Diary

にんしん日記

44歳で妊娠、45歳で出産した神戸 海知代の妊娠・出産・子育てせきらら体験記。
妊娠を知った2014年6月6日からまる1年、1日も休まずつづった記録です。

4月7日、そうすけ先生。(生後104日)

 そうすけは、1日に7、8回うんちをする。便秘のわたしからすれば、うらやましいかぎりだ。ちょっと回数が多すぎるんじゃないかなと気になることもあるけれど、個人差の範疇なので気にしないでもいいそうだ。ちなみにママ友の赤ちゃんは、2日に1回のペースらしい。便秘にならないかといつも心配していると話していた。うんちの回数や状態は、赤ちゃんによってこんなに差があるわけだ。生後3か月くらいまでのあいだには、水っぽいうんちが1日になんども見られてもだいじょうぶ。母乳で育つ赤ちゃんのほうが、ミルクで育つ赤ちゃんよりもうんちがやわらかく回数も多くなる。うんちが水っぽくなってもそれだけを心配しないで、きげんや食欲など全体で判断したほうがいい。

 そうすけはよく、おっぱいをのみながらうんちをする。その瞬間ふっと動きがとまるので、大概すぐにわかる。のむならのむ、出すなら出す、どっちかにすればいいのに。いつもいつもいそがしそうだ。ふんばるとき、そうすけは上目づかいでわたしを見ながらうんちをする。その目は、ほんとうにすみません、とでもいいたげだ。その瞬間があまりにいじらしいので、ぎゅうっと抱きしめたくなってしまう。おっぱいのあとにおむつをかえていると、こんどはいきなり悪魔に変身する。新しいおむつをつけたとたん、待ってましたとばかりにぶりぶりうんちをするのだ。つづきがあったとは。これ、わざとしてるんじゃないの。わたしがあわてるのを見て、してやったり、と満面の笑顔になる。

 うんちがただの排泄物ではなくコミュニケーションツールにもなるんだということを、そうすけに教えてもらってはじめて知った。親になってはじめて知ったことが、いくつもある。お食い初めの儀式もそのひとつだ。一生たべることにこまりませんように、という願いがこめられている。満一歳の誕生日を迎えたときにも、一升餅とよばれる餅を背負わせる儀式があるらしい。一升と一生とをかけていて、一生たべものにこまらないように、という意味がこめられている。一生ぶんの重みを学ぶ、という意味から、立って歩いてしまった場合にはわざと転ばせることさえあるらしい。一升ぶんのお餅を背負って歩いたり転んだりするのはしんどそうだが、あたりまえの儀式になっているからおもしろい。

4月6日、つよい、つよい。(生後103日)

 まだ声が出ない。朝7時がくるとすぐ近くの内科にウェブ予約を入れた。のどの痛みも鼻水も、ずいぶんよくなった。あとは声だけだ。声が出なくなってから1週間がすぎている。そうすけに歌をうたってあげることも、話しかけることも、本を読んであげることもできない。とはいえ、じっとだまっていられない性質なので、しわがれ声でうたいまくっているのだが。音程がとれないぶん、ラップのようにきこえる。しばらくはこれで、がまん、がまんだ。

「こんにちは」
「どれどれ、のどを診ましょう。奥のほうにまだ炎症がありますね」
ちゃんと声が出るようになるまでには、まだ時間がかかりそうだ。7日ぶんの薬をもらって、ひきつづき様子をみることになった。しっかり治るまで待とう。
「赤ちゃんに、かぜの症状はありますか」
「鼻水も、せきも、出てないですね」
「うつらなくて、よかったねえ」
ほんとうだ。つよいぞ、そうすけ。こんなにしつこいかぜにも、そうすけはびくともしなかった。この調子なら保育園で熱を出してよばれることもないだろうとさえ思えてくる。すでに保育園デビューしたママ友は、たった2日あずけただけでかぜをもらってきた、と話していた。やっぱりたいへんそうだ。

 帰りにスーパーへ寄って、晩ごはんの食材を買った。そうすけは食料品の売り場がだいすきだ。なかでも、肉と冷凍食品のコーナーにやってくると、おめあての食材を見つけた主婦のように目をきらきらさせている。肉の赤い色や冷凍食品のパッケージのデザインが気になるのだろうか。残念ながら、まだたべることができないので、見てたのしむだけだが。近い将来、もりもりお肉をたべているのだろうか。おっぱいをのんでいる顔からは想像できないけれど。

 スーパーを出て目黒川沿いをベビーカーでカタカタすすみながら、花がほとんど散った桜をながめる。もう目の前に、つぎの季節がやってきている。

4月5日、くちびるの誘惑。(生後102日)

 きのうのお食い初めがよっぽどたのしかったのだろうか、そうすけは家に帰ってからもずっとテンションが高めのまんまだ。メリーの音楽にあわせて歌をうたう、うたう。うたうといっても、ああ、とか、うう、とか、おう、とか、うなっているだけなのだが。まるで犬の遠吠えみたいだ。そうすけのシャウトにあわせてだんなも、歌をうたう、うたう。かぜがなおりきらず声の出ないわたしは、ふたりがうらやましくてしかたがない。いいもんね、声が出るようになったら3倍うたってやるんだ。だんながこんどは、絵本をとりだした。そうすけに読んできかせるつもりらしい。う、うらやましい。声が出るってこんなに大切なことだったんだとまたまた実感。のどのかぜをあまく見てはいけない。

 お食い初めを体験してもうひとつ進化したことがある。朝ごはんをたべているとそうすけが泣きだしたので、だんながベビーベッドから食卓に連れてきた。膝の上にすわらせるといつものように泣きやんだが、いつになく目がきらきらしている。好奇心をむきだしにして向かいにすわっているわたしを見ているではないか。いや、わたしではなく、わたしのくちびるだ。手でちぎったパンを口に入れる様子を見ているのだ。ついこの前までは、ふーん、とでもいいたげな顔をしていたのに。ウインクで合図しながら、パンを口に運ぶ。あー、と声が出る。ほらね、おとなってたのしそうでしょう。こんどはだんながビールをのむ様子を下から仰ぎ見ている。それをのむには、あと20年ほど待たないとね。

 実際に離乳食をはじめるタイミングは、まだまだ先だ。これには目安がいくつかあるそうで、たとえば厚生労働省が作成した授乳・離乳の支援ガイドによると「離乳の開始とは、なめらかにすりつぶした状態のたべものをはじめてあたえたときをいう。その時期は生後5、6か月ごろが適当である」とある。いったん離乳食をはじめたら、365日休みなく赤ちゃんのためのごはんをつくる生活が待っている。お母さんにも、それなりの覚悟が必要になるわけだ。

4月4日、お食い初め。(生後101日)

 お食い初めという儀式があることを、いままでわたしは知らなかった。ちょうど生後100日ほど経った時期に、子どもが一生たべものにこまることがないようにと祈願をする。生後100日めにかぎらず、110日めだったり、120日めだったりするところもあるらしいが、多くの家庭では区切りのいい生後100日めを目安にいい日を選んで行っているようだ。ちょうどそうすけは、きのう生後100日めをむかえ、きょうが大安でだんなの仕事も休みだったので、そうすけのお食い初めの日をきょうに決めた。儀式の内容がよくわからず、またいろいろと準備をするのがめんどうなこともあって、目黒雅叙園でお食い初めのランチコースをとることにした。2か月ほど前に、だんなが予約をしてくれた。

 きのうの夜から、そうすけはなんどもぐずっていた。なにかのきざしでも感じていたのだろうか。夜から朝にかけて4度もおっぱいをのんだ。ぱっちり目を覚まして、まったく眠る気配が見られないので、朝6時、いっしょに風呂に入ることにした。風呂あがりにだんながミルクを50ccあげると、ようやく眠りに落ちた。わたしもうとうとしていたら、出かける時間まであと30分に迫ってしまった。そうすけも、だんなも、すでに着がえて待っている。あわててメイクをして妊娠前に買ったよそゆきのワンピースに着がえて出発した。

 予定時間のすこし前に目黒雅叙園に着いた。きれいな着物と桜のディスプレイや手入れのゆきとどいた庭に、眠気もふっとんでしまった。予約をした座敷懐石の店の前で、そうすけくんいらっしゃいませーと、これまたすてきな仲居さんがお出迎えをしてくれた。15畳ほどの広い個室に案内された。いいお部屋がとれてよかったね。そうすけ用の座布団も置いてある。くつろぎやすいように、とブランケットもある。そうすけは、きゃっきゃっとはしゃいでいる。仲居さんも自分の孫のようにそうすけをかわいがってくれた。

 だんなはビール、わたしはジンジャーエールで乾杯。数分後、待ちに待ったお食い初めのお膳が運ばれてきた。赤い漆器で高足の御膳に、子どもの成長を願うさまざまな想いをこめたたべものがならんでいる。赤飯、汁物、焚き物に、香の物に。膳のまんなかに、手のひらにちょこんとのるくらいの大きさの石が置いてある。歯固め石、とよばれるもので、小石のような硬いものでもたべられるほどじょうぶな歯が生えますように、という願いがこめられている。その石に、ちょん、ちょん、と2度箸をあわせて、まずは焼き鯛の身をつまんで、そうすけの口もとに添える。また石に2度箸をあわせて、こんどはお吸い物のハマグリをつまんでそうすけの口もとに添える。さらに野菜のお煮しめや、アワビの煮貝や、赤飯などを、そのたびに石に2度箸をあわせてはつまんで口もとに添えていく。そのたびに、そうすけはぺろっと口をなめていた。

 儀式がひととおり終わると、だんなも、わたしも、懐石のフルコースをいただいた。コースをいただきながら、もってきたデジタルカメラで何枚も写真を撮りまくっていた。そうすけ以上にわたしたちも大はしゃぎしている。そうすけも満足したのだろうか、締めのデザートが出たころにはタオルを敷いた座布団の上で手も足も大の字にひろげてぐっすり眠っていた。きょうはたべるまねをしていただけだったけれど、夢のなかでは、おいしいごはんをもりもりたべているのだろうか。目をつぶったまま、口をもぐもぐ動かしていた。

4月3日、母乳外来。(生後100日)

 午前10時に日赤医療センターへ。母乳外来を受けにいく。保育園に入園するまで1か月をきったので、おっぱいのコンディションをととのえておこうと思ったのだ。あいにく、まだ声が出ない。声を出そうとすると、せきが出てくる。今年のかぜはしつこいなあ。のどへのダメージをおさえるため、助産師さんにききたいことを1枚の紙に書きだした。これを見ながら話せばシンプルだし、すすめやすいだろう。受付をすませると、母乳外来の部屋へ。

「こんにちは」
「よろしくおねがいします。あ、こんな声で、すみません」
ベテランの助産師さんが対応してくれた。テキパキとたのもしい。さっそく紙をひろげて質問をする。質問は4つ。最初に、そうすけの体重を測った。
「まずは、はだかで測って。つぎに、服を着せて測ろうね」
「あ、うんちしてる」
だいたいこういう大事なときにかぎって、立派なうんちをする。急いでおしりをふいて、はだかにする。スケールにのせると、そうすけが動いて数字がなかなか定まらない。6090、と助産師さんがメモを書いた。体重6090グラムです、と教えてくれた。とうとう6キロ台だ。いまから、おなかのなかにもどろうとしてもムリだね。もどりたいとは、いわないだろうけど。
「服を着せて測って。おっぱいをのませて、また測ります」
「授乳の量をチェックするんですね」
そうすけにおっぱいをあげているあいだ、質問を確認する。質問1、保育園にかようようになったら、昼間はミルク、夜から朝にかけては母乳のリズムにかわるけれど、乳腺炎を防ぐにはどう気をつければいいか。これには、搾乳のタイミングで対応することになる。朝は出かけるぎりぎりまで、そうすけにおっぱいをあげて、12時、15時、18時、と3時間めどで搾乳をするのがのぞましい。仕事場に授乳室がない場合、医務室や会議室を利用して搾乳する人が多いらしい。トイレは不衛生なのでなるべく避けたい。医務室に冷蔵庫があれば、落ちついて搾乳できるし冷凍保存もできるから理想的だ。質問2、昼間もたとえ1回ぶんでも搾乳した母乳をあげたほうがいいか。あげたほうがだんぜんいいです、とのこと。ミルクは母乳をめざしてつくっている。母乳は最強のごはんなのだ。質問3、じょうずな搾乳の方法が知りたい。乳輪の境目あたりに指を垂直に差しこむように入れて押すように、ぎゅうっと搾る。この差しこみ方がポイントらしい。そうすけがおっぱいをのんだあとに、実践してみることになった。質問4、そうすけに歯が生えてきているようだが、痛くならないように母乳はのませられるか。これは心配しなくてもだいじょうぶ。もともと痛くならないようにのむ方法を、赤ちゃんは身につけているらしい。もし噛まれて痛かったらなんらかのメッセージがあると考えたほうがいい、とのこと。これも、いのちのしくみのひとつだろう。

 そうすけは外でおっぱいをのむのになれていないからか、なんども乳首を口から出してしまう。それでも45分くらいはねばってなんとかのませて、体重を測ってみた。65グラム増。思ったよりもすくない。でも、これで標準の範囲内だそうだ。もっと、ぐっと、乳首をくわえこむようにしてみましょう、といわれてためしてみる。そこでわかったのだが、そうすけはくちびるのかたちがくわえこむには適していないらしい。上品なのみ方が似合うのかもしれない。回数を多めにあげましょう、とアドバイスをもらった。まだまだ、寝不足はつづく。

4月2日、よゆうの笑顔。(生後99日)

 ひと雨ふった翌日には、もう葉桜の季節がはじまっていた。自然はこんなにもあっさりと、かわってしまう。そうすけの成長を見のがさないように気をつけなさい。と、どこからか声がきこえてくるようだ。いつもいつのまにか、つぎのステップがはじまっている。そして気づくたびに、あわてている。ふりかえるだけでは意味がない。あしたのことを意識してすごそうと、自分にいいきかせているのだが。来年のいまごろは、どんな気もちで花見をしているのだろう。

 きょうの午後もおさんぽをしたが、そうすけの顔にはおとといのような感動の表情は見られない。えっ、もう桜並木の景色になれちゃったんだ。行きかう人のほうに興味があるようだ。ところどころでベビーカーをとめて、写真をぱちりぱちり。そうすけはリラックスしている。どうやら、カメラ撮影にもすっかりなれてしまったみたいだ。まだ生後3か月の赤ちゃんが、生まれたばかりのころにはなんにでもびくびくしていたあの赤ちゃんが、これほどまでになるなんて。

 遅めのランチをたべようと、ベビーカーで入れるレストランを探した。事前に調べておけば、よかったなあ。けっきょく、先日とおなじ焼きたてのパンがたべ放題の店に入ることにした。こんにちはーと、ウエイトレスさんがそうすけに話しかける。にかっと、満面の笑みでこたえる。かわいいーと声をあげて、うっとりするウエイトレスさん。そうすけさんたら、よゆうの笑顔ですな。もしかして店にもなれちゃったのかな。常連のつもりだったりするのかも。

 昼ごはんをたべている途中で、そうすけと目が合った。パンをちぎって口に入れている様子を、じっと観察している。おいしいよーと、ゆっくり話しかけながら口に入れると、ふーんと、いいたげな表情を見せた。そして、パンではなく自分のげんこつをおいしそうにしゃぶっている。歯の存在が気になるのか、パンを口に入れてみたいのか。ほんとうの理由はわからないが、食事というものに興味をもちはじめたのはまちがいない。離乳食はまだまだ先だが。

4月1日、生えてきたかも。(生後98日)

 その日は、いきなりやってきた。おっぱいをあげているときに突然、強烈な痛みがわたしの乳首をおそったのである。見ると、なんと、そうすけの下の歯ぐきから歯が生えているではないか。ちょこんとのぞいたちっちゃな白い歯は、おっぱいをあげるときはニクいやつだが、にかっと笑ったときはかわいくてたまらない。あと2日で生後100日めでお食い初めをむかえるが、まさかこんなに早く歯が生えてくるとは。その成長の早さにおどろくばかりだ。

 という、エイプリルフールのジョークはさておき。このところ、そうすけが右手をしょっちゅう口のなかに入れるので、気になっていた。おっぱいをほしがっているのかおしゃぶりをしているのだろう、と、はじめのうちは思っていたけれど、授乳のすぐあとにも右手を口のなかにつっこんでぐりぐりしているではないか。そうすけをだっこしてげっぷを出そうとしているときに、背中をそらせながら大きなあくびをした瞬間を、だんなは見のがさなかった。
「おおっ、うっすら歯が見える」
なんと、上の歯ぐきにも下の歯ぐきにも、白い歯が透けて見えている。どのくらいで出てくるのかはわからないが、たしかにある。おそらく口のなかがもぞもぞするので、しきりに手をつっこんでいたのだろう。ほかにも見ていると、舌をぐるぐる動かしながら口じゅうをなめまわしている。よだれも以前はカニさんよだれだったのが、ほほをべたべたぬらすほど唾液の量がふえてきた。

 歯が生えると離乳食だってたべられるようになるし、よろこばしいことだとはもちろん思うけれど。授乳中に噛まれたときの痛みを想像すると、こわくてなんとかして逃れたい気もちもわいてくる。歯が生えたら生えたで歯みがきを教えるのがひと苦労なんだよと、きいたこともある。そういった新しい課題も、これからつぎからつぎへとやってくるだろう。成長は予想を超えたタイミングでやってくるのだ。うれしいようなうれしくないような、ビミョーな気分だ。

3月31日、お花見さんぽ。(生後97日)

 目黒川沿いの桜が満開だ。そうすけといっしょに、見に行こう。あいかわらず声は出ないが、のどの痛みはずいぶん治まった。せきが出ないように、のど飴をたくさんカバンに入れた。おむつに、おしりふきに、ごみを入れる袋に、そうだフェイスタオルも2枚もっていこう。そして、あたたかくなったらやってみたいと思っていたこと。そうすけとおそろいのパーカーを着る。ほんとうは、だんなとペアルックのそうすけが見てみたいと思っていたのだが、お先に体験してしまおう。そうすけがすきなパイル地の素材は肌に吸いつくようになめらかで、風にあたるとひんやりして気もちいい。おさんぽに、ちょうどいいのだ。

 ベビーカーをカタカタとゆらしながら、目黒川沿いを歩く。たくさんの人が花見にきている。きょうが平日だったのを忘れそうになる。桜の木の前で写真を撮るカップルがいて、公園の芝生にすわっておべんとうをたべる親子がいて。川の上では、お花見クルーズの船が観光客でにぎわっている。なんと気もちのいい午後だろう。そうすけもうれしそうだ。ちょっと写真を撮ってみようか。デジタルカメラをとりだして、そうすけに合図をする。もちろん返事はないけれど、撮って撮って、といっているような表情だ。ベビーカーのほろを外して、顔がよく見えるようにした。まぶしそうにしていたが、笑っている。

「そうすけ、きれいだねえ」
「そうすけ、たのしいねえ」
声が出ないぶん、ゆっくり口を動かして話しかける。読唇術みたいにふしぎな状況だ。こんな日に声が出せなくて、残念。それでも、おどろきやよろこびをちゃんとわかちあっている気がしてくるから、ほっとする。家に帰ってからのそうすけを見ていると、たのもしくなった。いつもなら外出したあとは疲れて泣きだすが、きょうはもどってからもしばらく興奮さめやらぬ様子で声をあげ手足をバタバタさせていた。あしたの午後も、いっしょにおさんぽしようね。

3月30日、声が出ない。(生後96日)

 かぜが、なかなか治らない。のどが痛くて、のど飴をなめたまま寝ることにする。横になってしばらくしてうとうとしかけたころに、授乳のタイミングがやってくる。朝までずっとこの調子だから、体力を消耗してしまう。治るのにも時間がかかってしまう。わかってはいるのだが、なんとかして1分1秒でも早く治してしまいたい。と思っているうちに、とうとう、声が出なくなってしまった。これには正直、あわてた。だいすきな歌もうたえなくなるじゃないか。

 近くの内科にウェブ予約を入れた。43番め。きょうも受診を待つ人で混んでいる。みんなが、1分1秒でも早く体調をとりもどしたい、と思っているんだろうなあ。もちろん、わたしもそのひとりだ。とはいえ、ここまでひんぱんに病院のお世話になるとは。思ってもみなかったことだ。そうすけのワクチンや健診も入れると、週の半分以上もかよっていることになる。こんなに健康について考えたことは、いままでなかった。目の前の仕事に夢中だったからだ。

「こんにちは。すみません、声が出なくて」
「かぜ、つらそうですね」
内科の先生には小児科でもお世話になっているので、よく会っている。変化を察してくれたようで、すぐにのどの様子を診てもらった。鼻からのどにかけて感染が起こっているので、上気道感染症とのこと。のどに痛みがあるか、せきやたんは出るか、熱はあるか、鼻水の調子はどうかなど、声が出せないので、イエスかノーかでこたえられるように質問してくれた。かぜの特効薬はまだ見つかっていない、ともいわれる。これは、原因がおもにウイルスであるためと、ウイルスにもいろいろな種類があるためだ。だから、安静と保温、十分な睡眠と栄養をとることなど、家庭での看護がいちばん大切になる。せきやたん、熱などの症状はからだが必要として起こしているので、むやみに薬で症状をおさえないほうがいいらしい。ただし症状がひどいときには、その状況に合わせて薬を処方する。おっぱいをあげつづけてもいいように、鼻とのどの症状に対応する薬を出してもらった。1分1秒でも早くもとの調子をとりもどせますように。

3月29日、ちがいのわかる赤子。(生後95日)

 母乳育児を推進している日赤医療センターで出産した経緯もあり、ほぼ完全母乳でそうすけを育てている。ほぼ、というのは、毎日のお風呂のあとにだんながミルクをあげているからだ。このミルクタイムは、栄養面だけでなく精神面でもわたしの支えになっている。つぎの授乳までのあいだに、ゆっくり風呂に入ったり、本を読んだり、音楽をきいたり、思うぞんぶんリラックスをすることができるからだ。この日記を書く時間にあてていることも多い。

 そんなそうすけのミルクタイムに、異変がおきている。ミルクをこばむようになってきたと、だんながいう。以前なら100ccをぺろりとのんでいたのが、2週間くらい前から哺乳びんの乳首をくわえるのをいやがり、ミルクを口のわきからこぼしてしまうようになったらしい。それでものませようとしたら、泣いていやがる。そういうときは50ccものめばいいほうで、だいたい20ccどまりになってしまう。100ccのめることもあるが、そのときはおっぱいをのんでから2時間ほど経ってしかも風呂に入ったあとだったので、おなかが空いていたのがよかったのかもしれない。そこでおなじタイミングを意識してミルクをあげてみるのだが、これがまた20ccどまりになってしまう。このときは表情だけがいつもとちがっていて泣き顔でいやがってミルクをこぼすのではなく、にこにこ笑いながらこばむんだそうだ。いろいろとやっかいだなあ。

 きのうの夜中に胸が張ってそのとき搾乳した母乳が60ccある。だんなにおねがいして、搾乳した母乳を風呂あがりにあげてみることにした。もしこれでのんだら、そうすけがミルクをいやがるのは哺乳びんの乳首のせいではなくミルクそのものにあることがわかる。いつものように、そうすけを風呂に入れて、からだを洗って、だんなにわたして服を着せてもらった。このあといつもならだいすきなリラックスタイムをすごすのだが、きょうはそうすけが搾乳をのんでくれたのか気になっていたので、ちょっと早めに風呂からあがった。

 リビングがまっくらだ。そうすけはベッドですやすや眠っている。だんなはソファーで静かにビールをのんでいる。な、な、なにが起こったのだろう。
「ぺろりとのんだよ」
だんなが、うれしそうにつぶやいた。うれしさがこみあげてきてしかたがないといった表情だ。やっぱりおっぱいがすきなんだなあ。保育園に行ったときにどうなるのかと心配にもなるけれど、いまは、おっぱいをなによりもおいしく思ってくれるそうすけがうれしい。時間がゆるすかぎり、おっぱいをあげよう。