「前回よりも時間がかかっていますが、なにかありますか」
「心拍がね、ときどき、低下しているんです」
「心拍が低下」
「はい、その原因をいま探っています」
あたまのなかが真っ白になった。いま、なんていわれたんだっけ。心拍が低下している。低下したけど、動いている。動いているから、だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、きっと。胸のなかをきいたばかりのコトバがぴゅんぴゅん飛びかっている。首にちからが入らない。と、助産師さんが声をかけてくれた。
「だいじょうぶですよ、いま調べますからね」
「不安で、不安で。どうしたらいいんでしょうねえ」
底なしの不安に苦笑せずにはいられない。
「もうしばらく、はかってみましょう」
「はい」
からだの右側を下にしたり、左側を下にしたり、姿勢をかえてリラックスしながらしばらくテストをつづけた。もちろんリラックスなんかできないが。
「ああ、やっぱり。へその緒をふんでいるからかも」
「へその緒をふんでいるから、ですか」
「元気がいい証拠ですよ」
「元気よくふんでいるカンジですかね」
医師もおなじ判断をしていたので、ほっとした。そうすけがへその緒をふんでいる。どんなポーズをしているのだろう。経腹エコー検査をしてあらためて確認をする。いつものように、あたまは下、胴体は左側、足は右側にある。
「ああ、よかった」
「とっても元気ですよ。安心してくださいね」
先生にそういわれてほっとした。ほっとしたら、毒舌になってしまった。
「もう。ノンストレステストでストレスたまっちゃいましたよー」
「ホントすみません。でも、ちゃんと調べておかないと、ね」
よかった、よかった。そうすけの体重は2689グラムになっていた。念願の2500グラムを超えて、こちらもほっとした。これからもマイペースでいいから、のびのび大きくなってほしいなあ。いつでも心づもりをして待っているよ。へその緒をふんだらびっくりするから、ふまないように気をつけようね。